奥尻④階段編。
- カテゴリ:レジャー/旅行
- 2009/07/08 00:04:26
2、3日また休んじゃった。
奥尻編はこれで最後にすると心に決めて書きます。
途中で変なこと書くのやめれば簡単なのに。
北追岬で西海岸の中腹ぐらいまで出ましたー。
あとは北半分が残るところ、だけど北海岸は未開の地なので通れません。
道路もなけりゃ人も住んでないし。
だから震災の被害が南側に集中したんだけどね。
神威脇の漁港を過ぎて、ちょっと北上すると道は勝手に東へ向いて森の中へ入って行きます。
この道路が通称「産業開発道路」。
かつては八十八曲りと言われるくねくねの山道しかなかったところに、開発の手が入り新しくできた道路。
観光バスみたいな大型車両が横断できるようになったのはこの道ができてからなの。
でもまだ建設途中だから夜間通行止めだったり、冬季通行止めだったりするけどね。
それでも以前は青苗岬周りで往復してたんだから、ずいぶん短縮されたもんです。
途中で「球島山展望台」への入り口があります。
奥尻島の中で3番目に高い山で、標高369,3m。
91段の階段を上ると、三角点になるひるね岩っていうなだらかな岩が置いてある。
稲穂岬や本島の姿も見える展望台です。
でもあの歩幅に合わない階段はもうちょっとどうにかならないのかねー。
花見の名所、「町道桜木線」を通って東海岸にぶち当たるところが球浦開拓。
あとは東海岸北側の名所がもう少し。
最北端の稲穂岬にあるのが「賽の河原」。道南5大霊場の1つ。
古くから海難事故犠牲者の慰霊を行ってきた場所です。
霊を弔うために、訪れた人々が河原の石を積んで卒塔婆に見立ててお参りするの。
たくさんの石の塔が絶えないのがここの景色です。
「1つ積んでは父のため、2つ積んでは母のため…」っていう石積み歌も伝わっています。アタシは歌えないけど。
ここも震災前は売店が数軒並んでいたのに、今再開してるのはたったの1軒だけ。
でもここではホヤやアワビ、ウニなんかの海産物をその場で殻から取り出して焼き物や刺身にして食べさせてくれます。
そして最後は稲穂岬から南下して、宮津地区は「宮津弁天宮」へ。
もともとは番所の置かれてたところで、逃亡者に対する見張り台でした。
明治の末にニシン漁の衰退とともに、豊漁祈願の神社として生まれ変わったところです。
さっきの球島山は片道91段。
ここは片道164段の階段です。もうパンプスじゃ痛くて痛くて。
しかもV字型の階段だから、上りも下りもめちゃくちゃ急なのー。
だからアタシはここ回るのはいっつも最後。もうこれで全部の元気を使い切るつもりで行きます。
そこから5分も南下すれば奥尻島字奥尻へ。そう、フェリーターミナル。
これでだいたい島1周になるわけ。
ここまでたどり着く頃にはヘトヘトです。階段のせいで。
北から回れば帰りにヘトヘトにはならないけど、ホテルでぐったりしちゃうし。
どっちにしても疲れることに変わりはないです。
そんなこんなで既に2度も流された奥尻島。
今月末にもう1回流されるか、来月か、はたまた来年か。
これだけ書いておけば1周案内できるのでもう安心ー。
最後に、奥尻島民は「おくしり」とは言わないです。
文字で書くなら「おぐすぃり」っていう発音になります。
島言葉はほんとに難しい…。
5時間….飛行機を2回も乗り継いで行かなくてはいけないので・・・.流石に厳しいっす・・・(笑)
函館は半分津軽訛りですが、奥尻とはまたちょっと違いますよね。
まだまだ遅くないですよ。沖縄からたったの5時間じゃないですか。笑
…函館で20年以上暮らしてたんですが,奥尻は行ったこと無かったんですよ~.こちらへ来てしまったらもう行けないでしょうし….折角なので行っておけば良かったと思ったんですが,もう遅いですね….