Nicotto Town



百人一首。


北海道の百人一首について。
木札でやるのは有名な話だけれども。
他にも内地とちょっと違うところがあるらしい。
しかし何しろアタシは内地の百人一首を見たことがないので、比較はできない。
そこでこれきっと違うだろう!と独断で思ったところを書いていく記事にしようと思う。

まず、札を読めない。
内地の札は普通の明朝体だと聞いたことがある。
北海道の取り札は変体仮名と言われる、崩し字です。読み札は普通の明朝体だけどね。
取り札を読めるのは大人でそれなりに国語の勉強をした人だけ。
蕎麦屋さんの看板で崩し字になっているもの、見たことがありませんか?
本来「ば」に当たる部分に、「む」と「ち」を足して2で割ったような文字が書かれていませんか?
「者」を崩すと「む」に近い文字になるけれど、それを「は」と読むなんてことは、普通は知らない。
そんな字で書かれているんだから、誰も札を読めやしない。
しかし、子どもでも就学する頃にはちゃんと取れる。
なぜなら、▲をサンカクと読むように、★をホシと読むように、図形として読み方を覚えているから。
文字という認識ではない。だから読めなくていいし、読まなくていいんです。

次に、意味もわからない。
下の句しか読まないんです。
歌としての意味はさっぱり成されていない。
具体例で言いますと。
「人には告げよ あまの釣り舟」…何を告げたらいいのか知らない。
「今日九重に匂いぬるかな」…何がそんなに匂うのかわからない。
全ての句においてこんな感じ。
また札の書き方が悪いために、余計に意味がわからなくなっているものも多い。
理由は知らないけれど、文節や音節を無視して単語の途中で改行されていたり、一部の文字だけが変に大きかったり。
例えば「禊ぎぞ夏の印なりける」の札は「みそ」の2文字だけがとても大きく、他の字はとても小さく書かれている。
「みそぎ」まで大きく書いてくれればいいのに、おかげさまで北海道の子はみんなあの札を「味噌」だと信じている。
意味はわからない、けれど取れりゃいい、それが北海道ルール。

最後に、読み方が特徴的。
同じ札を2回読む。
これも具体例で書いてみるけれど、文字で伝わるかなー。
「紅葉の錦神のまに~まに~ 松も昔の~(松もを取る) 」
「松も昔の友なら~なくに~ 激しかれとは~(はげしを取る)」
「激しかれとは祈らぬ~ものを~ 憂しと見し世ぞ~(うしとを取る)」
想像だけど、恐らく内地のルールでは、最初の5文字で決着が付くでしょう。
その後の7・5・7・7の間に崩れた札を揃えたり、呼吸を整えたりできるでしょう。
でも7・7しか読まない北海道でそれをやると、全く暇がない。
だから同じ札を2回読む仕組みなんだと思う。
前の札が読まれることで、次の札が読まれるタイミングも測ることができる。
しかしこの仕組み、7・7のうち取る前に先に読まれるのは、最初の7文字だけ。
すると1つ問題が発生する。
最初の7文字が全く同じという句が存在するんだよね。
その場合は、読み方で区別をします。
「今ひとたびのぉ~。」と延ばせば、続きは「逢ふこともがな」。
「今ひとたびのっ。」と切ってしまえば、続きは「幸待たなむ」。
こんな工夫があったりするのも、おもしろい点だと思う。
でも上の句にも同じ言葉で始まる歌ってあったよね?
アタシは「朝ぼらけ」の2句しか思いつかないけれど、内地ではどうやって区別をするんだろう?
区別しないで、この場合だけは6文字目での決着になるのかな?
ぜひ内地の百人一首も見てみたいなぁと思うわけです。

おまけに。
北海道の百人一首は、絶対に障子の近くでやってはいけない。
厚さ5mmの木札が飛び交ったらどうなるか、想像してください。

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2013/01/21 22:25
○shinさん
びゅ~さんのお話も含めて考えますと、未就学からの参戦というのは、内地と北海道の違いというより、田舎と都会の違いなんでしょうねー。
アタシの生まれた場所は、本当にド田舎です。
1番近い友達の家まで何kmという単位の世界ですから、親の助けがなければ友達と遊ぶことすらできません。
ですからアタシの遊び仲間といえば、バッタさんとカエルさんとアリさんだったわけですけれども。
問題は北海道ですから、冬になると仲間がみんな引きこもりになってしまうという点で。笑
そういう地域だったからこそ、早くに大人の遊びに参戦するしかなかったんでしょうね。

○びゅ~さん
本当に、なんで北海道だけこんな風になってしまったのか気になりますねー。
何かで読んだ記憶があるのですが、江戸時代までは全国的に木札が主流だったとか?
なぜ未だ江戸の文化を受け継いでいるのか、まして変体仮名に至っては平安時代の話、北海道に和人が入って来た頃にはとっくに絶滅しているはずのものなのに、なぜその間の文化の変遷がすっぽり抜けているのか、全くもって不思議です。
確かに、一応国語科で教員免許を取得している身で言わせてもらえば、百人一首は「国語」には存在しなかったはずと記憶しています。
かといって「道徳」かといえば違う気もしますが…「郷土文化」という意味で教えて下さったのでしょうかね。
現行では確か「総合」とかいう時間に地域学習が含まれていたかと思いますが、びゅ~さんの時代で考えると結構先進的な取り組みだったのではないでしょうか。笑
幼稚園が1年制、こちらでは共働きの家庭から大ブーイングが出そうな話ですけれど、それでやっていける沖縄という特殊な土地柄が垣間見えますねー。
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2013/01/21 10:26
そうそう,道内のは相当な亜流だと思います(笑).どういう歴史的背景で北海道だけそうなったのか是非知りたいです.

んと,私のところは学校で習う,というよりは,たぶん担任の先生の趣味だったのではないかと思われます.

教科書に載っていたり正式なカリキュラムにあった訳ではなく,授業時間内だけれど教科書などを使わなかった,当時は道徳とか学級会とかいう名称の時間がありまして(おそらくですが当時は週6日制だったのでそういう時間も充分とれたのだと思います),そこでたぶん私たちのクラスだけが習ったものと思われます.たしか小学校でも低学年だったと思います.

あ,関係ないですが,こちらでは,小学校は低学年を1~3年生,高学年は4~6年生を指して,中学年という言葉はあまり使わないらしいです.
あと,公立の幼稚園はほとんどが1年制で,幼稚園のことも「学校」って呼ぶ人が多いです.そして「幼稚園生」(「児」ではない)という言葉もなぜか一般的です.商品名の一般名詞化もこちらはけっこう多いですが,こんなところでも違うみたいです.


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2013/01/19 14:08
いやー、百人一首は、
遊んだというより、
学校で覚えさせられた方ですよ。
3歳からやるなんて凄いではないですか。
こっちでは家族で遊ぶなんて家庭はほとんど無いと思いますよ。
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2013/01/18 21:47
○びゅ~さん
内地式の百人一首がよくわからない点に同感です。
いえ、内地の方からするとむこうが本家でこっちが亜流なんでしょうけれどもね。
娘さんが就学するのを楽しみにお待ちしています。
しかし話を蒸し返すようですが、びゅ~さんのところでは百人一首は学校で習うものだったんですねー?
田舎の集落出身のアタシは、冬に遊ぶものがなかったためか、3才ぐらいで既に参戦していました。
最初はもちろん読めませんので、「ぬれ」「もれ」「みそ」の3枚を担当するところから始まるわけですが。笑
近所の子も皆、就学前には全部読めて大人ともハンディキャップなしでやり合うのが当たり前の世界だったので、学校の教科書に出てくるというのが驚きです。
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2013/01/17 09:57
カルタや百人一首をするような人が私の周りにいないので,こちらのカルタ事情がどうなっているのか私にはまだ未調査なんですけれど,おそらく琉球中華思想(悪意は全くありません)の強いこちら地方では,あまりやらないのではないかと思います.
…と思ってちょっと検索してみたのですが,最近では「五色百人一首」というのがあるんですね.教育現場で開発(?)されたもののようですね.こちらは沖縄県内の学校などでも行われているみたいですね…といっても私は内地方式の百人一首がよぐわがんないので,これ以上の調査は自分の無知をさらけ出すような気もします(笑).

沖縄はたぶん日本でいちばん方言(や文化)を残そうという思いが強い県だと思いますので(たぶん昔の「方言札」などによる方言抑圧の反動もあるのでしょうね),方言文化を残しつつ,ヤマトの文化も知るべく百人一首などもするんじゃないかと思います.娘が小学校へ上がったら教科書などを見つつまた報告します(何年後だ).

沖縄だけでなく離島県では,島ごとに方言が異なっていたりするので,過疎化が進む今,保存に力を入れているところはあちこちあると思います.それどころか,沖縄本島内でも地域性があるので,「沖縄の方言を残そう」と活動していたりしても,ある表現に対して「いや首里は違う」「那覇ではこう言う」「読谷ではこうだ」みたいなのがけっこうあるみたいです.

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2013/01/15 22:31
○びゅ~さん
「からかけまして」、気になって調べようとしても、検索でも全くヒットしないですね。笑
親に聞いてみたところ、我が家では入植したひいばあちゃんの時代からずっとコレだそうで。
周りもみんな四国からの入植民ばかりだったウチの集落はみんなこの方法だったらしいです。
が、別な地域から入植した人では、「からから回る水車~」という、からかけ専用の歌(?)から始める人もいたそうですよ。
地域性というか、元がどこから来てるのかによって違うのかもしれませんねー!
今時のテレビゲーム世代の子たちには恐らく伝わっていないだろうという点が非常にもったいないですが。
ところで沖縄では方言カルタは目にしますが、共通語の百人一首はやらないんですか?
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2013/01/15 10:47
すみません,あやふやな記憶なのでちょっと違ったかも知れません.
そういえば確かに,一枚目の読み札をランダムに中へ挟み込むのは記憶があります.
小学生の頃,読み札の減り具合を見て「そろそろ最初のアレが来るはず」って思って若干ヤマを張っていた記憶がありますので…(笑).

ただ,「からかけ~まして~」というのは記憶にないので,もしかしたら,一枚目は調子を整えるために下の句を読むけど取らないので,一枚目の下の句→二枚目の下の句を読んで二枚目を取る,そして一枚目はランダムに中に挟む,っていう感じだったのかも知れません.
小学生か中学生くらいの時に購入して家族で遊んでいたくらいなのですが,最初どうしているかはよぐ覚えてないですねぃ….

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2013/01/15 00:02
○びゅ~さん
アタシは大人になってから上の句でもやり始めました(正式なルールは知らないので独自ルール、しかも木札でです)が、やっぱり意味がわかるとずっとおもしろいですねー。
あぁこの歌そういう意味だったんだ!と納得したり、上の句からの掛け詞になっていることを発見したり。
下の句だけでも文法的なお勉強に全く役に立たないわけではありませんが、単なる反射神経を競う北海道ルールよりも、同時に知識も競う内地ルールの方が深い遊び方だなぁと感じています。
ゲームのスタート時ですが、ウチでは上の句は読まなかったですねー。
前の句の代わりに「1枚目はからかけ~まして~」という言葉をつけて、1枚目の下の句を読みます。
「からかける」=練習という意味ですので、その1枚目は取ってはいけないんですね。
その次の2枚目からが勝負となり、1枚目にからかけで使った読み札はランダムに中へ挟み込んでおいて、後ほど再登場するという仕組みです。
大会での公式ルールはどちらになっているのかは存じませんが、もしかすると方言等と同じく地域性によるものなのかもしれませんねー?
大会に出るようなベテランさんの場合、音を発する前の息づかいだけで次の札がわかってしまうそうです。
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2013/01/13 16:28
ちょっと忙しい期間が続き,「これは」と思いつつもコメント書けませんでした.

そうそう,私も小学生の時にこの百人一首(「下の句カルタ」と言うそうですよね)を習って,
確か実家には購入したものがあったと思います.

ゲームとしてはたいへんおもしろいのですが,私が個人的に思う最大の弱点は,歌を覚えることが出来ないということですよね.折角やるのなら,百人一首の全部の歌を覚えられるという副産物があってもよさそうなものですが,それがないんですよね.下の句だけ覚えても仕方ないですしね.
あと,確か,ゲームのスタートの時だけは,「その前に取った札」ってのが存在しないので,上の句を読むんですよね.

地元方面では確か,地区での大会とかもあったような気がします.



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