Nicotto Town


うみきょんの どこにもあってここにいない


夜のずれた誘いが景だ。(お台場)


 ソラマチで関西から来た友人たちと待ち合わせをした。彼らはまだスーツケースをもったままだったので、宿泊先のホテルに荷物を置きに行くことにする。そこがお台場だった。
 以前、お台場に近い竹芝桟橋まで、自転車でもゆける場所に住んでいたこともあり、あの辺りはよく出かけたものだった。
 今は、少々離れた場所に住んでいるし、ほかにもちょっとした事情があり、もうずっといってなかった。
 押上駅から、都営浅草線、そしてゆりかもめに乗って、お台場へ…。思いがけなかった。もう十五年以上出かけていない。当時、お台場は、まだそれほど混んでいなかったと思う。
 お台場は好きな場所だった。もともと、海を見に行っていたのだ。人口の砂浜があり、台場跡がある。海浜公園として整備されていて、一帯は意外と緑が多い。昼はそれらを眺めてぼうっとしていた。
 そして夜は夜景を楽しんだ。対岸の東京タワーが見えるあたり。海にうつった灯、屋形船のはなつささやかなにぎわいの灯、灯、地上にまたたく星たち。
 当時は、竹芝桟橋にもよくいっていた。伊豆七島のアンテナショップでなにかしら買った記憶もある。伊豆七島の塩だったかもしれない。明日葉だったかもしれない。
 そう、最後にお台場あたりにいったのは、いつだっただろう? その時は、こんなに長いこと、ここと離れることになるなんて、思ってもみなかった筈だ。それぐらい、休日の楽しみではあったけれど、わたしには日常にちかしい場所だったから。
 それはほんとうに思いがけない別れだったのだなと、昨日、ゆりかもめに乗って、夜景を楽しみながら、漠然と考えていた。新橋からゆりかもめに乗る。小さいモノレールだ。飛んでいるゆりかもめをデザイン化したロゴも懐かしい。竹芝駅を過ぎ、芝浦を過ぎる。お台場のどこかで花火があがっていた。関西の友人が、毎土曜日、7時から花火が打ち上げられているのだと教えてくれた。こんなに近くで、見れるなんて。やはりお台場あたりによくいっていたころ、何回か見に行った東京湾の花火大会を思い出す。
 東京タワーがあちらにみえ、こちらに見える。ゆりかもめは、芝浦から、レインボーブリッジをわたる際に、かなり曲がって走るから。その東京タワーの姿を追う。オレンジ色の灯の結晶のような子だ。東京タワーもまた、十五年ほど前のわたしにとって、なじみ深い建物だった。やはり自転車で、東京タワーの下あたりまで出かけていた。芝公園あたりから見上げたタワーの鮮やかな色彩の威容が思い出される。そして東京タワーは当時住んでいたマンションから頭だけ見えたのだ。ちょうど、今住んでいるマンションから、富士山が頭だけみえているように。東京タワーとは、たぶん私のなかで、ちゃんとお別れをしてきたたのだ。もう窓から見えなくなるのだなと、別れを惜しんだ記憶がある。だが、このお台場の景色たちとはそれがなかった。こんなに長いこと、会えなくなるなんて、思ってもみなかったのだ。
 昨日は、ゆりかもめから夜の景をながめ、お台場の駅で降りてからも、またレインボーブリッジ、そして夜の海、乗ったことのある観覧車、自由の女神、灯、灯、東京タワー、光のたくさんを、久しぶりに…チラ見ではあったけれど、みることができた。たぶん当時より、さらに灯は増えているはずだったが、それでも感慨深い景色だった。それは最後にみた、あの頃だけの思い出と重なるのではなく、もっとさらに昔、夜景が好きだった十八歳位のときの記憶とも重なるだろう。あの頃、やはり東京湾の夜景が見える、晴海ふ頭まで景色を眺めに出かけたことがあった。たしかバイトの帰りだ。新宿からバスに乗って。ひとりだった。また、お台場あたりだと、お台場と呼ばれるよりも、十三号地と称されていた時に、そこに出かけた記憶もある。まだレインボーブリッジは工事中だった。対岸のビルたちが、まるで桃源郷というより、ハマグリがはきだした蜃気楼のように、灯りをはなって誘っていた、それは対岸であることから、行けそうで行けない場所、幻想の場所だった。
 友人たちも、景色を楽しんでくれているようだ。よかった。ホテルに食事をするところが入っていたが、どこも最低一人あたり一万円ぐらいかかる。なかなかの値段だ。ホテルを出て、すぐ隣にあるアクアシティお台場へ向かう。ここの飲食店街も多少は並んでいたが、ソラマチの比ではない。夜景を見ながら、わりと安価な食事を楽しむことができた。窓の外からレインボーブリッジ、そして知らないうちに、オレンジ色から、緑と赤と青だったか、とにかくそんな色の縞模様にライトアップされた東京タワーが見えた。ちょっと色が合わないなと思ったけれど、そういえば昔、うちの窓から見えた東京タワーもたまに色を変えていたなと思い出す。クリスマスのときは緑のツリーのようになっていたっけ。大みそかのカウントダウンの時も色を変えていたはずだ。
 友人たちと別れて、またゆりかもめに乗った。車窓から以前、奮発して一度だけ入ったことのある、すこし値のはるレストランの入っていた五階建て位の建物も見えた。ホテルだかなにかが斜め前隣に出来て、窓からの眺望が損なわれていたこともあり、当時からどこかさびれてゆく感じがあったのたが、まだ建物があってほっとした。目の前のきらびやかな夜景を前にして、まだ再会の妙を不思議に思っている。この景色と別れるとは思わなかったのに…。今こうしてまた見ることができて、なつかしいというよりも、そのことばかりが気にかかった。あれほど好きだったのに、別れをしなかったことに、たしか当時、ほとんど気付いていなかったのではなかったか。
 ひとつには、あの辺りから引っ越しをしたのは、一月、冬のさ中だったのだが、お台場あたりに自転車(正確には竹芝まで自転車で、あとはゆりかもめに乗って)で出かけていたのは、せいぜい寒くなるまでの間、秋ぐらいまでだったからだと思う。もともと冬の間は出かけていなかったから、離れることが、うやむやになっていたのかもしれない。
 ともかく、こうして訪れることのできたお台場は、不思議な感覚をわたしにもたらした。離れていたようで離れていなかった存在。別れをちゃんとしなかったことで、逆にまだ別れていないかったのだと、心にどこかずっと残っていた場所、あるいはそうした思いのかたまりが、この時、わたしに温存されたままの姿で、今眺めている景色に誘発され、うかびあがってきたこと、そんなことを体験したことがほとんどなかったので、目あたらしく思っていたようなのだ。思い出の景色と、今ここで見ている景色が二重にわたしにせまってきた。それはたとえば、桜を毎年見る時に感じる、あの思い出と目の前の桜のつくる、合体的な景ではない。桜は、その一本一本に、かつて見た、去年見た桜たちが、見事に重なって、複合したものとして、わたしに迫ってくる。だがお台場のそれは、現在見ている景色と、過去のそれがどこかはがれたまま、一致することなしに、ぶれるようにして、わたしに迫ってくるものだった。そのことに対する、やさしい違和感。だが景色が戸惑ったまま、幾分ぎこちなく、微笑んでいるようでもあった。それはどこか淋しい夜のずれだった。眼前の景色はそれでも相変わらず(おそらくもっと灯は増えたのだが)妖しく優しい誘いだったけれども。




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