Nicotto Town


うみきょんの どこにもあってここにいない


瞬く刹那に住まうこと、一期一会の黄昏色 1


 小泉八雲『神々の国の首都』(講談社学術文庫)途中ですこし読むのがだるくなってきた。本のせいではない。わたしのこの頃のなまけぐせのせいだろう。紀 行文的な文章なので、話しの続きが読みたいとか、引き込まれることがないから。つまり読むこちら側が、小説とかでないと読み通すことができなくなってきて いるのだ。読むのやめてしまおうか、飛ばしてしまおうかと悩んでいたら、こんな文章に出逢った。

「 考えてみると私たちの記憶に一番長く残るような印象はたいてい束の間に受けた印象である。私たちが思い出すのは時間単位の記憶であるよりは分単位のも のであり、分単位のものであるよりは瞬間のものである。一日全体の事など誰も覚えていられない。一人の人の生涯で思い出せるようなしあわせは集めても秒単 位で生まれたしあわせである。考えてみると、人の微笑ほどたちまち消えるものがほかにあろうか? しかしその消え去った微笑が私たちの記憶から消え失せる ことがはたしてあろうか? またその記憶が呼びさますあの優しい追懐の情が。」
(小泉八雲『神々の国の首都』、「加賀の潜戸」より)

 そうして瞬間、刹那に惹かれてきた自分を思い出す。その言葉に惹かれてきた、というべきか。それは思い出に関係してきたからかもしれないし、逃げ去るものだからかもしれない。
 この話を読んで数日後、ある人から「トワイライトって、瞬間とかって意味だっけ?」と聞かれた。「ううん、違う。黄昏とかって意味。昔あったテレビドラ マの『トワイライト・ゾーン』とかは、日本語でも元々「誰そ彼」からきているように、識別がつきにくくなる時刻のような空間、境界があいまいになる中間領 域的なことを指したりもして…」と答えた。
 わたしはそんな中間領域に惹かれている。そして、そう答えた時に気付いたのだ。夕暮れもまた瞬間なのではなかったかと。あの昼と夜が出逢う瞬間。昼でも なく夜でもない時間の短さもまた、黄昏を彩るものなのではなかったか。だからあれほど鮮やかな、染みいるような空の色なのだ…。
 夕景の空の色はいつも信じられないほど美しい。それは境界であることもまざっているが、束の間であることもまざっているだろう。空の色もまた、暗い紺、 青、緑、橙、黄色、桃色、もしかすると殆どすべての色がまざっているのかもしれない。あいまいなまま、はっきりとした色。黄昏に惹かれるのは、中間領域を 感じていたからだけれど、それがすべてを含んだ刹那だったということもあったのでは…と、ふと思ったのだった。

 これでまた小泉八雲から離れられなくなってしまった。読み続けることにする。ゆっくりと。

(続く)




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