Nicotto Town


うみきょんの どこにもあってここにいない


傍にいてくれるモノたちに名前が近づく?─イコン2


「玉川学園創立八十五周年記念特別展 東と西のキリスト教美術 ─イコン・西洋絵画コレクションから」(前期二〇一四年十一月三日~十二月七日、後期二〇一四年十二月十三日~二〇一五年一月二十五日、玉川大学教育博物館) 続き。
 以前、2010年1月にわりとくわしく書いているので、今回は簡単に。

 玉川学園には、七十一点のイコンと、西洋絵画十三点のコレクションがあるという。
 HPやチラシから。
「キリスト教の絵画には東方正教の世界にある伝統的なイコンと西欧の美術としての聖画があります。今年度は玉川学園創立八十五周年を記念した特別展として、当館所蔵の美術資料の中から、東方正教のイコンと西欧の宗教画を紹介いたします。(中略)
 イコンは、ビザンティン美術の一流として発達しました。八世紀のイコノクラスム(聖像破壊)の受難を経たのち、十一世紀頃からのイコン敬拝の高まりとと もに、板にテンペラ技法を用いたイコンがロシアやそのほかの東方正教会圏に広まっていきました。テンペラ技法は、顔料を卵黄で溶いて絵具としたもので、乾 きが速く、発色がよいことと耐久性のある画面をつくることができます。
 一方、西欧では四世紀にキリスト教が公認されて以降、宗教的な中世美術の時代を経て、聖書や宗教的な逸話をモティーフにした宗教画が多くの画家によって 描かれました。十五世紀からは顔料を油で練り合わせた絵具を用いる油彩画の技法や写実的な表現が主流となり、より人間的なキリストや聖母、聖人が描かれる ようになりました。
 展示では、東方正教のイコンと西欧絵画と比較することで、それぞれのもつ美と特性をより深く理解できる展示空間をつくります。
 なお、この展覧会は展示スペースの都合により、会期を前期後期の二期に分けて開催いたします。イコンは半数ずつ前期と後期で展示し、西欧絵画は両会期とも同じ作品を展示いたします。(後略)」

 わたしは特に聖母子を描いたイコンが昔から好きだ。なぜだかなんとなくしかわからない。中世をひきずったような平面的な描き方。その平たさに、そして聖 母の表情にひかれる。慈しむような顔。わたしは無責任に、勝手にイコンを好むものにすぎない。イコンの多くは匿名の画家によるものだという。会場内での紹 介映像では、今でも作られるイコンは、修道女たちの日々の営みの一端、手作業によるものだとあった。それらに宗教的な何かをあてはめなければ、いけないの だろうけれど、ごめんなさい、どうもわたしが異端者だからなのだろう、しっくりした言葉が見当たらないから、控えることにする。ともかく、どうしてか特に 聖母マリヤのイエスを抱きながら見つめる顔、その仕草に、じわじわとしみてくるような慈愛を感じるのだった。
 イコンに描かれる聖母像には、いくつかの型がある。ホディギトリア型(左腕でキリストを抱き、右手は胸に置く。幼児キリストは右手で祝福し、左手に聖な る書物を持つ)、「ニコポイア型」(聖母子ともに正面を向いて椅子に座っている、ギリシア語で「ニケ」は「勝利」、「ポイエイン」は「作る、もたらす」の 意味なので、「勝利をもたらす者」という意味で、キリスト教の勝利を象徴的にあらわす像だという)、「グリュコフィルーサ型」(幼児キリストは祝福のポー ズをとらずに聖母のマントにつかまり、甘えているよう、「グリコ」はギリシア語で「甘い、愛らしい」、「フィロス」は「愛する人」を意味することから、 「愛撫する聖母」となる)、「エレウーサ型」(ギリシア語の「エレオス」は「同情、あわれみ」の意。幼児キリストが聖母の顔に頬ずりし、マントをつかみ、 首に手をまわしている。聖母は抱きかかえ、片方の手を胸にそえている)など。
 以前も書いたが、わたしがひかれるのは、「グリュコフィルーサ型」「エレウーサ型」のたぐいだ。つまりそこにあふれる情愛豊かななにかたち。
 今回の出品作だと、《カサウカヤの聖母マリヤ(グリュコフィルーサ型)》(ロシア・イコン、一七八〇年頃 板・テンペラ)と、《フェオドロフスカヤの聖 母(エレウーサ型)》(ロシア・イコン、十九世紀、板・テンペラ)だ。《カサウカヤの聖母マリヤ》のほうが、顔のつくりがより平面的かもしれない。そして ここでみた、あるいはほかでもそうだけれど、多くが金地に描かれてあるのに、これは銀地で、そのことでいっそう派手ではない優しさを感じたのかもしれな かった。対して《フェオドロフスカヤの聖母》は金地で、顔ももうすこし、後年になった感じ、平たさが幾分か薄れている。向きも逆だ。だが実はどこをみてい るともいえないまなざし─その眼は、幼児キリストと視線をあわせていない。このことはなんとなくだが、わかる気がする。聖母はキリストにまちうける日々を 見つめているのだと思う──、けれどもとくに幼児キリストよりもやはり聖母マリヤのほう、その平たさにひそんだ、凝縮の表情に、心うたれるのだった。

 そう、エレウーサ型については、確かに五年前にも、教えてもらった記憶があったが、実はその言葉のこと、ほどんど忘れていた。ちなみに、うちにある四つ のイコンのうち、三つがエレウーサ型。あとの一つはホディギトリア型だ。会場で、エレウーサ型という言葉を見つけたとき、まるで家にあるイコンたちの名前 をはじめて教えてもらったような気がした。うちに帰ってきて、壁にかけてあるもの、机にたてかけてあるものなどを眺める。「エレウーサ型」とつぶやいてみ る。やさしいまなざしが、いつもどおり、わたしにも微笑みかけてくれている。それは長年わたしのそばにいてくれるもののもつ力でもあるのだけれど。ありが とう、そこにいてくれて。「エレウーサ型」という言葉を今度こそ覚えたと思う。そのことがなにかの発見…というか、イコンたちに少しでも近づくためのなに かであるような気がしている。あるいは、「詩は見つかった名前だ」(パスカル・キニャール『舌の先まで出かかった名前』)。

 少し、話しが前後してしまった。もう、家へ帰ってしまっているではないか。博物館に戻ろう…。こうして時間をさかのぼれることも、文章の面白いところだなと思ったりしながら。
 イコン展が開催されていたのが第二展示室で、所蔵コレクションを展示する、常設展示室ともいうべき第一展示室。この一角に縄文式土器が並んでいたのに驚 いた。学園構内の遺跡から出たものが中心だという。中期の、文様に力のあるものたち…。五年前もみていたはずなのに、そのときは良さに気付いていなかった のだろう。あのすぐ後だ。ここで貰った「国宝・土偶展」の展覧会割引券で、土器や土偶たちの力に気付いたのは。まだ五年しかたっていないのか…。わたしが 生きてきた年齢にしては遅いだろう。だが、気付けて良かった。文様や縄文、あの土の色たちに、力を貰う。五年のなかで、なにかが円環しているようにも思っ た。イコンを含めて。
 また家へ、帰ってから、いや、今現在。博物館内で購入した絵葉書《カサウカヤの聖母マリヤ》を、これを書く手を休めて、見えるところに飾った。穏やかな慈しみ。優しさをもらう。また大切なモノが増えた。ありがとう。




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