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うみきょんの どこにもあってここにいない


「ファンタスティック 江戸絵画の夢と空想」3


府中市美術館「ファンタスティック 江戸絵画の夢と空想」(二〇一六年三月十二日─四月十日(前期)、四月十二日─五月八日(後期))、2から続き

 四章が最後で「江戸絵画の「ファンタスティック」に遊ぶ」。ここではとくに明確な区分けはなく、ただ今までの集大成的に、さまざまな「ファンタスティック」を見てみようという感じか。
 月蝕が終わった後に出現した月に竜がいた…という夢を描いた巨野泉祐(一七七四─一八三七年)《月中之竜図》、三代将軍徳川家光が見た夢、八尾の狐を描いた狩野探幽(一六〇二─一六七四年)《八尾狐図》など、他人の夢を描いたものたち、その画題に心ひかれた。夢はわたしたちが見るものだ。それは近くて遠いものである。見るということでは現実だが、それはだが、現実ではない…。しかも他人の夢が、こうして、現実に、絵として存在し、残っている…。なにか壮大な螺旋をえがくような境界に思いを馳せる。夢かうつつか、うつつか夢か。
 そして画題やモティーフがではなく、純粋に絵として特に心惹かれたのは、先にすこし触れた、司馬江漢(一七四七─一八一八年)の作品だった。銅版画や西洋画に傾倒した、蘭学者でもある人物だ。《三囲雪景図》(絹本油彩、江戸時代中期(十八世紀後半))は、隅田川添いの三囲(みめぐり)を描いたものだという。横長の紙のかなりの部分を青い隅田川が占めている。中州に雪、そして船。右側は、雪に覆われた田園風景。右側の岸には、二人の人物が幾分見上げがちに雪景を河を、眺めているようだ。彼らは後ろ姿である。
 絵はキャンバスではなく紙である。さらに油絵は自家製だ。このあくなき挑戦にも、心が残るが、それはおいておこう。そう、白さ、空白ではない、凝縮の白、としての雪。ここでは、日本画に多くみられる塗り残しで雪を表現するのではなく、白を塗り重ね、明るさや暗さを現している。曇り空のにぶいような灰色まじりの白さに、それでも明るい雪の景。そして深く青い河。
 わたしはこの絵の何に惹かれたのだろうか。この場所は普段は賑わいをみせるところだという。だが、雪がその喧騒を覆い隠し、普段とおそらくまるで違う静けさをたたえてある。そのことにたいする崇高な感覚が、右の二人の人物に感じられるからかもしれない。塗り込めた空、雪、河の、重みが静かな共鳴として伝わってくる。そうだ、雪によって、普段の景色がまるっきり別の世界になった経験はなかったか…。わたしはそのなかにいる、そしてここに。それはおごそかで、圧倒的な静寂だ。
 展覧会会場の外では、月を描いた葉書大の紙と、様々なスタンプが置いてあり、紙に自由にスタンプを押してオリジナルの絵葉書を作れるというコーナーがしつらえられていた。たのしく作ってみる。
 図録も買った。だが後期展も行く予定なので、そちらの展示の絵は極力見ないように頁をめくる。やはり生でまず最初にみたいから。




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