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うみきょんの どこにもあってここにいない


ファンタスティック 江戸絵画の夢と空想 5


(「ファンタスティック 江戸絵画の夢と空想」(二〇一六年三月十二日─四月十日(前期)、四月十二日─五月八日(後期)、府中市美術館)の後期展、4から続く)

 そしてこのところ気にかかる司馬江漢(一七四七?─一八一八年)の何点か。一章の中の「天空を考える」に、地動説に関する学術的な銅版画が展示されているのもすこし驚く。《色絵軽気球図皿》は原画が司馬江漢のものだという。一八七三年に軽気球がパリで初めて人を乗せての飛行に成功、その数年後一七八七年にはもう日本ではそのことが紹介されていたという。鎖国をしていたことを考えると、かなり早く伝わったのではないか。空を飛ぶことへの憧れの強さを想う。一七九三年に漂流した漁民がロシアで軽気球を目撃、その話が蘭学者の手によって書きとめられている。司馬江漢が描いたのは一七九七年。この皿にはさほど心惹かれなかったが、二章「見ることができないもの」内の「海の向こう」の彼の水墨画。《異国風景図》(紙本墨画、十八世紀後半)。縦長で、前景下側が此岸といった感じで崖に松などこれまでの伝統的な水墨画のように描かれているのだが、水を挟んで、向こう側に、煙突などのある西洋家屋が数軒立ち並んでいる。対岸にいたるまでの水面には、小さな舟に棹さす人。彼が夢の橋渡しをしてくれる人のようでもある。こちらから見果てぬ世界へ思いを馳せる、それがほとんど決意として描かれてあるように感じられた。
 そして。前回は最後の四章「江戸絵画の「ファンタスティック」に遊ぶ」にあった《三囲雪景図》が特に印象深かった…のだと、それがあったであろう場所に後期展で飾られていた司馬江漢の別の作品をみてしみじみ思った。同じぐらいの大きさで…、なのに後期のそれにはほとんどわたしのなかで反応がない。どんなに《三囲雪景図》がさびしく遠さがしみたことか…。
 けれどもこの近くにあった、《オランダ馬図》(絹本油彩、江戸時代中期(十八世紀後半)、府中市美術館寄託)。こちらは前期のとき、逆にほとんど印象が残らなかったものだったはずだ。あとで図録で確認して、はじめて何があったか気付いたほど。ともかく馬と手綱をもった人物が枯れ木の元、水辺にいる。馬は横向き、人物は馬の後ろから、こちらを見ている。遠景に山と煙突のある民家。あとは青い空…のはずだが、残念ながら特に空の部分が痛んで茶色いシミのような汚れがめだつ。馬も人物も水にまで広がっているのだけれど。この汚れは絵を損ねているだろう。けれども、この汚れのため、絵がことさら愛しく見える。それは時間が経ったということもあるかもしれない。長い時間を経て、今ここにあるということを、汚れもまた示しているのだと。いや、なにも汚れのために、この絵に惹かれたわけではないのだ。西洋の銅版画をもとに描いたらしいが、馬は西洋の馬に、どこか日本の馬が入っている。足が短いのだ。横向きの馬の眼はあいらしいかもしれないがどこか哀しい。そしてこちらをむく人物はどうして寂寥感に満ちて見えてしまうのだろう。馬も人も独りだからか。あるいは異国を想うことはどこか淋しいことなのかもしれない。
 司馬江漢についてはここまで。最後に葛飾北斎(一七六〇─一八四九年)。前期展では残念ながら出品がなく、後期展だけ。けれども何があるのかは知っていた。後期展で実物をみるまでは、なるべく眼にいれないようにしていたが図録にあったし、それにミュージアムショップに出品作品として絵葉書が売っていたから。《富士越竜図》(紙本墨画、江戸時代後期(十九世紀前半)、個人蔵)。図録にはそんなふうにあったが、おそらく一八四九年頃。最晩年の作品に近いと思う。山麓に立ち込める黒い雲が富士をぐるりと蛇のようにとりかこみ、立ち上る、その先、空に上昇する竜がいる。わたしはこの絵を、やはり《富士越龍》、信州小布施の北斎館で見たそれだと思ったのだが、なにか違う。構図もほとんど同じだと思うし、並べたわけではないから、その場ではなんとなくしか違いがわからない。いや最初は違和感はあったが、同じ絵だとすら思った。だがこちら。大きな違いは左上に賛があること。佐久間象山筆。北斎と同時代だが、歴史上の人物という勝手なイメージがあったので、二人の接点をこうして見れたことにもすこし驚いた。北斎を信州に呼んだ高井鴻山が佐久間象山と交流があったらしいので、その縁なのだろうか。賛の大意は、「海から現れた竜が富士を昇ってゆく、激しい雨にみなじっとしているが、晴れたらあとかたもない」。北斎館で見たものは、絶筆に近い晩年の画ということもあり、昇ってゆく龍に北斎を重ねてみたものだった。今回もそれもあるが、海はないけれど、どこか賛のせいか海を感じた。あるいは前方の岩肌が、海に似て見えたのだ。あらあらしい波ではない、しずかな波がしらのように見えたのだ。そしてそんなふうに見えるなと思うと、こんどは黒い雲、富士にまきつくそれが、富士の一部をなしているように見えてくる。富士の濃い部分のように。間違えているかもしれないが、なにか、それぞれ、べつの姿をやどしているように感じたのだ。黒い雲が竜の一部でありつつ、山の一部であることで、たがいを結びつけている。あるいはどれもこれもが接点をとおして繋がっている…。岩が海のように見えるのは、岩がきっと水を含んでいるからなのだ……。なぜなら雲が海から現れたものだから。そして変わらず静かな富士がある。北斎の描きたかったものたちの凝縮のように感じられもした。そしてこの繋がりこそが、愛しいのだと、漠然と思う。それはどちらの言葉であったか。たぶんほとんどがわたし。だが北斎もきっと、これらを愛しく想っていたはずだ、だからこそ、竜の起した雲は、富士にまきついているのではなかったか。
 家に帰って、北斎館でみた《富士越龍》と今回の《富士越竜図》を見比べてみる。《富士越龍》の雲のほうが濃いかもしれない。岩肌がより岩肌っぽいかもしれない。あえていうなら。そしてもちろん、賛がない。じつは今回の絵は、いまいち来歴がわからない。ほかにもこのたぐいの絵はあるのだろうか。それも不明だ。けれどもともかく、見れてよかった。北斎館で見た《富士越龍》は大好きな作品だったから。いや、富士を越す、北斎の描いた龍(竜)が好きなのだ。
 帰り道はどうしただろうか。実は出かけてからすこし日が経っているので、印象が希薄だ。今、思い浮かぶのは北斎の竜(龍)ばかり。竜が雲を思念のように、あるいは追慕や郷愁、憧憬などを含んだ大きな手として、いっさいがっさいを撫でて、どこかへ昇ってゆく、離れてゆく。撫でては離れ、離れてはまた近づいて。異国もまたそこに、あそこに。
 そうだ、帰りに府中の森で、十二単の花を見たのだった。紫を重ねたような、けれども十二単というほどは派手ではない、やさしい花たち。かつて、数年前にこの美術館に来たときも、やはりこの花を見たのだっけ。記憶たちが重なり合う。黒い雲ではないけれど、そろそろ夕闇がはじまるころに。




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