Nicotto Town


うみきょんの どこにもあってここにいない


負から慌ただしく逃れたら、年の瀬の声が


今年のニュース。某自分のブログからの転載ですが…。

 ぼうっとしていたら、もう年末。毎年十二月の中旬ぐらいまではほぼ年の瀬の実感がない。ただ日が落ちるのが早くなったなと思うぐらい。わたしが出かける朝は朝といってもほぼ真夜中。朝五時前。星と満月過ぎの月が見えるばかり。
 中旬をすぎてもまだ、あまり実感がないけれど、クリスマスにむけて街が賑わいをいよいよ増すような気がする。ケーキ、オードブル、プレゼント、イルミネーション、ポインセチア、クリスマスリース。これらがすこしずつ装いに加速度を増してゆく、そのなかで、すこしだけ、私の心もようやく年の瀬を感じてゆくのだろう。
 イブを過ぎたら、街はとたんに年末になる。正月の準備であわただしく賑わいをみせてゆく。実感がいきなりやってくる。そんな風に毎年、暮れてゆく。

 十二月の下旬、いよいよ、両国にあるすみだ北斎美術館に行ってきた。今年平成二十八年十一月二十二日オープン。北斎美術館が出来ると知ったのは、いつだったろう。おそらく北斎を好きになってからすぐだ。オープンするまで、何年も楽しみにしていたものだった。開館当日に行きたいとまで思っていたと思う。
 そうだ、まだ暑い時期の、オープン前に美術館の外観まで見に行ったではなかったか。北斎生誕地近くにある、所縁も深いはずの美術館。それが何故だろう。実は間際になって、あまり行きたい気がしなくなってきた。その頃、さかんに美術館や北斎を紹介したり、特集する雑誌などが出てきていて、そのなかから、二冊ほど買ったことがあった。たぶん、その記事たちで、なにかを感じとったのだと思う。なにか負の部分を。基本的に紹介記事なので、いいことしか書いていなかったのだけれど。
 その負の部分とはなにか。行ってきた後の今もぼんやりとしかわからない。もちろん北斎に対する私のほとんど愛情に似た想いに変わりはない。だからこそ、負の部分を感じつつも重い腰をあげたのだが。ともかく、なにか美とは関わりのない、気配が漂っていたことに、ほとんどしずかな暗さすらおぼえてしまった。正体はわからない、けれども、なにかすこしの哀しみが漂っていた。
 実は、この文章も書くのに二の足を踏んでしまっていた。正体がわからないからではなく、大好きな北斎にまつわる、いや、北斎の絵と関わりがないものたちの放つ負に触れることをしたくなかったのだと思う。北斎には美のなかでのみ輝いていてほしい。あるいはわたしが北斎について書くことは、共鳴であったり驚愕であったり、肌がふれあうような美との接点だけにしたかった。それ以外のどんなことも…。
 いや、それではあまりに、美術館にたいして、扱いがよろしくないのではないだろうか。いいところもおそらくあった。第一、なにが悪いともわからないのだ。あまりに近代的すぎる豪奢な内装、外装に? デジタル化がすすんだ、温もりが感じられない説明に? 常設での、展示をそこねる、足元を走る青い、うるさい照明に? 真贋が危ぶまれている収蔵作品たちに? 区の名所の宣伝のためと化した展示に? 負のものたちをあげればきりがない。それらがもっと、闇を抱えていること、開館に対して、住民を含めた、あちこちからの反対、税金のむだづかい、それらを知ったのは美術館に出かけた後だったが(それも、知ろうとしてではなく、いつものようにここを書くにあたって何気に検索したら、すぐにそれらがヒットしたのだ)、そんなことも含んでいたのだと、ぼんやりと思う。
 そう、さっきから、この負の正体がわからないから、結局北斎のことを書かないでいる。それでも彼の作品にたいしては、いつものように、しみてくるものがあったのだ。ああ、これがみれて、これが感じられて良かったと思える出逢いがあったのだ。
 わたしは今、あるはざまでゆれている。作品に対して、いつものように感想を書き留めてみたいのだが、それを止めておきたいという思いも、ついぞわきあがってしまう。あの美術館に所蔵されているものにたいして、感想を書くということは、あの美術館の存在を認めてしまうことになるのでは…。そこまで、あそこに対して、こちらからも負の感情のようなものを抱えているのかと、文章にして気付き、すこし苦笑してしまう。
 展示を見てまわっているときから、頭によぎっていたのは、信州小布施の北斎館だった。ああ、あそこに以前、出かけていて本当に良かったと。あちらの北斎館はすくなくとも北斎に対する愛がそこかしこに感じられた。晩年の四年を門下の高井鴻山に招かれ、小布施で過ごしたという縁による美術館。晩年のほんの一時期だ。街おこしにしても、北斎、そして高井鴻山に対する愛着と敬意が感じられた。それがやわらかく町を包んでいた。あの気配のすがすがしさのなかで、あまたの肉筆画たちに出逢えたのは、ほんとうに幸せだった。たいして、すみだ北斎美術館のある墨田区は、生涯転居を繰り返した北斎が、そのほとんどを過ごした場所ではあるのだが…。
 あの負に対して、哀しみが漂うと感じられた理由はわかった。それは負のせいで、この先、この美術館で、北斎をみにいこうと思えないだろう、そのことにたいするものだった。大好きな北斎との仲をさくもの、それがわたしにとっての負でもあった。こうした考えは間違いかもしれないが、もうあそこで飾られた北斎は見に行く気になれない。北斎に会いに行く大切な機会が減ったことに対する哀しみだった。北斎がいつでも見れると楽しみにしていたのだが。
 日が暮れるのが早くなった。美術館を出たのが五時近くだったと思う。家の最寄駅についたのが六時ぐらいだったか。最寄駅だというのに、この駅に来るのもひさしぶりだった。近くにいるついでに、駅ビル内にある書店をのぞいたり、クリスマスグッズたちを見て回ったりする。家についたのはもう七時だった。日没の四時台から、まだそんなに経っていないような気がしたけれど、もうこんな時間かと、不思議になる。こんなふうに年も暮れるのだろう。クリスマス…と思っていたら、もう晦日の声でにぎやかで、あわただしくって。
 もうそれでも冬至はすぎたのだ。これから、また一日一日、日が長くなってゆく。
 美術館に行った翌日の夕暮れ。家の窓から夕陽に染まる富士が見えた。これも北斎の赤富士(《富嶽三十六景 凱風快晴》)かしら。そんなことを想ったかどうか。




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