Nicotto Town


うみきょんの どこにもあってここにいない


きらきら、町田縄文をよむ その2

仮想タウンでキラキラを集めました。

2019/08/12
キラキラ
集めた場所 個数
ヒツジ学園 15
ペット海浜公園 4


きらきら、羊、ペット

町田市の町田市民文学館ことばらんど「縄文土器をよむ 文字のない時代からのメッセージ」(二〇一九年七月二〇日─九月二三日)に行ったときのこと
続きです。

 展覧会は、ことばらんどで扱うから、最古のことば、文字のなかった時代の土器が土偶に、ことばを見出そうとするという、一環した、テーマにそったものとなっている。
 展示は三部構成、一部は「縄文時代の表現」。そのなかでも章立てされ、最初は「縄文土器の装飾」。はいってすぐに、惹かれている系列の縄文土器があった。縄文中期(約五三〇〇年前)の深鉢で忠生遺跡B地区(根岸町)。キャプションには「頭にヘビを乗せた想像上の動物?精霊?」とあったが、どうなのだろう。正面といっていいのかわからないが、それっぽいとして、顔のようなものとうねうねとしたヘビっぽいものが複雑にからみあっている。後ろはヘビの尾のようにも見えるが、やはりそう断言してはこぼれてしまうものたちがあまりにも多い装飾がほどこされている。
 わたしが惹かれている系列と書いたのは、二〇一八年に東京国立博物館の縄文展で見た《顔面取手付釣手土器》(長野県伊那市御殿場遺跡出土、縄文時代中期)や、『縄文聖地巡礼』(坂本龍一・中沢新一、(株)木楽社、二〇一〇年)に載っていた《人面香炉形土器》(曽利遺跡出土、縄文時代中期、井戸尻考古館蔵)だ。表がおだやかな女性らしい姿で、裏がたくさんのヘビがうごめいているような怖さがあり、表と裏で趣がまったく違うもの。なのにひとつの土器として破綻なく、凝縮の存在としてそこにある……。
 どこかでも引用したが、好きな言葉なので、また前掲書から。「縄文の人たちは、美人を見ても、同時にその後ろに蛇を見る感覚をもっていた(中沢)」。
 今回見た深鉢はそれほど明確に裏と表で分かれてはいないが、異質なものたちが混在しているという点では同質だと感じた。静と動、昼と夜、死と生……。分離しないものたちが、土器のなかでうごめいている。

 「縄文時代の表現」のパネルに、「なぜ、縄文人はムダともおもえる装飾や模様を土器や土偶、石器などにつけたのでしょうか」とあった。たしかにコトバ的な要素がそこにあったのだろう。けれどもコトバ以上のものたちが、そこにはあった。文字がなかったからこそ、文字以上のもの、表現がエネルギーをときはなち、土器や土偶に凝縮していった。それはコトバ以上のなにかなのだ。
 日常で使ったであろう土器が、なぜあんなに装飾的なのか、なぜ惹かれるのだろうと、ながらく自分にも問いかけていた。
 それだけではないだろうけれど(断定のコトバからは何かがこぼれてしまうから)、ひとつには、異質たちが混在しているように、日常に非日常的なものが混在している、その在り方に惹かれているのではなかったか。
 展覧会では、このあと、土器や土偶の展示が続き、装飾について考察されている。ヘビやイノシシ、トリの顔、数字の概念、植物、幾何学的模様……。どれも解説のコトバとしてしまうとそうかしら?と思うものもあったが、土器や土偶としては、しみるものが多かった。
 ところで、個人的なことを。縄文関係の展示などで、よく勝坂式土器ということばを眼にしていた。加曽利式土器のような、時代や場所、特徴を表わす分類の一つなのだろうなと思っていた。そのとおりなのだが、「勝坂式と呼ばれる中期(約五〇〇〇年前)の土器には、動物や植物をモチーフにしたものや、円形、三角形、方形、渦巻など幾何学的なものも多くみられます」とパネルにあった。
 あとでウィキペディアを見たら、「関東地方及び中部地方の縄文時代中期前半の土器型式名もしくは様式名」で、「隆帯で楕円形を繰り返す文様など通時的な変化を追えるものもあるが、器全体を豪壮、雄大な造形で表現することに特色があり、動物、人物などの顔面把手、蛇を模した把手などがつけられる土器は特徴的である」とあった。
 わたしが惹かれる系列のものたちは、勝坂式のものが多かったのだ。

この項続きます(3000字オーバーなので…)

いつも読んでくださって、ありがとうございます。




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