Nicotto Town


うみきょんの どこにもあってここにいない


きらきら、命なりけり、小夜の横浜 その2

仮想タウンでキラキラを集めました。

2019/12/25
キラキラ
集めた場所 個数
ショップ広場 5
ゲーム広場 10


キラキラ、ゲームショップ、ツナサバ。
きょうはクリスマス。


神奈川県立歴史博物館【縄文と弥生】続き。

 先に言うと、この転換期で見えてきたことというのは、神奈川の遺跡の状態から、それまで集団で暮らしてきた形を、小さな集団に分散していったとか、食べているものがクルミが主食だったのが、気候の寒冷化により、トチノキやドングリ、クリなどが加わってきたことなど。
 また縄文時代晩期後半には、東北南部から中部、北陸、関東のあたりで、浮線文土器が分布しているとのことで、発掘されたそれらの土器の展示があった。
 器を削り、浮き出た細隆線で模様を表わしたもので、弥生式土器の成立に影響を与えたものであるとか。
 ちなみにこのあたりの情報は、展覧会会場で紹介されていたことだが、企画展示室にはいってすぐに、三〇頁もある写真も満載のパンフレットを頂いたのだが、そこにも載っていたこと。図録というか、うれしい記念品になった。
 ただ、これはもう、ほんとうに勝手な、趣味的な見方をしているからとしか言いようがない、そのことをすこし我ながら情けなく思ってしまうのだが、個人的には展示されている縄文土器たちに、その土器としてのたたずまいに、あまり感動することがなかった。もともと弥生式土器などにも、思い入れがないこともあるだろう。なんというか、実用に重きを置きつつあるというか。あの縄文時代中期ぐらいの、装飾過多ともいうべき、美しさ、実用に反しているのではと思えるほどの想像力が、少なくなってきているように思えたのだ。あるいはほかに表現の手段が移っていったのだろうか。縄文土器や土偶に込められた一点集中的な表現が、どこかへ比重を移したのかもしれない。
 展示された土偶のところに説明があったが、縄文時代は祭祀などで使われていたであろう土偶だったが、弥生時代前期後半の土偶形容器は、新生児の骨を収めたものだったという。勝手なことをいうかもしれないが、生と死の境目のないところでの(両方を含んだ)祈りだったものが、ほとんど死のほうへ傾き、境目のなさから、一線をすこしだけ画したもの(まだ土偶の形態は妊婦的な女性だったから)、ということになるのだろうかと思った。
 ただ、そうした表現と別のところで、展示された浮線文土器のなかに、内底部に、黒くなり、使われた跡がおびただしいものがあった。これには心惹かれた。生活の痕跡のような気がした。

 歴史的な建物のなか、今度は常設展へ。神奈川の縄文から今へ…ということなのだろうか。ここでも勝手な見物人なので、縄文時代ばかりに見入ってしまう。この展示は良かった。ここに来て、ああ、やっと縄文時代の土器や土偶たちに会えたなあと、我ながら、わがままだなと思いつつ、一息ついてしまった。
 「日本最大級の縄文の「あたま」」(公田ジョウロ塚遺跡出土、縄文時代中期(約五〇〇〇年前))だという、土器の一部なのか土偶のそれなのか、おそらく顔面把手なのではという、ともかくあたまだけのもの…。山梨や長野で見られた土偶や土器と表情がつうじる、おだやかな、ぬくもりのある、不思議な笑みをたたえてすらみえる「あたま」。そして「立体的な造型が施された縄文土器」(横浜市内、縄文時代中期、高津コレクション)の、装飾たちの立ち上がったような表現への愛しさ。「あたま」近くに展示されていた土偶たちにも、心が惹かれた。やっと、ここで、いつもの土偶に会えたとどこかで感じた。
 名残惜しかったが、博物館を後にした。時刻は三時半、四時近かっただろうか。あまり地図的なものをみなかったが、このあたりは海が近いはずだ。今年最後の海をみたいなと、なんとなく、海っぽいほうへ向かう。方向音痴なのに、なんとなく、気配を感じた。大海原は望めないだろうが、運河的なものでいい、ともかく水を見たかった。
 あるいて五分、十分かからないうちに、海っぽいところに出た。建物たちで遮られて、水平線は見えない、だが充分だと思う。もうすでに夕焼けが始まりつつあった。横浜の海を見るにはふさわしい時間だとどこかで思っていた。それは夕方という時刻が、逢魔が時、過去と出会いやすい時であると、思っているせいだろうか。過去と現在が出会うにふさわしい、懐かしいような、さびしい時刻。わたしのなかの古い横浜が、そこに見え隠れしているようで。
 水のむこうに、観覧車が見えた。あれは……。もうずいぶん前だ。子どもの頃の記憶ではなく、だいぶ大人になってから。あの観覧車のなかで、キスしたことがあったっけ。
 「年たけてまた越ゆべしと思いきや命なりけり小夜の中山」(西行法師)だなあと、苦笑する。
 こんなに年月が経ってから、また同じところに、思いがけず来たなんて…。こんなことで思い浮かべられて、西行法師も迷惑かもしれないが。
 また水面に目を転じる。意外と水がきれいだ。岸辺近くでは、底まで見えるぐらい透明度がある。
 そして、さきほどから鳥たち…、都鳥だ、都鳥だ、白くって、赤い嘴で、群れをなして、鳴き声がカモメのそれ、美声とは言いがたい……、それが、飛び交っているのが目についた。先日、家の近くの野川で遭遇してから、もはやユリカモメではなく、わたしのなかでは、呼び名が都鳥となっているのが、おかしかったが、ともかく、都鳥たちが沢山いるのに、ちょっと興奮した。だが、すこし遠い。やっと近くまで来たなあと思ったら、すぐさま飛んでいってしまった。それでもたくさんの都鳥たちに会えてうれしかった。やはり、いくら野川のような、内陸まで飛んでくるとはいえ、本来は海辺で多く見られる子たちなのだろう。
 今年最後の縄文の展示、今年最後の海…。そして都鳥たち。彼らに会えてよかったと思いつつ、帰路へ。バイトの帰りだったし、繁忙期で疲れていたこともあって、帰りの電車は、乗っている時間は二〇分ほどだったが、ぐっすりと寝てしまった。そのあいだにどっぷりと夜。あたりは暗くなっていた。多摩川を横に見て、そして野川沿いに、自転車で家へ。命なりけり小夜の横浜、そして多摩川、野川。

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