Nicotto Town


うみきょんの どこにもあってここにいない


二宮考古館へ、やっと…その2

仮想タウンでキラキラを集めました。

2020/06/25
キラキラ
集めた場所 個数
ショップ広場 10
展望広場 3


(二宮考古館の続きです。)

 あきる野市内には、秋留台地を中心に流れる秋川と平井川の流域を中心に、旧石器時代から中世までの多数の遺跡が分布しており、二宮考古館では、そこからの出土である土器や石器を展示している。
 目当ては縄文時代、縄文土器たち。触らなくとも、見ただけでなんとなく質感が、彼らの手が感じられる。この感触も久しぶりだ。土器片、特に中期(五〇〇〇年から四〇〇〇年前)のもの。このあたりでも、最も栄えた時期で、出土品も多いらしい。人の顔や蛇やイノシシのような装飾のある勝坂式土器、胴部が鐘のような形で口がややひろい加曾利式土器などがあった。
 獣面把手(土器の口縁部につけられた獣の頭部のような装飾の把手)の部分たちはイノシシが多い。力を持つ獣だったからだと、どこかで読んだ。蛇のような形の把手もある。そして代継遺跡出土の顔面把手。こちらは山梨や長野のものと似ている。口も目も孔で表現されている人の頭部。髪は装飾的だ。土偶の顔よりも穏やかに感じられるのは気のせいだろうか。有孔鍔付土器もあった。口縁部下に鍔状に隆起した帯と、小さな孔が開けられているもので、ここにあるものは、門口遺跡出土のものだが、後ろの参考写真は長野県藤内遺跡出土のものだった。拡げた両腕のような文様。
 町田市の本町田遺跡の顔面取手土器の一部の解説として、「現在の長野県や山梨県にあたる地域の縄文時代中期の人々が土器の一部として作り始めたと考えられています」とあり、水子貝塚資料館では、羽沢遺跡出土縄文土器のキャプションに「この土器と同じ「猪」の装飾の付いた土器は、(中略)甲府盆地から相模原台地、多摩丘陵が分布の中心です。また胎土には甲府盆地の土器の特徴である金色の雲母を含んでいます。これらのことからこの土器は甲府盆地周辺からの搬入品と思われます」とあった。似ているなと思ったとき、このことが頭に浮かんだが、そうした、いつも縄文土器などを見ているときのとりとめのない思念の流れが確認できて、それがすこしうれしかった。土器たちをながめ、あれこれ思い、土器の手触りのようなものを想像する、彼らの姿をどこかで感じる。こうしたことがまた出来るようになって、そのことが。
 わたしはこの長野・山梨系の土器が好きなのだなと改めて思う。好きというのとは少し違うかもしれない。縄文時代にあまり興味がなかった二十代の頃、山梨の釈迦堂遺跡博物館にいったことがある。桃を見に行ったのか、山梨のワインを飲みに行ったのか。ともかく顔面把手や獣面把手をみたことが記憶のどこかにあるのかもしれない。あるいは自分が住んでいる場所あたりからの出土品たちということで、なにか共感のようなものを感じているのかもしれない。
 二宮考古館では、資料的なもの、図録のようなもの、あまりよく探さなかったが見当たらない。リーフレットを頂いてくる。二宮森腰遺跡出土の土偶は人が手を高めに拡げたYの字になっているのだが、それが表紙で、「ようこそ!」とある。諸手をあげて迎えてくれるようでほほえましい。
 二宮神社に寄って帰路へ。帰りの道も混んでいた。やはり行きと同じように二時間かかり、買い物などもしたので、家に着いたのは七時すこし前ぐらいだった、まだ空が暮れ残っている。また少しずつ、日が短くなってゆくのだなとぼんやりと思う。




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