最近の通り名は「アニメの殿堂」かな?
- カテゴリ:ニュース
- 2009/06/20 23:26:08
※いつも来てくださる方からの質問への回答の為に、まとめた
資料を、ブログ記事に編集しなおしてアップしています。
仮名称の<国立メディア芸術総合センター>の事を
「国立のマンガ図書館」とか「アニメの殿堂」とか「漫画の殿堂」等々
好き勝手に呼ばれていますが、どれも、的外れな名称といえます。
性質として一番近い名称は、仮名称である
<国立メディア芸術総合センター>だと思われるので、
以下、この名称で統一します。
<国立メディア芸術総合センター>は、
文化庁のメディア芸術祭から波及した話です。
メディア芸術祭って何?と
思われる方は、↓コチラを参照して下さい。
「文化庁メディア芸術プラザ」
http://plaza.bunka.go.jp/festival/2008/outline/
http://plaza.bunka.go.jp/festival/2008/winner.php
メディア芸術祭は、毎年行われているものとは言え、一定期間しか
展示されないので、常設展示できる場所を!と望まれて、
<国立メディア芸術総合センター>という構想になりました。
【いわゆる箱物批判にあたるのか?】
メディア芸術祭への応募数は、毎年増えていますし、入場者数も
短い期間にも関わらず、確実に増やしています。
このことから、<国立メディア芸術総合センター>は、所謂、箱物は
国が作りますが、管理運営は外部委託で、必要な財源は自己収入
で賄うことになっています。
なので、今まであった箱物批判と同列に扱うのは、私は不適切な事
だと思います。
【そんな事よりも的な批判】
<国立メディア芸術総合センター>への批判として、
”そんな事よりも○○の方が問題”というものがあります。
よくあげられるのは、デジタルメディアの著作権問題や、アニメータ
ーの賃金問題でしょうか。
確かに、これらの問題は目に余るものがあります。
ですが、比較対照として扱う問題ではないと私は考えます。
何故なら、根本的な問題が同じところにあると考えているからです。
それは、”文化資産”であるという認識が浸透していない、という背景
があるからこその問題だと思うのです。
<国立メディア芸術総合センター>は、
メディア芸術が、日本の”文化資産”だということを、海外へ発信する
ことが出来る施設であり、それによって、海外評価が高まれば、日本
国内での、”文化資産”意識も高まることに繋がるでしょう。
日本人が自発的に、メディア芸術が、日本の”文化資産”だと認識し
てくれれば、諸問題は深刻化しないですむのですが、残念ながら、
海外からの評価という、目に見える形での高評価が無ければ、自己
認識はなかなか変わらない、という現状があります。
そういう意味から見ても、<国立メディア芸術総合センター>は、
価値のある、建物に出来るものだと期待が出来ます。
>大田は、そんなものなくてもやっていくのが芸だとかいってましたが。
まぁ、彼は芸人なんで、そういう方面にいっちゃうんでしょうね。
だったら、真面目ぶって議論っぽい事なんてして欲しくないんですが、
彼自身も商品なんで、仕方ないのかもしれませんね。
>土曜の日経の文化蘭に、この話し載ってました。
>大体ここでのさわりの話です。
そうですか。・・・ため息ですね。
素人でもきちんと調べれば分かる話までも記事にしないのは、それだけ
【事実】は、売り物にならないという風潮なんでしょうね。
そんなことをやっていて、新聞が売れなくなったと嘆いているんですから、
実にバカバカしい話だと思います。
>長く議論が枝になったので、コメントは板を改めます。
わかりました。
また、よろしくお願いします。
はーー。
土曜の日経の文化蘭に、この話し載ってました。
大体ここでのさわりの話です。
世間はそれほどに詰まった話になっていない。
長く議論が枝になったので、コメントは板を改めます。
>なんとなく麻生叩きに直結してる気がしてなりません。
そうなんですよね。
彼らには、自身らが、「なんとなく」という、根拠とは言えない根拠で、
人を非難しているという事に、早く気付いて欲しいと思っています。
>太田総理のいいっぷりにブチギレそうになりましたよ・・・;
某番組は、偏向マスメディアの一端を担っている番組のようなので、
「あおる」事が、視聴率を上げるための手段になっているんですよね。
で、爆笑問題の太田氏は、印象でモノを言うのが商売らしいのか、
無根拠に批判しているし、番組内での議題内容の説明も正確じゃ
ないことから、私は、ココのところ、その某番組を見ていませんでした。
太田氏は、何を言われたのでしょうか?
「国立のマンガ図書館」とか「アニメの殿堂」とか「漫画の殿堂」・・・
麻生さんがマンガ好きで、自分本位に立てようとしてると
思い込んでる人が多いので嘆かわしく思います。
なんとなく麻生叩きに直結してる気がしてなりません。
あと、太田総理のいいっぷりにブチギレそうになりましたよ・・・;
>立場や内容に応じて、やれることをやればよい
言うまでも無い事ですが、まったくその通りだと思います。
>その点はお気にされなくて大丈夫ですww
安心しました(^^)
>公共的な文化事業は、
>評価基準自体を、一方でその多元性と柔軟性を、他方でしかし相対的な一般性を確保する、
>しかも社会的な対費用効果も確保する、というアクロバットを強いられる。
そうなんですよね。
こういう無茶な要求をしているという自覚ナシに、好き勝手な要求をしていては、
肝心の方向性を見失ってしまうので、私たちは全体のバランスを考えた判断を
しなければ、なりませんよね。
>だからこそ、逆に言えば、
>そうした交流が可能な場として、こうした施設が生かされれば、とは、思うのですけどね。
まったくもって、同感です。
まず陽猫さんの 「嘆くばかりだという状況であるなら、私としては、それは如何なものか」
というのは、まったくその通りだと思うのです。
ただ、「社会的行為」 ということに関しては、様々な形があるので、
いわゆるカッコ付きの 「政治・社会活動」 だけでなく、
著作や教育活動もまた、ゆっくりとであれ人に影響を与え、世を動かすものですから、
立場や内容に応じて、やれることをやればよい、とは思いますが、これは言うまでもないことですね。
で、ナイショ話なのですがw この件に関わっている知り合い筋、
詩蘭としても問題感じる方々なのでw その点はお気にされなくて大丈夫ですww
他方、DAIさんの言うように
>民間と同じことをすると競業批判が起こり、民のしない官業に徹すると不採算批判が起きる
という点は大きなポイントの一つですね。
ただし、具体的に介入するとなると、今の手持ちの素材では素人談義以上のオシャベリできそうもないですけど。
いずれにせよ、ハー・アートであれポピュラー・アートであれ、文化的価値というのは、
その基準が、徹底的に相対的なものだし、
まして今日では、価値観が、時間軸でも空間軸でも垂直軸でも多様化している。
そんな中で、公共的な文化事業は、
評価基準自体を、一方でその多元性と柔軟性を、他方でしかし相対的な一般性を確保する、
しかも社会的な対費用効果も確保する、というアクロバットを強いられる。
市場も、冷戦体制崩壊後の、このマルチカルチュラルな状況では、
神の手に頼ることもできなくなってきた、というか、神自体も諸文化の神々の争いに巻き込まれていて…
著作権も、電子メディア時代になって、
物的希少価値をstandardとする従来の発想は根底的に再審に付されつつあるし。
だからこそ、逆に言えば、
そうした交流が可能な場として、こうした施設が生かされれば、とは、思うのですけどね。
うーん、押井守氏は力不足なような気がします。
まぁ、だからと言って、誰が良いというほど、その業界に精通しているわけではありませんけれど。
それはともかく、こちらは
>行政の役割とは、民間の経済的付加価値創造のプロセスを高めることだ、とdaiは思います。
興味深い、視点だと思います。
行政に何をさせるか、というのは、我々の意思次第ですので、こういう役割を担わせる事も
ありだと私は思います。
ただ、例題を読ませていただくと、著作者の権利の部分が蔑ろにされているように感じました
ので、そのあたりが、「割の良い話」になると、もっと具体化させられるんじゃないかと思いま
した。
究極的には、何が行政の役割[ここでは政府主導のメディア文化の強化]というコンセンサスを得ることです。ここで、行政主導はありえず、少なくとも未来の予測ができる人をパラダイムシフトな思想をもつ人が引っ張って欲しいところです。アニメなら押井守なんかうってつけではないでしょうか?
問題は、西川郵政問題[日向ねこがこの問題について考えた記事を書いてくれるとうれしい]も同じところがあって、民間と同じことをすると競業批判が起こり、民のしない官業に徹すると不採算批判が起きるのです。それで、なんとなく煮え切らない展示会を、少しの赤字を垂れ流して、いいものもたくさんあるのに粛々とやるという感じになるのです。
行政の役割とは、民間の経済的付加価値創造のプロセスを高めることだ、とdaiは思います。
例えば、アニメのコンテストをやって、賞金を10億にしたとします。で、教育とか商業的成功とか度外視した、すごい作品を選考しにいきます。で、この興行収入を国の収入にして、作品の所有権を1000くらいに分散し、所有者には印税と、公開する権利を与えます。頒布する場合は、他の所有者に印税を払います。で、権利を売買する相対市場を美術館のネットに作り、市場価値を形成します。
絵画とか漫画の元絵の一品モノも同じで、美術館で買うことで、作家の市場価値が上がったり、作品の価値が上がる作品を選んで、人を集めて収益にし、権利を細分化して転売し、リスクを減らすと同時に、作品の価値が上がる方法をとります。一品モノは、展示のときに美術館においておく占有条項を付帯します。
必要な批判というのは、よくしてゆくための批判であって、
潰すための非難ではないということです。
同時代のみんなが納得できるものを作っては、
文化施設はうまく行かないです。
どう話せばいいのか。。。
まず、行政的に権威を持っていて、現場に詳しい専門家
なんて、皆無だと思った方が良いです。
(そんな人がいるなら、こんな状況にはなっていないでしょう)
その上で、現状を生み出しているのは、こういう風に
>そうした人文系専門家の見解などまるで届かない、
>どこか別の領域で、既に、何かが定まってしまっていて、その実態は見えない。
と、思って何も動こうとしない(結果的に動けないのかもし
れませんが)、現場の人達なんです。
詩蘭さんのお友達を悪く言う気はないのですが、
【誰かが声を上げて行動しなければ、何も変わらない】
それが行政です。
だから、現場が動こうとしなければ、何にも変わらないのは当然で、
行政に動いて欲しければ、現場が行動を起すしかないんですよね。
今回の、国立メディア芸術総合センター構想が、具体化したのは、
現場サイドからの働きかけと、いろいろな思惑によって賛成する人達
の力があったからこそで、「鶴の一声」で突然話が出てきたってわけ
ではないのですから、そういう動きを目の当たりにしながらも、
現場の人達が、”基礎的な文化環境の(西欧に比した)未熟さ”を
嘆くばかりだという状況であるなら、私としては、それは如何なものか
と、思うのです。
そうなんですね。詩蘭などは、この件自体にはまるで門外漢なので、
行政事情については陽猫さんよりも、全然分らないし、
ただ、人文系の事情について、直接情報も含め、いくらか別の背景が見えるだけなのです。
そして、周囲の関係者たちでさえも、
自分たちも関わっているのに、誰に何を言えば何が変わるのかが分らないと言っているw
(まあ、専門家と言っても人文系研究者など、行政的にはまるで権威などない人たちですから)。
そうした人文系専門家の見解などまるで届かない、
どこか別の領域で、既に、何かが定まってしまっていて、その実態は見えない。
他方、一般の人々に、直接的な利害が関わらない人文系の事例ということで、
一般の人々には、予算分配問題としてしか姿を捉えられない。
文化系行政問題には、こうした独特の見えにくさがありますね。
より広い問題としては、
バブル期に計画され、その後、各地で乱造された美術館問題というのがあって、
その乱造された文化施設に、
これもバブル期以降の学部再編などで急遽、粗製乱造された即席学芸員がばら撒かれた、
という問題が、これは専門家筋で、しばしば大きな問題となっているのです。
コレはさらに、美術からアニメなどのアート市場の問題と絡み合って、
そこにはさらに加えて、ここ10数年の中国を中心とした東アジア市場の爆発的拡大
(と、昨夏以降の激減速)なども絡んでくるのですが、
ここでも、伝統的な地盤が堅牢なヨーロッパ文化に対して、
急作りのアジアの文化市場・文化政策の幼稚さが、様々な問題を生んでいる…etc.
そうした諸問題を、あの文化センター問題は象徴している面があるようなのです。
どちらへ転ぶにしても、この問題、この国の、基礎的な文化環境の(西欧に比した)未熟さを、
一段、鍛える課題、としては、機能しそうですけれど…w
>公開できない裏ネタも色々入ってきちゃって、コメントむずかしいww
わかりました。
でも、コメントできる範囲で、よろしくお願いしますね。
>総合的に検討すべき課題が、いくらでもありそうです。
このあたりが、しろうと判断できない部分になるんですよね。
既存施設の問題点って、具体的にどうすれば解決できるのかって話は
あるのでしょうか?
>最善の方向を見出して欲しいと思いますけれど。
ええ、本当に、そうですね。
ただ、なんと言いますか、今の問題点って、軌道修正できないところにあると
思いませんか?
「運営があまりに貧寒で、無駄が多く」ても、やっていけるのは、資金投入が
あるからで、【必要だから】に胡坐をかいているのは誰なんでしょうか?
根本問題に対しての具体的な対策を取ることが、後手後手に回っているって
現状を、誰一人変えられない。
その事が一番の問題なのに、どうも、それが蔑ろにされているようで、私には
納得できない部分です。
公開できない裏ネタも色々入ってきちゃって、コメントむずかしいww
欧米諸国に比べると、日本の文化資産意識は、官民ともに実に低いのは間違いないですね。
(伝統的な文化資産自体は、驚異的なレベルのものが無数にあるにも関わらず)。
>日本人が自発的に、メディア芸術が、日本の”文化資産”だと認識
することは、おっしゃるとおり重要なことだと思いますし、
そのための施設や制度が整備されることも必要だと思います。
ただ、件のセンターに関しては、
一つには、やはり裏で利権問題がすでに発生し、その駆け引きが怪しいこと、
もう一つは、既存の美術・文化施設の運営があまりに貧寒で、無駄が多く、
東京圏の施設を活用すれば、今回の企画くらいのものは十分に吸収できるどころか、
それでも、木場の現代美術館はじめ、既存施設の運営には問題が多く、
そうした面も含め、総合的に検討すべき課題が、いくらでもありそうです。
時期的に、タイミングがとても良くなかったけれど、
その点でも、もう少し時間をかけて、最善の方向を見出して欲しいと思いますけれど。
>物価指数と成功報酬が、あまりにもかけ離れているのは問題です。
そうなんですよね。
そこのところは、改善されるべき問題だと私も考えます。
>「子供向け」と世間が侮るのは勝手だが
>民主主義の根底に関わる
>「表現の自由」等もちゃんと議論したのか
>これからも、時々チクリチクリと指摘してやる。
そうですね。
内容に踏み込まない、イメージを元にした批判は、批判として
成り立っていないのだということは、もっと世間に浸透してほし
い感覚ですよね。
>メディア芸術総合センターを仮想化空間の中に作って、商業ベースに
>載らないのに収蔵の価値のある作品、過去の良作は、上限を設けて
>印税を運営経費にしたらどうでしょう。
うん、面白いと思いますよ。そういう方面もあっても良いと思います。
ただ、メディア芸術総合センター構想の中には、誰でも簡単に体験でき
るというものがありますから、そちら方面の事を考えると、仮想空間だけ
では、実現できないとも考えます。
>DAI的には、インタラクティビティや、人の移動の動作自体を制作物
>の中に埋め込んでいるメディア文化は、根本的なパラダイムシフト
>が潜んでいる気がするんです。ちなみにDAIは、複製可能メディアの
>管理にはかなり詳しいです。
面白そうな話ですね。
是非、レクチャーをお願いします!
>文化振興政策なんて、叩けばいいんだと思いますよ。つまらないものはね。
まぁ、良いものを作り上げる為の批判なら、私も必要だと思いますよ。
でも、現実に即していない、批判の為の批判なら、不必要だと思います。
今のところ批判の声が、前者よりも後者の色合いが強いので、だから私は政府
案よりの発言の方が多くなってしまうのですが、批判が不必要だとは考えていな
いですよ。
>それに政府が乗り出そうというなら、半端なものではいかんですお。絶対に
>半端なものをやったらいかんのです。そのてんで、批判は必要なんです。
えっと、「ニーズは育てた結果」だというのは、分かります。
また、政府のお墨付きというのは、権威を与える行為ですから、乗り出す事に
慎重さを求めるのも分かりますし、政府が口を出しすぎると返って停滞する事
に繋がるって批判もわかります。
でも、それと、
「絶対に半端なものをやったらいかんのです。そのてんで、批判は必要なんです。」
というのが、私の中でつながらないです。
もうちょっと、説明をお願いします。
資本主義の恩恵が「芸」や「文化」は受けづらい。
社会体制の違う国(旧ソ連や中国)なら表面化し難いけど
物価指数と成功報酬が、あまりにもかけ離れているのは問題です。
「子供向け」と世間が侮るのは勝手だが
民主主義の根底に関わる
「表現の自由」等もちゃんと議論したのか
これからも、時々チクリチクリと指摘してやる。
大阪芸大とか精華大がやってる学部とかに、少しヒントがあるようです。
メディア芸術総合センターを仮想化空間の中に作って、商業ベースに載らないのに収蔵の価値のある作品、過去の良作は、上限を設けて印税を運営経費にしたらどうでしょう。
DAI的には、インタラクティビティや、人の移動の動作自体を制作物の中に埋め込んでいるメディア文化は、根本的なパラダイムシフトが潜んでいる気がするんです。ちなみにDAIは、複製可能メディアの管理にはかなり詳しいです。
文化振興政策なんて、叩けばいいんだと思いますよ。つまらないものはね。
>好きでやっている人たちの能力を搾取している側しか儲からないって構造
は、やっぱり、おかしいと思いますもの。
だからこそ、彼らの実力を公平に評価出来る場は、もっとあっても良いと
私は思います。
非常に共感します。
憧れ産業だから賃金を買い叩いてしょうがないというのは、典型的な資本主義勘違いの発想と思います。学問にしても産業にしても、日本は何でも外国からきますから、そういう発想になりますけど、学問も産業も、国の中にあったアクティビティに格を与えた結果なんですよ。ニーズっていうのは落ちてるんじゃなくて、育てた結果なんです。
それに政府が乗り出そうというなら、半端なものではいかんですお。絶対に半端なものをやったらいかんのです。そのてんで、批判は必要なんです。
>文化振興政策にぶら下がっている人たちって、感覚的には進歩的というか、
>左寄りの人たちが多いような気がするしね。
ええ、どうもそのようですね。
>アニメーターとかの、制作の末端部分の人たちの待遇に関しては、構造的
>にある程度しょうがない部分があるかなと思います。
うーん、”あこがれの分野”では、構造的にある程度しょうがない部分があると
言われる気持ちはわかりますし、私自身もそういう風に感じる部分もあります。
どういえば良いのか。
商業的にこれだけ注目度が高い分野なのに、アニメーターとかの、制作の
末端部分の人たちの待遇が、いつまでも、能力と体力の切り売り状態であ
るというものに、私は、需要と供給のバランスとして、問題を感じているんで
すよね。
好きでやっている人たちの能力を搾取している側しか儲からないって構造
は、やっぱり、おかしいと思いますもの。
だからこそ、彼らの実力を公平に評価出来る場は、もっとあっても良いと
私は思います。
>日本の漫画やアニメには、世界に誇れるものが、
>たくさん育ってきたと思っています。
ええ、私もそう思います。
「文化庁メディア芸術プラザ」のページを見ると、
私たちが見知った作品が多くて、改めて、彼らの技術に感嘆
しますね。
文化振興って、よっぽどのことがない限り、叩かれにくいものかもしれませんね。
マスコミも政府の文化振興政策の恩恵にあずかっている部分あるし。
文化振興政策にぶら下がっている人たちって、感覚的には進歩的というか、
左寄りの人たちが多いような気がするしね。
話がそれますが、
アニメーターとかの、制作の末端部分の人たちの待遇に関しては、構造的にある程度
しょうがない部分があるかなと思います。
割とみんな「やりたい!!」と思って入ってくるあこがれの分野で、って考えると、
劇団員やバンドマンと同じようなものかなって。
に少なからず期待しています。
日本の漫画やアニメには、世界に誇れるものが、
たくさん育ってきたと思っています。
>TV局がやけに静かだな。
そうですね。
先日行った党首討論の中で、民主鳩山氏が、箱物批判論から人の命大事論へと
展開している部分も、スルーしていましたしね。
やっと、今までと性質が違うものだとの認識が出来てきたのでしょうかねぇ???
ん?どうした?
いつものようにニュースで批判したらどうだ?
その、古い価値観で。