Nicotto Town


ふぉーすがともにあらんことを、あなたにも。


情報重商主義と植民地主義

精神的重商主義というのを思いついたのですが、

精神(情報空間)の押し売りで精神的な領域を
広げようというものです。

情報空間の単位がお金だったり、金だったり
するのなら、

それの大量取得と押し売りが目的です。

レバレッジ(てこ)をかける方法とも言えそうですが、
例えば、ゲームに詳しくなりたいから関連本やゲームソフトを
いっぱい調達するということを指します。

情報の素を大量に仕入れたのですから、
その後に得る情報も膨大になります。

その情報の値は元の値に近相似的になります。

つまり、フラクタルなのですね。
小さい6が元の情報なら、
大きな6が事後に取得できる情報です。

人間はそもそも情報を食い物に生きています。

物理空間での体を維持するのは
確かに食べ物ですが、

その食べ物ですら
厳しく情報空間に管理されています。

つまり、何が食べたいとか
何がおいしいとか。

嫌いなものを食べようなんて人は
あまりいませんね。

この世に溢れる情報は、
すべて情報です。

それらの一つ一つを単位に置き換えた場合、
情報を大量に輸出→それを元手に大量の情報を
得ることが可能なのです。

情報は現代においてすべての糧です。

情報なくしては生きてはいけません。

その情報のやりくりの仕方なのですが、
これは次のようにも言い換えられます。

私が情報あげるから、あなたも情報ください。


この情報の単位に重みをもたせる考え方が
情報重商主義なのですが、

この重商主義の行先は
情報植民地主義になるかもしれません。

物理的な物資とは違い、
情報空間で植民地を作ってもなんにも迷惑になりません。

例えばどっかの店に通い詰めるのも、
ある意味情報植民地主義です。

どこかに情報空間で利殖することによって、
定期的に情報を得ようというものです。

例えるなら、

月いくらか払ってメルマガを取り寄せるのと一緒です。
この情報重商主義と情報植民地主義は、

ひとつの点で共通しています。

それは、誰にも迷惑をかけずに情報を得られるということ。

情報は、取得しないのが迷惑になります。
そこに転がっているものを見ようとしないのなら、
情報的に迷惑なのです。

その取得の方法は、
物理的に迷惑をかけない方法なら
いくらでも幅があります。

資本や金融では奸雄扱いの重商主義や植民地主義ですが、
それを未開の情報空間に応用するなら
多大な利益が得られることでしょう。

例えばの話、

ガソリンスタンドにかっこいい店員さんがいるから
そこに通い詰める、というのは

情報植民地主義的な考え方です。

利益が得られるところに、利殖するというものです。


おいしいコーヒーをみつけたから、
それをできるだけ多くの人に紹介する

というのは

情報重商主義的な考え方です。

これがモノならインフレを招き、物理的限界も
となるわけですが、

情報空間の価値ですから無限大に作れます。

それこそ、情報空間の価値は
己のスペースが許す限りいくらでも作っていいのです。

雑誌を切り抜くというのは、
情報空間的に政策をリストアップして
それをコレクションするのと一緒です。

規模が違うだけで、
やっていることは一緒なのです。

情報空間的には、
できるだけ集めて
元の情報との差分が利益になります。

つまり、自分の知識です。

知識があれば、なんでもできます。

それこそ、知識だけで
肉体では出来ないことも可能なのです。

そういう面でいくと、
情報空間でのインフレというのは

正しく変換すれば
物理的なパワーに直結するぐらい
情報空間でのパワーに変換することが
できるのです。

ちょうど好きな人をみるとやる気がでるのと
一緒です。

好きな人をみると、
一時的に脳内では情報が
インフレを起こします。

頭がいっぱい
というやつですね。

もし情報空間だけを頼りに生きるのなら、
それこそ一生好きな人をみているだけでもいいのです。

物理空間の作業も伴いますから、
多少は物理空間のことも
しなければいけませんが。

以上のように、
情報空間での操作は
莫大な情報を生み出す可能性があります。

“一人政策転換”

みたいな大規模改革に着手されては
どうでしょうか。

アバター
2013/07/19 19:26
情報というのは、あらゆる意味で情報なのです。

感情・ルール・意思

すべて人間の脳では、情報として扱われています。

私が取り扱ったのは、
情報取引なので

基本的に脳で処理することを前提とした
方法です。

なので、感情とか処理の段階を入れた
論にはなっていません。

あくまでも、人間がその人の情報空間を
主体的に処理することが前提になっています。

逆に言うと、無駄な情報なんてない
というのが前提になっています。

無駄に思える情報でも、
場合によってはどっかで関係しているかも
しれない。

場合によっては、まったく違う方法から
その関係性を解くことを編み出すことも
可能なのです。

情報というのは、ここではすべての事象を
包括的に取り扱った言葉です。

なので、嫌味・妬み・憎しみ・喜び・幸福
すべて情報です。

人間の脳では、すべて情報として取り扱われています。
その情報に、優先順位とか付加情報がついているだけ
なのです。

情報空間という言葉は、
世の中のすべての事象を包摂しています。

抽象度(ものごとの段階的視点の高さ)で見ると、
情報というのはすべての概念を包摂しています。

その上に空というものもあるのですが、
詳しくは苫米地英人氏の著書をご覧下さいb

ここで扱った情報とは、すべての情報のことです。
人間が取り扱うことを前提として、
その扱い方について論じただけですので、
そのつもりでb
アバター
2013/07/19 19:04
サークルに入れてもらい、ありがとうございます。残念ながら、pcの不調の為、サークルに感想を残すことが出来ないので、丁度ここに同じような内容が貼付されていたので、ここに感想を書かせてもらいますね。

この世の中は、情報というコンテンツに支配されているように、思われていますが、ただの情報だけでは、言い表せないのが現実の世界です。ただ単に情報というもので、人に接触しようとすることをすると人に避けられてしまうというのがいい証拠です。人間は、いる情報いらない情報を自分で判断をして、削除するなり取り入れたりするのも、自由意志というルールが確実に存在しているからでしょう。無駄な情報やピンポイントの情報を織り交ぜて、その人の脳内に混乱を与える方法は、わたしは間違っていると解っています。そこには、人への思いやりや感情を壊す作用が働いている、それこそが情報植民地主義にあたるのでしょうwそれらも、善い物だとはわたしは思いますが、それはその状況や時と場所、ルールに添ったものにしなければ、いずれは廃れてしまうものです。力ではなく、心であり、情報ではなく、ルールなのであると謙虚な気持ちになることが大切でしょうね。面白い課題をありがとうございましたb




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