Nicotto Town


ふぉーすがともにあらんことを、あなたにも。


子供はいかに大人になり、大人の醜さを知るのか

子供から大人のベクトルになるには

いくつかの試練を越えなければならない、と
言っていい。

数直線上で見た子供と大人は、
住む場所が違うだけで
大したベクトルの違いもないように思える。

図形的数直線上(アトラクター)で見た子供と大人は、
若干のベクトルの違いを含むと言っていい。

子供から大人になるには、
いくつかの階段を踏まなければいけない
という意味である。

子供と大人のベクトルの違いはさておいて、
子供から大人になるには多少の段階を
踏まなければいけないものの、

大きな段階があるわけではない。

あくまでも他人から見た場合の、
階段である。

これは自分では気づかないということを
指している。

他人の話をして、
初めて子供から大人への階段が
見えるというわけである。

他人の話をする必要は特にないが、

うわさ話によって大人と子供の違いを
認識するのは確かである。

そのベクトルの違いは、
いくつかの事実を生み出す。

子供から大人になったからといって、
大したベクトルの違いはないということである。

客観的に見た場合において、
子供と大人のベクトルの違いがあるだけであって、

自分で継続的な視点で見た場合は
大した違いが見いだせないものである。

これを合理的に説明するなら、
子供と大人で大して脳は変わっていない
ということになろう。

脳が変わっていなければ、
大した違いは見いだせない。

経験的な帰納法(他人のうわさ話)のみによって、
自分は大人になったと知るのだ。

物事の帰結は、考えてみると限りがない。
子供が大人になるとき、大した部分は変わっていない。

なぜなら、子供から大人になったときに
記憶が消える人などいないからである。


*これはこういう事実も表している。
記憶が永続性のないものなら、
脳は自分を維持し得ない。


だが、記憶が表は永続性がなくても
裏では十分に永続性があるのなら

表には出てこない記憶が
実は脳ではちゃんと記憶されていた
ことになり、

急に思い出すことに代表される
記憶のよみがえりも証明できるし

記憶は表面上はそんなに出入りしていない
ということも証明できるのである。


記憶とは不思議なものだ。

追いかけると消えるのに
近くにいるとふと鮮明に思い出す。

手で掴もうとすると霧にように消えるのに
手で優しくすくい取ればほんの少しの間
優しく語りかけてくれるものだ。

#日記広場:20代

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2013/08/03 15:59
思い出した時に、

見方によっていい部分だけを抜き出して
いい記憶にしてしまえばいいのです~

しょせん振り返ってどうのこうの言えなんて
無理な話ですからb
アバター
2013/08/03 15:46
年を重ねると 記憶の量が変わって来たかも…('-'*) 

良質な記憶か そうでないか…決めるのはナンダロウ…
そのときどきで きちんと向き合ってきたかどうかなのかなぁ… 難しいデスネ~(´∀`*)

最後の6行…ステキです(´-`*)
アバター
2013/08/01 15:49
こんにちは^^
ステプです!!




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