Nicotto Town


ふぉーすがともにあらんことを、あなたにも。


新しい概念を創るには

新しい概念を作るには―――。

新しい概念とは、いわゆる
既成の概念から脱した、
新しい世界です。

もちろん、それは既成のものの上に成り立っているとも
言えるし、

新しいものの上に成り立っているとも言えるのです。

ちなみに、新しい概念とは
今までのものの上には決して成り立たない、

全く新しい考え方のことです。

つまり、作り上げたものを一回壊さなくては
ならない

ということなのです。

ちなみに、勇気はいりません。

あるひとつのコツだけで、
世界は変えられます。

キーになるのは、
コミットメント(決意・意思表明のこと)です。

コミットメントとは、何かを選択したという
意思表示のことです。

例えば、ドナーカードは
死後臓器を提供するという意思表示ですし

免許は運転してミスった場合に
処罰される意思があるという表明、

レシートは買い物をしたという証拠になります。
つまり、買い物をしたという意思表示と同じです。

私たちは、この世界に対して、
何か意思表明をして生きています。

おしゃれな女の子だったらおしゃれな生活だし、

ゲームばっかやって飲んだくれの生活なら
怠惰な日常だし、

理屈オタクの生活なら堅苦しい生活が待っているわけです。

それらの世界で重要な概念は、

何かにコミットメントして生きている

ということなのです。

何かをしたい、

という意思こそが、
コミットメントなのです。

つまり、
何かをしたいと思った瞬間に

それはこの狭い世界に生きる
というコミットメントをしたのと同じなのです。

じゃあ、どうすればいいか。

簡単です。

コミットメントを外してしまえばいいのです。


人間は、何かをすると決定した瞬間に
スコトーマ(盲点)に陥ります。

つまり、それ以外の世界は見えないのです。

人間は、常日頃からコミットメントを繰り返しています。
が、それは同時に

作られた、それも他人によって作られた世界に
コミットメントをしているのと一緒なのです。

つまり、何かを思った瞬間に
他人の作った世界にコミットメントしている。

本当に新しい概念をつくる=自由になる

のであれば、

まずそこから自由にならなければいけないのです。

つまり、

なにかにコミットメントするのをやめてしまう。

つまり自分のすることを一から自分で再定義してしまえばいい
のです。

例えば、全部自分流なんだ

でもOKです。

自分流にコミットメントした瞬間に、
誰かから教えられた

という概念は消えてなくなります。

つまり、自分で考えて動けるのです。

よく、自分流は行き詰りやすい
という意見の大人もいますが、

あれは方便です。

自分の教えるやり方に、
そぐわないのがイヤなだけのです。

本当なら、すべての人が自分流でいいはずです。

70億人分だけ、やり方があれば
70億人分のパターンがあるということです。

誰かに従った瞬間に、
それは自分の方法ではなくなります。

本当に新しい概念を生み出すのなら、
自分の作った世界に生きたいのなら、

まず自分で世界を再定義することが必要です。

再定義といっても難しいので、
もう少し簡単に説明します。

(ちなみに再定義とは、
改めて決め直すことです)

重要なのは、すべてのコミットメントをやめてしまうこと。

つまり、何かのためではなく、
自分がやりたいからやっている

ということを明確にするということです。

何かのためにやっている
ということは、

何かにコミットメントしているということです。
つまり、何かに頼ってやっているということです。

つまり依存の世界です。

何かにコミットメントすることなく、
自分がやりたいからやっているということ。

これこそが、すべてのコミットメントを外す
ということです。

自分はいる。加えて、自分は一人しかいないのですから
自分のやりたいこと以外にやらなければいけないことは
ありません。

本当に新しい概念を生み出すのなら、
すべてのコミットメントから外れることです。

すべての概念から自由になることです。


それができれば、新しい世界があります。
もう、既成概念などはありません。

邪魔されない、新しい世界です。

新しい世界こそ、新しい概念です。


概念は、私たちを縛っています。
コミットメント(意思・選択)を外すことで

何事からも自由になれます。

その世界こそ、新しい世界です。

新しい概念を生み出す下地は、
そこに出来上がります。

アバター
2013/09/21 12:46
コンフォートゾーンといって

自分が普段暮らしている日常は
とても居心地がいいものなのです。

なので、目標を立てないと
いつまでもその日常に篭ったままです。

目標を立てれば、常にコンフォートゾーンが
上へずれます。

大きな目標を立てれば、
自分のいるべき空間が上へずれるので、

何も考えなくても
次へと向かっていけるわけなのです。

コンフォートゾーンというものは、
とても強力で

人間のホメオスタシス(恒常性維持機能)によって
日常から変わったことが起きると

常に元に戻そうとする働きが加わるのです。

つまり、変わったことをしようと思っても
不快になっていつもと同じ状態に戻ってしまうのです。

コンフォートゾーンをずらさないことには、
日常は変わりません。

詳しくは、苫米地英人氏の著書を
読むといいでしょう~


ちなみに、今僕がやってるのは
流れの中でフォースを感じるというものです。

いわゆる、気というやつですね

それについて理解が深まれば、
より生活が落ち着くんじゃないか

と思ってやっています。

気について感じると、
いろいろと気付くことが多いのです。
アバター
2013/09/21 12:28
そうなんですね!そういうことなんですよね!

私はいつも誰かと話すとき、まず相手の気持ちを最優先に考えてしまいます。

別に 私の発言によって、私が相手に嫌われたりする事は特に気になりません。

しかし、私の発言によって、相手が嫌な思いをしたり 気分を害したりしてしまうのは
申し訳ないと思い、罪悪感みたいなのを感じてしまうのです。

だからいつも会話をする時は、相手の考えを優先させようとするあまり
自分の考えや自分の意見を言わずに終わることも少なくない感じです。

人と接する場合、相手のことを思いやる気持ちは大切だと思います。

でも私の場合、それがいきすぎてしまっていて、それによって「自分」が無くなってしまっている。

・・・と、ゲシュタルトの祈り 「私は私のために生きています」を見て、ハッと気づきました。

そしてそれ以来、「自分のやりたいことをやろう」って思いました。

・・・が、習慣化?してしまったものって、なかなか簡単には解除できないかもしれないなんて感じてたところ

今回のalfonceさんの記事を読んで、また新たにハッとしました。

自分のやりたいことをやろう。


アバター
2013/09/21 11:02
他人、という概念が入った瞬間に
その人生はもう他人のためであって
自分のものではなくなってしまう、

ということなのですねb

それがもし、自分の目標の延長線上にあって
他人のためになることも必要なら、

それは必要なことかもしれません が、

自分という視点で世の中を見た場合に
自分以外の概念があるとそれは自分のゲームでは
なくなってしまう

ということなのです。

何かに頼るとそれを通した世界しか見えなくなる。
つまりすべての癒着を外すことによって

初めて外の世界(新しい概念)が見える
ということなのですねb
アバター
2013/09/20 20:32
>自分がやりたいからやっているということ。

なんだか、ゲシュタルトの祈り・・・だったかな? それを思い出しました。

「私は私のために生きています。私は、あなたの期待に添うために生きているのではありません。」

これを読んだとき、ハッとするものがありました。





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