【お題】光と闇のお話
- カテゴリ:20代
- 2013/10/19 11:22:20
光と闇のお話―。
この世界には、光と闇があります。
善や悪のように、定義は明確ではありません。
物事一つ一つに光と闇があり、
善や悪のように、二つに分けられないからです。
預言者と呼ばれる人たちは、
世界と光と闇に分けようとした張本人に思えます。
そのたくらみは、その人の死を以て迎えられ、
その人の遺言が、宗教になったわけです。
光と闇とは、こういうことです。
何かが起これば、その反対で何かが起こっている。
世の中はバランスで出来ています。
私たちの存在するバッファの証明が世界なのです。
つまり、私たちが存在しなければ世界は存在しないか?
人間がいなければ、地球は存在しないか?
その答えは、イエスでもありノーでもあるのです。
ただ言えるのは、見ている人がいないということ。
人間は、地球の破滅の歴史の実行者であり、
観察者でもあるのです。あるいは傍観者でもある。
反対に、もし環境や動物と共存する道を選ぶのなら、
人間には、地球の管理者という役割があります。
今の状況を整理するなら、
人間はそれをコントロールする力は付けたといえど
それを修正・回復する力は持っていないのです。
この不安定さは、人間の環境がなくなるということで
補われます。
つまり、人間の住むところがなくなるのです。
人間の猛威を止めるには、人間の住む環境をなくすことしか
ありません。
人間は、環境問題と呼んでいる―
環境の破壊、森林の伐採
すべて人間の住む場所がなくなるだけの話です。
むしろそれが為されなければ、
環境は自分を維持できません。
この世界には、バッファーゾーン
つまり、余裕が必要なのです。
すべてのものには、余裕が必要。
余白や余裕があるから、
すべてのものは存在できるのです。
話が逸れましたね。
この世界は、光と闇で出来ています。
ですが、それは誰にも決められません。
あるのは、二元性。
つかみにくさと理解しにくさが
物事にはあるだけです。
この世界の探求は、
光と闇の世界を探求することでのみ
行い得るものだと思っています。
この世界の平衡から逃れられるものなどないのです。
バランスを維持していれば、物事は存在し続けられます。
ただ、どこかでバランスが崩れると
その物事はいつかは存在できなくなります。
物だってそうです。体だってそうです。
物になったというバッファが存在しているのですから、
いつかは形を変えなければなりません。
体だってそう、
いつかは形を変えるか、
入れ物を変えるかしないといけないのです。
この世界を造っているものは二元性。
つまり、行ったら戻るということです。
出来たら無くなるということです。
この二元性から逃れられるものはありません。
地球ですら、宇宙から見れば数ある惑星のひとつです。
もっとも、人間には地球は特別なものに映るでしょう。
なんせ、地球から離れたところに行ったことが
ないのですからね。
地球の対称が見つかっていない以上、
地球は特別なものかもしれない。
もっとも、地球から出ることがなければ、
それはどうでもいいことです。
人間の住むところは地球しかありません。
二元性は、現在は人間のいるところにしかありません。
おそらくそれは、人間のできる過程にあるのか、
あるいは、人間の存在意義にあるのか。
どちらにせよ、人間のバッファは明らかにしないといけません。
その人間のバッファとは、
生きる意味です。
人生という下地に、
人間がバッファとして与えられたのは
生きる意味ではないでしょうか。
もちろん、それは尋ねられれば
当然意味のないことかもしれませんし、
答えられないものでもあります。
ただ、個人が瞬間に感じる生きる意味、
これこそが、この世界のバッファです。
つまり、生きる意味が人間を意味付けている。
聞かれてもそれは答えられないという意味です。
データを取っても、それは出てこないでしょう。
おそらく生きる意味は、個人にしか分からない。
それでいて、バッファは生きる意味なのですから
この世界の構造は、人間だけで出来ているとも言えます。
話を戻すとします。
この世界には、光と闇があります。
そこを探求していくと、
生きる意味へと行きつきます。
つまり、光と闇
どっちか極端ではいけないということ。
逆に言うと、
人間がこの世界の平衡を維持するためには
どちらにも行き過ぎてはいけない
ということなのです。
文を書いた意味は、
書いた本人にしか分からない。
その生涯を生きる意味は、
生きている本人にしか分からないのです。
これが光と闇のバッファ。
つまり、光と闇の対称物質は
生きる意義付けなのです。
この世界には、
光と闇以外のものもあるかもしれません。
ただ、何も意味がなくて
生まれてきた人などいないのです。
何の意味もなしに
造られたものなどありません。
すべてのものには、対極があります。
光と闇に対する答えは、
ただ生きることでもあるのです。
(要は、光と闇は人間が造った
ということでもありますね。)
存在しているとは認識できない
いわゆる唯識というやつですねb
物理学のアプローチで行くと、
宇宙があまりにも人間に都合良すぎるように
できていることから、
精神論のアプローチでは
単に人間が認識しているから
これは人間の宇宙、
他に人間と同レベルの知的生命体が出てきたら
それと分かち合いましょう
というぐらいの話なのです。
なので、現時点で他の生命体は見つかっていないので、
この宇宙は人間のもの
そういうわけなのですb
この宇宙は人間のためにある
という説もあるくらいですよーb
これ、そうですね! 本当にそうですねー
>その生涯を生きる意味は、
>生きている本人にしか分からないのです。
分からないでしょうね。
分からなくてもいいんですよね。
それぞれに生きていれば。