Nicotto Town


ふぉーすがともにあらんことを、あなたにも。


続・英雄論

続・英雄論です。昨日の続きみたいなもんです。

ここで語るのは、英雄の定義と運用的方法について。

特に、英雄の定義はどうでもいい場合が多いので
運用面で定義がどうのこうのを考えたいと思います。

*英雄の定義や、用語の運用的定義ができるか
どうかなどそういう意味では専門家
ではありません。

予めご了承ください。

とりあえず、英雄の定義。

まず、民衆に支持されているということ。
それから、社会的に大きな功績を打ち立てた
ということ。

ここで疑問なのは、
民衆の支持の度合いは
どこで線引きするのか?

どれくらい支持されれば
支持と呼ぶのか?

社会的に大きな功績とは
どれほどの大きな功績なのか?

そこから見ていきたいと思います。

まず、英雄かどうかの判断で重要なのは、
社会的に大きな功績を打ち立てると
民衆の支持が得られる

というものです。

そういう意味で、
二つの定義候補は相関性があります。

また、民衆の支持が得られる
ということと

社会的に大きな功績は別々でも成り立ちます。

民衆の支持が得られることは
社会的な功績とも呼べますし

社会的な功績は
民衆の支持がない場合でも可能です。

ただ、「社会的な功績」と呼ぶならば
やはり民衆の支持は必要で、

その両面からすると、
民衆の支持があって
社会的な功績を満たしている のが

英雄の場合、

この二つの定義に当てはまらない場合があると
すれば、

軍のクーデターで成り上がった元将校が、
スキャンダルの挙げ句反対派に射殺 

される場合です。

軍のクーデターだと
民衆の支持はありませんし
(得られるとは限りません)

クーデターで成り上がった将校が
射殺されたからといって、それは功績ではありません。

しかし、クーデターで成り上がった将校が
英雄扱いなのはそういう場合も考えられます。

(ポル・ポトなど)

実例は考えずに考える場合、
単純に、

人殺しに関わっておいて
クーデターで政権奪取

→政権を取った後に、射殺される

この段階のどこに、
英雄らしさがある
というのでしょうか。

民衆の支持が得られていれば、
英雄とも呼べなくもない。

社会的に大きな功績とは、
実例からして民主的に政権を取りかえした場合です。

軍事政権の政権奪取は、
あまり英雄的行為とは言えません。

ただ、本人は英雄だと思っているかもしれない。

ここで議論しているのは、
民衆的に英雄かどうか

であって

本人に英雄という認識があるかどうか
なのでその手の議論は避けたいと思います。

政権奪取の例からすると、
民衆の支持が得られる、のと

社会的貢献が大きい、というのは

どうやら一緒の議論のようです。

つまり、二つに分かれていますが、
根本的には一緒ということです。

民衆の支持が得られなければ、
そういう内容でなければ

社会的な大きな貢献とは呼べない。

民族ヘイトで虐殺をしても
社会的な貢献ではないわけです。

民衆の支持が得られていても、
もう片方では支持されていないので

それはギリギリで定義に当てはまりません。

民衆の支持が割れていれば、
民衆の支持が得られているとは言えません。

ちなみに、第二次大戦のレッド・バロンや
白い死神は、ある意味英雄かもしれません。

自分の命を秤にかけて戦っています。
遠隔で戦争に参加していたわけではありませんから、

自分の命がヘッジなわけです。
命がけで戦っている。

そういう場合は、片方の支持だけでも
英雄扱いです。

もっとも、敵には支持されませんが。

戦争の英雄うんぬんでよくあるのは、
戦争が終わった後は双方に支持される

ということです。

誰だって戦争は望んでいないことの
証拠でもあります。

もちろん、英雄が出るから戦争が肯定されるわけではなく、
英雄が出なければ戦争と呼べないか、

というわけではありません。

戦争の話に入ってしまうので
この手の話は避けますが、

要は英雄は民主的な支持のもと
英雄なのであって、

社会的功績は
あくまで社会的な場合のみ成り立つのです。

なので結論としては
英雄は

民主的な支持の得られる
社会的に大きな功績がある人

ということになります。


英雄というのは、
特に戦争などのケースで
扱われることが多いようにも思えます。

それだけ、
英雄に対する求心力が大きいからでしょうか。

あるいは、戦争という荒廃した行為が
英雄への渇望という砂漠の水のごとき

愚かな構図を生み出すのか、
それは分かりません。

ただ、英雄は確実に存在します。
それは学者とも、政治家ともいえる。

スポーツ選手かもしれません。

民衆の支持も、そのときどきのもので
社会的に大きな功績も、
時代によって様々です。

どれが英雄かは分からない。
ただ、どれも英雄と呼べるかもしれない。

共通しているとすれば、
自分のやりたいことを極端に達成した人が
英雄と呼ばれる、

ことぐらいでしょうか。

英雄はどこにでもいます。
それはあなたの心でも、世界の像でもある。

その世界にアクセスできるのは、
あなただけなのです。





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