Nicotto Town


ふぉーすがともにあらんことを、あなたにも。


ブログを書けない時に読んでほしい´・ω・)

ブログを、最近書きません。

というか、もともと書いているのは説明的な文章で
ブログというものはほとんど書いていないかもですが

というわけで、ブログを定義してみたいと思います。

率直に言うと、「気付いたときに書いているものです」

なので、メモでもブログ扱いです。

インターフェースが音声認識になったら、
音声で書いたメモでもブログと同列で扱えると思います。

覚え書きでも、ブログ扱い。
インターフェースがパソコンか紙かだけの違いであって、

覚え書きやメモも十分ブログの範疇に含まれます。
理由は、音声認識つてづての通りです。

気付いたときに書いているもの なら
書くのは気分次第です。

ほとんど、気分なので
それこそ役割とか期待値とかあったもんじゃありません。

ということは、書こうとしてブログを書けなくても大丈夫。
たまたま、気分か都合で書いていないだけなのです。

気付いたときに書いているものだったら、

具体的に言うと
集中などして書いていない という場合が当てはまります。
なので、報告書や説明文はブログのフォーマットには書いていますが

この定義だとブログではありません。
強いて言うならウェブログです。

(単に、日記+説明文)

また、義務的ではないとも言える。
この点からも、ブログは気分で書いているもの
ということになります。

仮に、義務的なら
一日一稿を守らないといけない とか

だいたいの内容も守らないといけない

ということになります。

なので、気分で書く以上
内容にブレがあって当たり前。

あえて公開して書くなら、
ちゃんとした説明文様のものか
意味のある文章でないといけないわけなのです。

意味のない文章とは、他人が読んで意味がないと思う文章です。
かといって、自分が意味を感じないと成り立ちません。

じゃぁ、目的があれば意味があるのか?
そうです。そういうこと。

自分の気分で書いている以上、
目的がない場合などほとんどありえない。

気分で書いている以上、
それこそ超流動的なものじゃないか

と思うわけです。

これほどまでにきまぐれな性質でありながら
なぜ人はブログに執心するのか?

書けないものは、書けない。
そうしてしまえばよいのです。

ただ、書かないと気が済まない。
これは何故でしょうか。

恐らく、ブログを書くこととまったく別の次元の話が入っている。

つまり、ブログと書きたい欲には相関性がないことになり、
逆に書きたい内容と書きたい欲には関係性があります。

なら、どういうことかというと

根本の欲は共有欲と公開欲じゃないか。

つまり、コミュニケーション欲なのです。

簡単に裏付けると、

読んでもらえなければ書かないか?

ということです。

読んでもらいたいのであれば、
最初から公開欲ということになります。

まぁ、共有欲とも。

コミュニケーションを取るにはいいですが、
交流欲のあまりブログで私情を公開しているわけです。

コミュニケーションにはいいですが公開のしすぎには注意
といったところですね。

アバター
2013/11/06 05:43
想定読者の話>

読んでほしいのなら、当然いるということですねb
逆に、それを書くときに意識すると
効果が高いということです。
アバター
2013/11/06 05:42
夜風さん>

それが分かってしまったら、それでお終い なのですが´・ω・)個人情報の話

嘘かほんとかは置いておいて、同じ日本ですから分かってしまう可能性もなくはないのです。
まぁ、実際に訪ねるレベルになると、確かに犯罪性は高いですが
アバター
2013/11/05 21:02
ほぇ~('-'*)
あんまり考えたことなかったり…
でも読み手いるってことは意識にありますね-

誰かにおしゃべりする感じで書いてるような気がします(´∀`*)♬
アバター
2013/11/05 20:50
あっしのPCにはたった数行だけのテキストデータが無数にあって、時々一斉消去したくなる。
ところが、く、くだらねぇ・・・と思ったものでも年月が経てば愛おしくなっちゃう。
よくぞこれを書き残していてくれた!という気持ちになる。そんな実感があるから、
すべての文章はあらかじめ潜在的になんらかの読者が想定されているんだな、と思う。
当たり前のことかも知れないけれど、あらためてそのことを認識するとなんか不思議。
(無数のブログのことを思うとき、あっしは毎晩人知れず降ってくる流れ星をイメージします)

感傷的な話はおしまい。
ちなみに依存状態に陥っているブロガーをあっしは密かに露出狂と呼んでいます。
アバター
2013/11/05 20:19
>誰かが近くで何かをしている 自分が近くにいる

これよく見かける! そして自分もそんな感じのこと書いた覚えが~(^∇^;)
でも、書いたとしても「行ったことある」程度だけど。

ネットでは住所や年齢や性別などが書いてあっても
ウソかホントか分からないから、適当に書いてる人も少なくないんじゃないかな?
それを調べる人がいるとしたら悪意ある人だから犯罪の域ですね~(・ω・;|||

>依存的状態には注意
>ということが言いたかっただけです´・ω・)

(。・ω・。)ゞ ラジャ⌒☆
アバター
2013/11/05 17:31
 興味深い内容でした。
アバター
2013/11/05 08:23
感情の公開は、公開されている情報のほんの一部 です。

生活のベクトルと、それにつながる部分情報が
一番プライバシーという意味での個人情報を含んでいます。

なので、何かを思った 感じた どこに住んでいる 何をしている
の情報はいいのですが、

誰かが近くで何かをしている 自分が近くにいる

などの部分的枝情報があると、簡単に所在情報や個人情報に
つながってしまうのです。

この文章で書いたのは、

公開のしすぎがよくないのであって
単に公開することは否定していません。

ただ、公開に依存する状態になると
どうしても自分が公開したくない情報まで
公開しがちなので、

依存的状態には注意
ということが言いたかっただけです´・ω・)

アバター
2013/11/04 19:27
公開のしすぎには注意しなきゃいけないと思うけど、
感情を公開することって、何がよくないの?




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