タリバン・アフガニスタンの実態
- カテゴリ:ニュース
- 2014/01/02 17:19:39
http://www.youtube.com/watch?v=LIIGdneUsc8
45分ほど(英語・途中ショッキングな映像あり)
アメリカがアフガンからの撤退を決定して以来、
アフガンは注目されなくなりました。
もっとも、西洋がテロとの戦いを続ける以上、
同地域の混乱と困窮は避けられません。
アルカイダに代表される、
イスラム過激派は中央アジア・アラブ・アフリカに
散在しています。
詳細な話になると、
地域によって動機や目的は違うと思います。
が、基本的にテロ行為を手段としていることには
なんら変わりありません。
映像ではアメリカ軍の無人機による無差別爆撃
を扱っています。
映像中では誤爆と表現しています。
ついでに言うと、映像中ではCIAなどの諜報機関が
テロリストだとマークした目標が、
実際は民間人の車列だった
という内容です。
対テロ戦争の実際を考える上で、重要な
ポイントは二つです。
まず、アメリカにとってテロリストは危険な存在であるということ。
これはアメリカ側の視点です。
もう一つは、テロリストにしてみれば
アメリカなど軍を派遣してくる側は敵だということ。
この問題を解決するには、
両方の視点のLUB(最小公倍数、リーストアッパー・バウンド)
を作る必要があります。
例えば、全地域が平等に加入する国際会議などです。
今の国連は、戦争の結果できています。
アメリカ・ロシアなどが常連理事国を務め、
言ってみれば、戦争の勝者側に有利な機関となっています。
つまり、東南アジアやインド・中央アジアなどは
ないがしろにされている、ということです。
アフリカは投機目的で開発されているので、
差別や政治的配慮の無さがあるのは見て分かります。
もっとも、早い話
政治配慮と地域の安定、両方の
LUBを作れば
少なくとも、平和への第一歩が刻めるわけです。
例えば、地域の連合や地域会議などです。
先に出した国際会議は、
世界のそれぞれの地域の代表が出席する会議です。
大多数の投票で決めるような
国連機関ではありません。
話し合いと協定の機会を持つことで
世界の平和を目指します。
両方とも、国際平和のための踏み台ですが
国際会議の下に、大地域会議
さらにその下にそれぞれの地域会議と
自治体がある感じです。
世界を平和にするためには、
話し合いの機会を持つことが大切です。
争いを軍事力で制圧しようとしても、
なんにもなりません。
ひとつの地方を守るため、
あるいは、一つの勢力に対抗するには
軍事力でも足りるかもしれません。
が、それ以上に根本的に世界を平和にするためには
地域、さらには国際レベルでの話し合いが必要です。
それも、特定の国家が力を持つことなく、
すべての地域が平等に参加できる会議です。
まず、話し合いの機会を設けずには
世界平和は達成されません。
映像中では、タリバンと思われる兵士が
「外国でアメリカ人に復讐する。
復讐するまでは戦争をやめない」
という感じのことを言っています。
世界平和のためには、
軍事力も、テロ行為も
両方手段になりません。
これを解決し得るのは、
両方を包摂し得るLUB(最小公倍数)です。
それが、国際会議さらには地域会議です。
国連とよく手段は似ているかもしれません。
が、違いは特定の勢力が力を持たない
平等な会議です。
もちろん、議案は多数決で採択する必要があるかもしれません。
が、基本的には議決に頼らない話し合いの機会を設けることが
重要です。
地球全体、さらには宇宙全体を見渡す視点がないと、
世界平和は達成されません。
世界平和を達成するためには、
まず話し合いの機会を設けることが不可欠です。
もし、それぞれの地域が安定するなら
国際会議の設置はそう遠くありません。
もちろん、正式な国際機関でなくとも
民間レベル、識者レベルで国際会議を設けてもいいわけです。
行動は、どこまで上手くいくかは分かりません。
ただ、行動を起こさないと、変わらないのです。
【*議論の館*】
http://www.nicotto.jp/user/circle/index?c_id=234581
国際平和を達成するためには、
話し合いは不可欠です。
話し合う姿勢こそが、
平和の象徴であり
何もなく脳天気に過ごすだけが
平和な生活ではありません。
もっとも、争いはこの地球上からなくすべきですが、
そのためには話し合いという手段を踏まずにはいられません。
話し合う姿勢こそが、
協力するという態度の表れであり、
それこそが国際平和を成り立たせ得ます。
といってはなんですが
このサークルはそれのミニスケール版のようなもので
議論をすることこそ、
平和の基礎ということでやっています。
話し合いの原点は、
平和のための協力関係というところにあります。
規模は違えど、議論は議論です。
その気になれば、豊かな世界への一歩も
踏み出せる、というわけです。