Nicotto Town


ふぉーすがともにあらんことを、あなたにも。


すべてを放せば、すべてが手に入る

禅問答みたいですね

まぁ、その疑問も“放して”
お付き合いいただきたい、と思います


このロジックは、いたってシンプルです。

ものが手に入らないのは、
そもそも固執があるから。

なぜかというと、
ものが欲しいから、執着があるのです。

もし、手に入れたら
その欲はなくなりますよね?

だって、手に入ったから。

欲というのは、
もともとモノを手に入れるための機能です。

ドーパミンが分泌されて、
あれをやりたい、これが欲しい、と

やる気になるのも
(これをプライミングといいます)

全部欲のためです。

もちろん、食欲や性欲など、
人類のためにはなくなってはならない欲も
存在しますから、

ここでの欲というのは、
いわゆる“煩悩”だと思っておいてください。


欲があるから、
何かが欲しくなるのです。

して、その状態は
何かが手に入っていない状態です。

モノを手に入れたりするには、
欲が不可欠です。

何も欲しくないけど、何でも手に入る。
それは、この稿で主張したいことですが

要は、何も欲しくならないのに、
何かを手に入れることは不可能です。

少なくとも、こうしたい、ああしたいという
ビジョンがないと、

そもそも何かを自動的に手に入れる、
ということは不可能です。

もちろん、ビジョンさえあれば
なんでも可能、というわけです。


欲がないと、モノは手に入らないと
書きましたが、

同時に、欲がある状態は
欲しいモノが手に入っていない状態です。

基本的に、欲が人をダメにする、というのは
このことです。

手許にあるべきモノが
手に入っていないから、

何も達成できない状態になってしまうのです。

大金持ちで、何でも手に入れてしまう人を
「欲の権化」と呼ばないでしょう。

欲の権化とは、一般的に
中途半端な金持ちで、
煩悩にほだされている人を指します。

つまり、金持ちでもなければ、
煩悩から解き放たれてもいないのです。

そのうちお金がなくなってしまうでしょう。


欲さえ放せば、
(いったん手放してしまえば)

なんでも手に入ります。

だって、あなたが手放したのは
モノではなく、

よく分からないけど、欲しいという
欲のほうです。

欲がなくなれば、モノは手に入ります。

そのモノの入手方法を見えなくしていたのは、
そもそもそのモノが欲しいという“欲”のためです。

その人その人に、
モノを手に入れたい「方法」というものが
あると思います。

その方法は、
ずっとそのモノが欲しいと思った挙句、

「こうでないといけない!」という
大変狭い見方のもと醸成された

偏見であることは間違いないのです。

これを、スコトーマ(心理的盲点)といいます。

もちろん、何かを欲することは
間違いではないのですが、

もし、手に入れたいと思うのなら
まずは放してみるといい、ということです。

欲しいという欲を手放せば、
なんでも手に入ります。

少なくとも、モノがない、という状態にはならない
わけです。

モノがない状態からは解放されます。


これは、裏返すと
何かを手に入れた、と思っていれば
自動的に手に入る、ということでもあります。

同時に、それは
すべてを手放すということ。

もし、手放してしまえば、
誰のものでもなくなります。

誰のものでもないのなら、
自分が必要なときに使えます。


すべてを手放す、ということは
すべての執着を放す、ということです。

なにも、モノを放す、ということではありません。

もちろん、実際ちょっと離れて見てみてもいいですが
モノの執着というのは、案外強くありません。

心から願う心願であることほど、
自分の執着は働きやすいものでもありますが、

それは、自分が心から欲しい、と思うためで
何も、そこまでの感情は

いちいちすべてのモノに働くものではありません。

つまり、そこまで手に入れたいと
思わなくても、

手に入るものは多い、ということです。

逆に、すべてを手放せば
モノはなんでも手に入る、ということです。

執着がなくなれば、モノがない、という状態からも
解放されます。


人間が欲にほだされるというのは、
大抵失う恐怖があるからです。

もし、万物がなんの障害もなく
手に入るとしたら、なんの欲も恐怖もありませんよね?

だって、何もしなくても手に入るのだから。

もちろん、生きるために最低限必要なものは
手に入れておく必要がありますが、

それでも、人間の欲しいモノのなかでは
そういったものは微々たるものです。

もちろん、手に入れる欲を手放せば
基本的に、煩悩から解放されるため
なんでも手に入る、というわけです。

もちろん、手に入らない、という状態から
解放されるためです。

心の中で手に入ってしまえば、
なんにも怖いことはありません。

失うということはなくなる、からです。


最低限の食欲、性欲などは
手放す必要はありませんが、

もちろん、それらも
一度手放してみると意外と小さな煩悩だったことが
分かります。

生理的な生命維持のためには、
それらも必要なのですが、

それに満たされた生活もしていると
意外とそれは問題ではなくなります。

衣食足りて礼節を知る、ということでしょうか。

一度欲しいと思っていた欲でも、
それを達成してしまえば

問題ではなくなる、ということです。

そうやって欲を達成していくと、
だんだん小さな欲は問題ではなくなります。

そうすることで、だんだん世界が広がって
いくわけです。

欲もだんだんとスケールの大きなものに
なっていくわけですからね。

小さな煩悩でなければ、
大きな煩悩であれば

いくらでも持っていいわけです。

もちろん、その煩悩を大きくしていくことで
より世界が広がっていく、ということでもあります。


すべてを手放した後で、
自分を導くものは、

ビジョンです。

よく、ビジョンを、と言われますが

将来の壮大なビジョンされあれば、
あとは何もしなくてもそこまで導いてくれます。

もちろん、小さな煩悩も、
それを失う恐怖もなくなるわけです。

自分を導くものがなければ、
そもそも手放す、という行為も
一見難しいものに映るかもしれません。

ただ、すべてを手放す、ということは
すべてが手に入る、ということです。

欲しいという欲を手放してしまえば、
すべてが手に入った状態になります。

アバター
2014/02/13 22:37
まぁ、見てればそのうち
分かると思うよ^^;
アバター
2014/02/13 22:36
いろいろ 教えてくれてありがとう^^
動画見てみます
理解できないかもしれませんが^^;
アバター
2014/02/13 21:06
本を読めば分かるのですが、

感覚が生み出した世界、
ということですね

人間の認識は、全部記憶でできています

ということは、歴史は過去の人間の
感覚の積み重ねだったわけで

そうなると、全部すべてが
感覚によって生み出されたもの、
ということです

もちろん、歴史という教えられた内容も
全部自分の感覚によるものです

もちろん、その中で改変はあるでしょうし、
すべてが認識によるもの、ということですよね

すべてが認識による世界、
という考え方を、

唯識といいます

認知科学は
唯識をベースに話が進んでいるみたいで、

脳を解明すれば
この世が解明できる、

というような学問だそうです


般若心経も、物語だそうで

ある菩薩(修行僧)が
偉い人に言った、

みたいな内容らしいですね

解読したことはないので
分かりませんが、

とりあえずそういう内容らしいです


本を読むのが早いのですが、

(実際本読んどいたほうが話についていきやすいし^^;)

時間を指定すれば
ここからしゃべってる!みたいな
こともできるかもです

ただ、全体として理解したほうがいい上に
自分で解釈したほうがいいので、

短めの動画で慣れておくといいでしょうね^^;
(検索するといろいろでてきます 「苫米地英人 仏教」など)
アバター
2014/02/13 20:57
有と無 で 空 かぁ
あってもいいし なくてもいいって事ですね^^

般若心経 は長さもマチマチで いろいろですから
インドの 中国の ってあるのかもしれませんねw

ちなみに私 「摩訶般若心経」なら空で唱えれます^^

「この世は脳が作り上げた幻想」ですと?
なんか面白そう♫ 
短くなったのってないですかね^^;
アバター
2014/02/13 20:31
空(くう)というのは

有と無を包摂する概念だそうです

(有と無の上位概念が空)

無は空に包摂されるし
空はすなわち無である(でもある)
ということですよねb

ちなみに、無は中国の禅の考え方で
釈迦に近いのは、空なのですが(あるともいえるし、ないともいえる)
インドから中国に入ったときに、

そうなってしまったそうですね

そうなってしまったというのは、
般若心経に色が空である、とか

空は色、という項が書き加えられた、
ということです

哲学では、空とはすべての概念を包摂する概念で
色と空は同位ではない、

というような主張だったと思います


で、「色」からの件は

仰る通りですね、
この世はすべて幻想、ということです

色は物質や世俗のことを表しているから、
空とは並ばない、というような
主張をしていたと思います

脳機能科学での
「この世は脳が生み出した幻想」
という前提があるのですが、

大昔に釈迦の教えは
そこまでいっていた!
みたいな件で

楽しそうに取り上げていたのを
覚えています^^;

「苫米地英人、仏教を語る」
で検索すると出てくると思いますよ~

もちろん、長いので
観るときは覚悟して見ることを
おすすめします~

アバター
2014/02/13 20:11
色は物質 空は無である って事が前提で
無はいわゆる「ゼロ」らしいです

空はゼロ って事ですね
なので 「空即是無」ってそういう事なんかな

でも 般若心経の「色」を入れて考えると
この世の物質現象には実態などない って事なんですかね
っていうか 実態などあってもいいし なくってもいい 
そういう問題自体がなくっていいよ 
ゼロに帰すって感じかな?
アバター
2014/02/13 19:58
あれも、

脳機能学者で「釈迦」の専門家の
苫米地英人氏によると、

「空即是無、なんちゃらかんちゃら~(空はすなわち無であり、無は空に包摂される」
が正しい~! みたいなことを動画で言ってました^^;

まぁ、ようは
色というのは、この世の色(煩悩・世俗)のことで
空とは関係ない、という主張なのです

中国で編纂された際に
いろいろ書き加えられた、
というのが正しいでしょうね~

もちろん、その話とは関係ありませんが
般若心経なんかは、
読んで場面を想像すると
瞑想になる、と本に書いてありました~


コメントありがとうございますbb
アバター
2014/02/13 19:52
なんだか
「般若心経」を思い出しました
色即是空ですかね^^;
確かに 心の中だけでも手放してみると楽になりますよね
アバター
2014/02/13 10:27
いえいえ どういたしまして^^;
アバター
2014/02/13 03:35
すべてを放せば すべてが手に入る
・・とても好きな言葉です
同じように  なんにもなくてもすべてある・・っていう感覚も好きです
言葉尻だけを追求すれば意味不明になりますけれどね
すべてのものがみんなのものになるというのもも とても素敵なことです
こうなれば地球上から無意味な争いごと や ひいては悲しい戦争がなくなりますね。
書いてくださってありがとうございます^^v




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