Nicotto Town


ふぉーすがともにあらんことを、あなたにも。


人生は、やめたほうがいい

人生は、やめたほうがいいです

が、ここで注意書きをひとつ。

死ねと言っているわけではありません
誤解のなきよう

死んだら最後、二度と生き返れません。

ここでいう人生とは、他人に造られた
生き方、価値観のことをいいます


まず、人間の認識は
過去の記憶で出来ています

つまり、今認識しているものは
すべて過去の記憶です

今の認識は、
過去の記憶からできています

過去の記憶とは、
他人が言ったことです。

私たちが自我と呼んでいるものは、
過去の他人の言動によるものの
集合体です。

つまり、他人の言動で
自己イメージを決めているのであって、

自分が自我と呼んでいるもの
すべてが他人の言動によるものです


私たちが通常人生と呼んでいるものも
同様です

今の認識そのものが過去の記憶で
成り立っているとするなら、

自我と呼んでいるものすべてが
他人の過去の言動によるものだったら、

私たちが人生だと思っているものは
すべて他人や社会の言動によって
決められたものです


この辺は苫米地英人氏の著書を読むと
よく分かるのですが、

いわゆる洗脳です。

多くの人が社会や他人の言動によって
自分の人生を規定してしまっています。

なぜ自分の人生・価値観が規定されてしまっているか
というと、

それが洗脳によるものだから、です。

親や学校の教師に、

「こうあるべきだ」

「こういうふうなんだよ」

「お前はこういう人」

と言われたもの
全部洗脳です。

元々、自分が何者であるかは
誰にも規定できません。

自分ですら、
自分を規定できません。

自我も心もない、からです。

まぁ、詳しく言うと長くなるので
あまり書きませんが、

要は心を指して、といわれても
何が心なのかは明確に指せませんし

自我(自分)を定義して、と言われても
自分を特定するのはどれだけ情報を挙げても
ほぼ不可能だからです。


私たちが人生だと思っているものは
すべて他人に造られたものです。

もし、その人生を一生懸命生きようとしても、
他人に造られたものなら

果たして幸せだと言えますか?

生きるのをやめろ、と言っているわけでは
ありません。

他人に造られた偽の人生をやめろ、
と言っているだけです。

早い話、人生と通常呼んでいるものは
全部他人に造られたものです。

多くの場合、
過去の記憶や他人のなんでもない一言、
社会の価値観(と思っているもの)で

人生は構築されています。
ここで言うのは、あくまで
人生と呼んでいるもの、
思っているものです。

何が言いたいのかといえば、
自分が人生と思っているものは

(ここでいうのは特に価値観のことです)

全部他人に造られたものだ、ということ。
他人の都合で作られた
価値観なので、

それにすがって生きても
幸せになれない、ということです。


どうしたらいいか、というと
早い話人生をやめてしまえばいいのです。

他人に造られた価値観で生きるなんて、
専らの無駄です。

少なくとも、自分で生きているとは
本来の意味で言い難いです。

人生と呼んでいるもの、
それは他人に造られた偏見だと思って、

生き直す、というのが理想でしょう。

人生は、悟ってからが始まり、
という言葉もありますが

他人に造られた人生を生きても
無意味です。

価値観はすべて他人によって
造られたもの。

もちろん、過去の偉人のものなら
それは学んでおいて差し支えないものでも
ありますが、

そもそも、
洗脳に使われるのは
近代・現代に生きている人たちの
価値観です。

古くからのもので
残っているものは、

それだけ有用な考え方であるから、であって
学んでおいても差し支えありません。

もちろん、参考にするだけで
そのすべてに従って生きていればいい、

というのも間違いです。

学ぶのと洗脳される、
というのは違います。

参考にして、知識にするのは
学ぶ、ということでもありますが、

わけもなく他人の言動を
自分の価値判断基準として
思わされているのが

いわゆる洗脳です。

他人に造られた人生を生きても、
なんにも幸せになれません。

偽りの人生を生きるぐらいなら、
いっそのことやめてしまえばいいのです。

もちろん、生きること自体をやめる、
のではなく、

他人に作られた人生を生きるのを
やめる、ということです。

悟ってからが本番、
という言葉もありますが

少なくとも、他人に造られた人生を
生きることは、やめましょう。


会社勤めの方、学生の方、
受験中の方、

どうか今やっていることを
やめないでください。

今やっていることの中には、
有用なものももちろんあります。

いますぐ、すべてが無駄だとか
すべてが意味ない、ということを
言っているわけではありません。

他人に造られた人生、価値観は
無駄だ、というだけであって

今やっていることをやめる必要はありません。

もちろん、自分で決めて将来のために
やっていることももちろんあります。

ただ、人生という言葉そのものは
他人に造られたものであり、

他人に規定されてしまっていることが
多い。

そういうのをやめれば、
世界が開けます。

私たちが通常人生と呼んでいるもの、
すべて偽りです。

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2014/02/22 11:22
まず、

いつだって勉強だと思っています
それに、大人のやるいわゆる教育はあてにしていません
でした

学校のテストも、受験も真に受けることはなかった
ですし

それとは関係ありませんが、
いつでも勉強なので

守破難といえど
それは関係ないと思っています

というのも、
(もちろん守破難は有効な考え方ですが)

いつでも勉強なら
なんでも参考になる、という具合に

見方によってなんでも変えられるからです

平易に言うと、なんでも味方にできる
ということです

情報は書き換えられますからね

人生という部分を消した以上、
なんでも勉強です
いつでも勉強です

他人の批判をしている文章に
受け取られたかもしれませんが、

そもそも社会への(今まで既成概念を作って
それにへばりついている大人たち(一部の)にむけて)

批判です。
人が住んでいる以上、人にしか改善できませんから
社会への批判なのです そして啓発の意味も込めた

私自身、ヨーロッパなどの哲学家の影響は
強く受けています

やはり社会の改善なくしては
生活、世の中の改善はない

裏を返すと、
単に自分が変わればそれで終わりなのですが

人生いつだって、勉強だと思いますよ
それに、自分はなにもしなくてもそこにいるのですから
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2014/02/22 09:31
alfonnceさんは、23歳ですね。
この年齢を踏まえて、話をせていただきます。

貴方の意見に全面的に賛成です。
自分の意志によって、自分の人生を作りです。
これが私の終生の主張です。
私は、このために命を掛けてきたと言っても過言ではありません。

ところで、人間の一生というものを見てみましょう。
生まれて、死ぬまでを、通して見てみましょう。
生まれて、学校を卒業するまでが、人生の準備期です。
社会人になって、仕事を辞めるまでが、実人生期です。
仕事を辞めて死ぬまでが、高齢期です。

alfoncさんは、23歳です。
自分で作る人生は、今からが始まりです。
教育はもう終わりです。

全てを、自分で作り出していかなければならない年齢です。
全て自由です。
他人が教えてなんかくれません。
全て責任を、自分で取らなければならない。

日本には、ものごとのやり方に、「守破離」という考え方があります。
武道、茶道、華道、芸能にある考え方です。
このやり方が、効率的だと考えたということです。

「守」は、まず先人の教えに従う。
「破」は、次に、自分の考えを入れて、やり方を少し変える。
「離」は、さらに、先人の考えから離れて全く新しいものを作り上げる。

人生も、もしかしたらこのようにすることが、効率的かもしれません。
alfonceさん、考えてみてください。

「守」の時にも、自分の考えがると思います。
先人の考えと、違い違和感を感じる部分は、大切にしなければならない。
それが、「破」になり、「離」になるものです。

「破」の段階でもそうです。
自分の考えを入れ、少し新しいものを作り出す。
その時でも、自分の考えがある、
まだ心の中に違和感を感じる部分がある。
その違和感を大切にしなければならない。
それが、自分の物を作り出す「離」を、作り出す原動力です。

他人を教え、先人の教えを学ぶことにも「長所」と「欠点」があります。
alfonceさんは、「欠点」を、強く指摘されています。

全くその通りだと思います。

しかし、一方では大きな「長所」もあります。
「短所」を排除し、「長所」を、上手く利用することではないでしょうか。

私はこのように考えながら、人生を過ごしてきました。





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2014/02/22 07:28
コメントありがとうございます^^

自分を理解するには、
どうしても自分の人生と他人の価値観と切り離す必要がある。

その上で、自分が理解できたなら、
他人も自ずと理解できる、

僕はそう思っています^^;

自分に疑問を抱いたまま
他人を理解するのは難しいですからね

もしできたとしても、
結局はあとで整理が必要になるわけです

もちろん、他人を理解できたときに
自分を理解できることもあるけれど、

当然それは自分を理解した、
ということであるのです。

結局は自分の心ですよね

最終的に、心もないらしいのですが
心にすがらずに生きるには、

やはり自分を見つめ直し
他人を見つめ直すのは

どうしても必要な作業なようです

人生は悟ってからがはじまりですからね
アバター
2014/02/22 01:24
いいお話ですね。
他人の価値観の中で生きる中で自分を否定され、自身もまた自分を認めることができず
苦しんでいた頃を思い出すと当時の苦しみが思い出されます。
と申しましても、それもまた今となっては良い思い出に転化されてもいるのですが。
これは過去にも私なりの意味があり、そして今が幸せだからなのでしょうね。
決して楽ではない生き方であるとも言えますが、私は今の方が堂々としていられて好きです。

他人の価値観に疑問を抱くことや、逆に自分とは異なる価値観を理解することも
自己の成長の上で必要だと私は思っています。何歳になっても学ぶことはとても楽しい。
↓↓の方のようにおっしゃる方は何の疑問も抱かずにいて幸せな人なんだと思います。
それでその人が幸せなら放っておくのが良いかと思います。

良いお話をありがとうございました。
アバター
2014/02/19 19:04
具体的に、どのあたりが
そうなのでしょうか?
アバター
2014/02/19 16:32
この理屈も洗脳みたいなものですね^^;
まぁ鵜呑みにする方はいないでしょうけどm(__)m
失礼しました。




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