Nicotto Town


ふぉーすがともにあらんことを、あなたにも。


すべてのものは、あっている。

すべてのものは、正解という意味です。

もちろん、これの大前提として
正解なんてないし、

間違いもない、というものがあります。

(絶対的な正解と、絶対的な間違い、という意味です)

正解がない、というのは
理論的にはゲーテルの不完全性定理があります。

ある公理系においてその公理が正しいことを
証明しようとすると、

公理系内で矛盾が生じる、
ということです。

つまり、どんなことを正しいと証明しようと
しても、

必ずそれを説明する論理系内で
矛盾が生じるというものです。

神(絶対神)が存在しないことを
証明しようとしたものだったと思いますが、

完全に無矛盾なものはない、
ということですね。

要は、完璧なものなど存在しない、
ということです。

よって、絶対的な正解もないし
絶対的な間違いもない、ということです。

(ただ、人間界には絶対やってはならないことも
存在します。

殺人なんかがいい例です)


じゃぁ、なんで
すべてのものが正解、といえるのでしょうか。

もちろん、この前提には
選択肢において、どちらとも正解、
という意味があります。

異なる意見や、対応が出た場合も同じです。

どちらの意見も正しいし、
どちらの対応(しようとした行動)も
正しいのです。

ただ、結果的に行動の結果、影響(因果)が生じただけであって、
どちらも、どちらの選択肢も
両方とも間違っていないのです。


両方が正しい、という選択肢は
あらゆるところに使えます。

もちろん、その前提には
「人の権利を最低限認める」、という

人権の考え方があります。

人として尊重するからこそ、
全員・双方が正しい、という考え方もできます。

もちろん、中世のヨーロッパ人のような
「人として認めなかったら、人間ではない」
という危険な考え方を連想するかもしれませんが、

あくまで、しゃべるのは人だけ、
という前提です。

全員があっている、ということは
地球上の生き物として

最低限の権利を認められ
(誰に、と思われるかもしれませんが
地球上にいるから、です)

その中で話し合っていい選択肢を導こう、
という前提のもと、

全員があっている、という見方ができます。


もちろん、より良い目的のためには
どちらの意見・言い分も参考になる、

という見地があり、

要は、よい目的のためには
どちらの意見だって参考になる、
というものです。

情報は書き換えられるものですが、
書き換え方さえ知っていれば、

どんな情報だって役に立つわけです。

もちろん、気でも同じで
どんなものも、その大前提を知っていれば
書き換えて利用できるわけです。

(情報において上位概念が下位概念を包摂する、
大前提とは、下位概念を包摂する上位概念のこと)

〈詳しくは、苫米地英人氏の各著書をお読みください
特に、情報の書き換えの項〉


どんな情報だって役に立つのなら、
最初から間違いなどありません。

もちろん、絶対的な正解だってない。
無矛盾なものはない、のところで
説明したばかりです。

選択肢において、
より良い目的を目標とするのなら、

どんな情報だって使える、
ということです。

なので、正解もなければ、
間違いもない。

もちろん、そうなるのなら
全部正解、両方が正解

ということが言えるのです。

アバター
2014/02/23 12:07
みんな違って、みんないい という考え方と
全部正解、という考え方は一見相反する考え方のように見えます

しかしながら、
みんな違って…… を包摂する考え方が
全部が正解、という考え方であって

みんないいからこそ、
全部が正解、というロジックが成り立つのですね

コメントありがとうございます^^
アバター
2014/02/23 02:18
そう思います そして地球上のみんなが
そう思えれば すばらしい世の中になっていくと思います
地球規模で考えても 個々人の心の宇宙を考えてみても
きっと同じように考えられるのでしょうね
その根底に 自分も相手も大切に思う そんな気持ちがあれば
どのような考え方がでても みんな顔世の中の平和のために
考えていこうとするならば みんな正解なのでしょうね
そして 話し合いの過程で みんなの気持ちが一つになっていく
そういう素晴らしさも含んでいる そんな考え方なのでしょう
みんな違って・・みんないい!って言葉もありますけれど

どのように生きても 自分が納得できれば 素晴らしい生き様だし
そしてね 長年生きてきて思うのですけれど
すべての人は それぞれに精一杯いきながら
一番自分にふさわしい最高の生き方をしているのだと思えるのです
いつも 自分の人生がうまくいってると思えれば きっと道は開けていくと思いますから

あ・・関係ないところに話が飛びましたけれど。。素敵な考え方で 本当にそう思います
心を修正しながら歩んでいける人間は素晴らしいと思います^^v
アバター
2014/02/22 07:41
人間は(その人その人は)
常にベストの選択をしている、といいます

ベストを選んできたから、
今の世界があって人間社会があるのです

もちろん、多くの過ちがあったと思います
それが、今の人類に必要だったかは
置いておいて。

「情報の書き換え」おっしゃる通りですね
その手については脳機能学者の苫米地英人氏が
詳しいので

何も言いませんが
流れが交差して得るものがある、というのは
本当ですね

実際、僕の考えでは
地球全体がひとつのものだと
考えることが多く、

その上で
個人の宇宙があるような感じですね

もちろん、直接の関係ではなく
それぞれ別にある中で、
地球の生命エネルギー場という
共通のプレイグラウンドがある感じです

地球全体がひとつの流れなら
そこから何かを得ることも、
エネルギーを得ることも
難しくはないわけです。

もちろん、個人という人間には
個別に生命エネルギーが流れていますので
それはそれで触れるのが楽しい

例えそれが情報だけでも、
常にそれらは流れています

スターウォーズの「フォース」のような
感じですね

元ネタはカルロス・カスタネダ(シャーマンの研究家)らしいですが
実際、そういうのでもそん色あるぐらい

フォースの発想は素晴らしいものです

ってここでフォースについて
語ってもしょうがないですね^^;

まぁ、要はなんでも情報は書き換えが可能だと
いうこと。

すべてのものの上位概念は「情報」ですから
(おそらく「空」の下)
目の前の情報(=自分の心)を書き換えれば
なんでも対処可能、というわけですね

コメントありがとうございます^^
アバター
2014/02/22 02:12
alfonceさんのお話は面白いですね。

本当にそうです、「正しい」と「正しくない」の境界はとても曖昧な方がいい。
私も「あなたが選択した時点で間違いではない」と考える(考えようとする)人です。
私であったならば、それは正しくない選択肢、だと思えることでもです。
選択⇒行動⇒結果、の行動が間違ってしまうことがあるかもしれませんし、
結果的にも「間違っていた」ではなく、意図せず「違っちゃった!」ということもありますが、
選択の時点では、alfonceさんのおっしゃる通り、
『間違い』は大抵において他人ありきで存在していると私も思うからです。
その人が正しいと思うことであれば、それは正しい。

人はそれぞれ流れのようなものの中で生きていると思う。
時々誰かの流れと自分の流れが交差して、それが一瞬であったとしても、
勿体ないからそこで何か得るものがあればいいのですが。
これがalfonceさんの言う『情報の書き換え』なのかな。
読んでいて、なんとなくそう思いました。

この手の話は言葉が難しいですね。うまく伝わっているといいのですが。
アバター
2014/02/20 21:00
はは^^;

そうですね、
選択をすることによって、

間違い、そうではない(あたり)が出てくるわけです

なので間違いは人間が造ったものです

ただ、そこまで言ってしまうと

有(ある)と無(ない)を包摂する空(くう)…… という話に
なってしまいますので、

選択の上で全部あっているものとして
判断したほうが、

よりよい判断がしやすい、
ということでしょうね^^;
アバター
2014/02/20 20:11



クルト・ゲーデル

クルト・ゲーデルは、オーストリア・ハンガリー二重帝国のブルノ生まれの数学者・論理学者である。業績には、完全性定理及び不完全性定理、連続体仮説に関する研究が知られる。 ウィキペディア

まずゲーデルは誰か分かった。顔的に数学という顔していましたwwww
アバター
2014/02/20 20:09
理解できませんでしたーチーン(゜д゜)

モトハ アタリばっかということか ほーほ




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