鬼山奇談
- カテゴリ:自作小説
- 2014/10/31 12:56:59
奥羽の山中。
一人の行李を背負った若侍が、山道を行く。
「・・・」
ギャアギャアと鳥の飛び立つ音に、ふと目を向ける。
「ふっ。」
そして、やけに過敏になっている己を発見し、小さく笑った。
何時しか道は、緑多き景色では無く、ごつごつとした岩場に差し掛かっていた。
ぽつぽつと点在する樹木も、枯れて久しい物ばかりである。
「そこな男。」
背後から、声がした。
甲高くか細く、しかし語気だけが妙に鋭く、良く響く音色。
「・・・」
若侍が振り向くと。
そこには。
「ここは、禁忌の御山ぞ。何故(なにゆえ)、先を行く。」
年の頃は十二、三ばかりだろうか。
おかっぱに髪を切り揃えた、巫女姿の娘が立っている。
「御主、何者だ。」
「拙者は、後藤廉之助。」
若侍・・・廉之助は油断無い所作で、眼光鋭く名乗った。
「・・・後藤?」
娘は、ちょい、と首を傾げる。
「娘。お前の問い、すっかり返そう。」
「・・・」
「奥羽の山は、どれも女人禁制の筈。」
「・・・」
「しかも。」
廉之助はぐるりと周囲を見渡した。
「お前、何処から現れた。」
ここは、険しい岩に囲まれた、一本道である。
後をずっと尾行(つけ)ていた、と言うなら、流石に気配で気付く筈。
「・・・お前。」
「・・・」
「何者だ。」
「ふふふふふふ。」
「・・・!」
ぞくり。
廉之助の背筋に、氷を押し当てられたような悪寒が奔る。
「えぇい!」
鯉口を切り。
鞘疾らせ。
抜打つ。
全ては瞬時に完了した。
が。
「成る程。」
娘は、五間(およそ9m)程離れた場所に、ふわり、と音も無く降り立っていた。
「只者では、なさそうじゃの。」
「・・・」
それもまた、こちらの科白だ、と、頬に冷たい汗を伝わらせつつ、廉之助は心で呟いた。
廉之助の抜刀を無傷でかわせる者など、日本中探しても十指に足るまい。
しかも。
その、跳躍力。
只者どころか。
明らかに”人間”では無い。
「どうやら、”儂”が目当てのようじゃの。」
「・・・」
やはり、と廉之助は思った。
伝説は、虚偽では無かったのだ。
「話を聞こう。ついて参れ。」
娘は、悠々と歩を進め、廉之助を追い越した。
「・・・」
廉之助は娘の言葉に従い、その華奢に見える背中を追った。
そして。
ふと、遠い昔の情景を、意識の中で映し出した。
「うっ!」
幼い廉之助は、父の木刀に弾き飛ばされ、尻餅を付く。
「どうした廉之助!」
父の激しい叱咤が飛ぶ。
「情けなや!それでも”鬼討ち”後藤の、次期当主か!」
「・・・」
「そんな様で、御先祖様に恥ずかしいとは思わんのか!」
「・・・」
「悔しくば、立ってこの父に一太刀でも入れて見せい!」
「・・・ふん!」
負けん気から来る、強い反抗心。
それが、廉之助の口から迸り出た。
「何が鬼討ちだ!」
「何だと!」
「鬼を討ち倒した、等と世迷い事を!」
「廉之助!貴様!」
「真(まこと)、そうなら、証拠を見せて見よ!」
「・・・」
「どうした!親父殿!先祖が鬼を討った証を、この目の前に・・・!」
「良かろう。」
「・・・え?」
「お前も、もうじき十だ。そろそろ、見せても良い頃だろう。」
そして、その日。
廉之助は”それ”と対面させられた。
「・・・で?」
そこは。
畳を敷いただけの、岩屋だった。
燈台の灯りが、ちろちろと影を踊らす。
「何用で参った。」
娘は、脇息(肘掛け)にもたれ、身を腹這いに横たえた。
「申して、見い?」
悪戯っぽい口調。
誘うような、流し目。
襟元から覗く、微かな膨らみ。
流れるような、背中から腰にかけての線。
見た目の、その年にそぐわず、艶めかしい。
「・・・我が先祖、後藤左衛門は・・・」
こくり、と。
生唾を喉に通す音の後。
廉之助は、言葉を継いだ。
「里を荒らす悪鬼を、太刀一閃で薙ぎ払い・・・」
「ほぉ?」
「悪鬼はたまらず、この山に逃げ去った、と伝わる。」
「ふふふ・・・」
娘の意味有り気な笑みに、廉之助は悪寒を禁じ得ない。
それでも。
「・・・その時・・・」
行李から、細長い包みを、取り出す。
「鬼の身から斬り取った、と言われる・・・」
そして。
その、絹布を解き。
「”一物”だ。」
現れたのは。
節くれ立った。
黒光りする。
干物の様な。
長さ八寸程の、物体。
「・・・で?」
娘は、目を細め、重ねて問う。
「これをどうする、と、言うのだ?」
「鬼殿に、お返しする。」
「・・・何故。」
「もう、良いだろう。」
廉之助は、肚に力を込めた。
「悪さをしたとて、それも遠い昔の話。今は山に大人しく引き籠っておられるのだ。」
「・・・」
「この様な物を、後生大事に仕舞い置き、誉と致す人間がいる等、鬼殿には耐え難い恥辱だろう。」
「・・・」
「だから、先日父が亡くなり、当主としてこれを引き継いだ、この後藤廉之助が・・・」
廉之助の眼差しが、強い光を帯びる。
「お返しする事に、したのだ。」
「はははははははは!」
突然。
娘が、けたたましく笑い出した。
「・・・」
廉之助は、黙して、その姿を見ていた。
それでも、姿勢を変えぬまま。
目の前の娘・・・
いや。
”鬼”が。
どう出ようと。
即座に対応出来るよう。
”備え”を、完了している。
「いや、変わっているな、御主。」
「良く言われる。」
「流石、子孫だ。後藤左衛門に、良く似ているよ。」
「・・・」
「・・・ただ。」
娘の笑みが。
にい、と広がり。
形相に、怪しさが、増す。
「お前の語った伝説、な。」
「・・・」
「少し、誤りがある。」
「・・・何?」
「儂は・・・」
鬼は、ふ、と遠い眼をした。
「左衛門に”求めて”これを斬らせた、のだ。」
「な、何!?」
余りに、予想外の言葉。
廉之助は、瞬時、自失した。
「驚いたようだな。」
「・・・!」
そして。
図星を突かれ、更に、狼狽する。
「な、何の為にっ!」
「決まっておろう。」
鬼は、ぽっ、と染まった両の頬を、掌で押さえた。
「”男”を、捨てる為、じゃ。」
「・・・え?」
「左衛門は、ほんにいい男でのぅ。」
「・・・は?」
「儂の”それ”に劣らぬ、良い”モノ”を持っておったわ。」
「・・・な!?」
「儂は毎晩、その立派な”それ”で、激しゅう責め立てられて、のぅ。」
「・・・えええ!?」
「まあ、左衛門の”太刀”で”やられた”とは、あながち間違いでも無い、かのぅ。」
「な、な、な!」
「左衛門が、人間の”女”を嫁に娶ると知って、儂は大人しゅう、身を引いたのだが・・・」
額に、にゅう、と、角が生える。
「ほんに、御主は・・・」
身が、ぐぐぐ、と、盛り上がる。
「左衛門に、よう似とる。」
口から、しゃき、と、牙が出る。
「ちょ、ちょっと・・・!」
廉之助は、逃れようと後ろ手を忙しく動かす。
腰は抜けて、身を立ててくれない。
「百五十年ぶり、だ。」
「ま、待って・・・!」
「飢えとるぞ、儂は。」
「たぁすけてえぇぇぇぇぇぇぇ!」
岩屋の外で、鶯がほーほけきょ、と鳴いた。
陸奥奥羽の遅い春は、もうそこまで来ていた。
[完]