Nicotto Town



鬼山奇談

奥羽の山中。
一人の行李を背負った若侍が、山道を行く。

「・・・」

ギャアギャアと鳥の飛び立つ音に、ふと目を向ける。

「ふっ。」

そして、やけに過敏になっている己を発見し、小さく笑った。




何時しか道は、緑多き景色では無く、ごつごつとした岩場に差し掛かっていた。
ぽつぽつと点在する樹木も、枯れて久しい物ばかりである。

「そこな男。」

背後から、声がした。
甲高くか細く、しかし語気だけが妙に鋭く、良く響く音色。

「・・・」

若侍が振り向くと。
そこには。

「ここは、禁忌の御山ぞ。何故(なにゆえ)、先を行く。」

年の頃は十二、三ばかりだろうか。
おかっぱに髪を切り揃えた、巫女姿の娘が立っている。

「御主、何者だ。」

「拙者は、後藤廉之助。」

若侍・・・廉之助は油断無い所作で、眼光鋭く名乗った。

「・・・後藤?」

娘は、ちょい、と首を傾げる。

「娘。お前の問い、すっかり返そう。」

「・・・」

「奥羽の山は、どれも女人禁制の筈。」

「・・・」

「しかも。」

廉之助はぐるりと周囲を見渡した。

「お前、何処から現れた。」

ここは、険しい岩に囲まれた、一本道である。
後をずっと尾行(つけ)ていた、と言うなら、流石に気配で気付く筈。

「・・・お前。」

「・・・」

「何者だ。」

「ふふふふふふ。」

「・・・!」

ぞくり。
廉之助の背筋に、氷を押し当てられたような悪寒が奔る。

「えぇい!」

鯉口を切り。
鞘疾らせ。
抜打つ。
全ては瞬時に完了した。
が。

「成る程。」

娘は、五間(およそ9m)程離れた場所に、ふわり、と音も無く降り立っていた。

「只者では、なさそうじゃの。」

「・・・」

それもまた、こちらの科白だ、と、頬に冷たい汗を伝わらせつつ、廉之助は心で呟いた。
廉之助の抜刀を無傷でかわせる者など、日本中探しても十指に足るまい。
しかも。
その、跳躍力。
只者どころか。
明らかに”人間”では無い。

「どうやら、”儂”が目当てのようじゃの。」

「・・・」

やはり、と廉之助は思った。
伝説は、虚偽では無かったのだ。

「話を聞こう。ついて参れ。」

娘は、悠々と歩を進め、廉之助を追い越した。

「・・・」

廉之助は娘の言葉に従い、その華奢に見える背中を追った。
そして。
ふと、遠い昔の情景を、意識の中で映し出した。





「うっ!」

幼い廉之助は、父の木刀に弾き飛ばされ、尻餅を付く。

「どうした廉之助!」

父の激しい叱咤が飛ぶ。

「情けなや!それでも”鬼討ち”後藤の、次期当主か!」

「・・・」

「そんな様で、御先祖様に恥ずかしいとは思わんのか!」

「・・・」

「悔しくば、立ってこの父に一太刀でも入れて見せい!」

「・・・ふん!」

負けん気から来る、強い反抗心。
それが、廉之助の口から迸り出た。

「何が鬼討ちだ!」

「何だと!」

「鬼を討ち倒した、等と世迷い事を!」

「廉之助!貴様!」

「真(まこと)、そうなら、証拠を見せて見よ!」

「・・・」

「どうした!親父殿!先祖が鬼を討った証を、この目の前に・・・!」

「良かろう。」

「・・・え?」

「お前も、もうじき十だ。そろそろ、見せても良い頃だろう。」

そして、その日。
廉之助は”それ”と対面させられた。




「・・・で?」

そこは。
畳を敷いただけの、岩屋だった。
燈台の灯りが、ちろちろと影を踊らす。

「何用で参った。」

娘は、脇息(肘掛け)にもたれ、身を腹這いに横たえた。

「申して、見い?」

悪戯っぽい口調。
誘うような、流し目。
襟元から覗く、微かな膨らみ。
流れるような、背中から腰にかけての線。
見た目の、その年にそぐわず、艶めかしい。

「・・・我が先祖、後藤左衛門は・・・」

こくり、と。
生唾を喉に通す音の後。
廉之助は、言葉を継いだ。

「里を荒らす悪鬼を、太刀一閃で薙ぎ払い・・・」

「ほぉ?」

「悪鬼はたまらず、この山に逃げ去った、と伝わる。」

「ふふふ・・・」

娘の意味有り気な笑みに、廉之助は悪寒を禁じ得ない。
それでも。

「・・・その時・・・」

行李から、細長い包みを、取り出す。

「鬼の身から斬り取った、と言われる・・・」

そして。
その、絹布を解き。

「”一物”だ。」

現れたのは。
節くれ立った。
黒光りする。
干物の様な。
長さ八寸程の、物体。





「・・・で?」

娘は、目を細め、重ねて問う。

「これをどうする、と、言うのだ?」

「鬼殿に、お返しする。」

「・・・何故。」

「もう、良いだろう。」

廉之助は、肚に力を込めた。

「悪さをしたとて、それも遠い昔の話。今は山に大人しく引き籠っておられるのだ。」

「・・・」

「この様な物を、後生大事に仕舞い置き、誉と致す人間がいる等、鬼殿には耐え難い恥辱だろう。」

「・・・」

「だから、先日父が亡くなり、当主としてこれを引き継いだ、この後藤廉之助が・・・」

廉之助の眼差しが、強い光を帯びる。

「お返しする事に、したのだ。」







「はははははははは!」

突然。
娘が、けたたましく笑い出した。

「・・・」

廉之助は、黙して、その姿を見ていた。
それでも、姿勢を変えぬまま。
目の前の娘・・・
いや。
”鬼”が。
どう出ようと。
即座に対応出来るよう。
”備え”を、完了している。

「いや、変わっているな、御主。」

「良く言われる。」

「流石、子孫だ。後藤左衛門に、良く似ているよ。」

「・・・」

「・・・ただ。」

娘の笑みが。
にい、と広がり。
形相に、怪しさが、増す。

「お前の語った伝説、な。」

「・・・」

「少し、誤りがある。」

「・・・何?」

「儂は・・・」

鬼は、ふ、と遠い眼をした。

「左衛門に”求めて”これを斬らせた、のだ。」

「な、何!?」

余りに、予想外の言葉。
廉之助は、瞬時、自失した。

「驚いたようだな。」

「・・・!」

そして。
図星を突かれ、更に、狼狽する。

「な、何の為にっ!」

「決まっておろう。」

鬼は、ぽっ、と染まった両の頬を、掌で押さえた。

「”男”を、捨てる為、じゃ。」

「・・・え?」

「左衛門は、ほんにいい男でのぅ。」

「・・・は?」

「儂の”それ”に劣らぬ、良い”モノ”を持っておったわ。」

「・・・な!?」

「儂は毎晩、その立派な”それ”で、激しゅう責め立てられて、のぅ。」

「・・・えええ!?」

「まあ、左衛門の”太刀”で”やられた”とは、あながち間違いでも無い、かのぅ。」

「な、な、な!」

「左衛門が、人間の”女”を嫁に娶ると知って、儂は大人しゅう、身を引いたのだが・・・」

額に、にゅう、と、角が生える。

「ほんに、御主は・・・」

身が、ぐぐぐ、と、盛り上がる。

「左衛門に、よう似とる。」

口から、しゃき、と、牙が出る。

「ちょ、ちょっと・・・!」

廉之助は、逃れようと後ろ手を忙しく動かす。
腰は抜けて、身を立ててくれない。

「百五十年ぶり、だ。」

「ま、待って・・・!」

「飢えとるぞ、儂は。」

「たぁすけてえぇぇぇぇぇぇぇ!」






岩屋の外で、鶯がほーほけきょ、と鳴いた。
陸奥奥羽の遅い春は、もうそこまで来ていた。






[完]









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