Nicotto Town



「へぇ。生島さんって、箸の使い方、上手なんだね。」

始めは何気無い、本当に何て事無い一言。

「お姉ちゃんに、教えてもらったの・・・」

頬を染め、俯きながら、生島奈緒はぽつりと呟く。

「ふぅん。」

俺はその後も、社食の日替わり定食の焼き魚の骨を器用に避ける、美しい箸使いを、ただ何と無く眺めていた。




「おい、登丸。」

ラウンジでのコーヒータイムに水を差して来やがったのは、大学時代からの友人、伊佐だった。

「お前、生島奈緒と付き合ってるんだって?」

「それが?」

「そ、それが、って・・・」

まぁ、伊佐が戸惑うのも無理は無い。
確かに奈緒は、学生時代に交際した数々の女共とは、タイプが全く違っている。
化粧気も無く、地味で。
顔も飛び切りの美女、と言う訳でも無く。
スタイルも、その性格を反映しているかのように控え目だ。

「あ、あっちがスゲーいい、とか?」

「馬鹿。」

二十代の半ばに差し掛かろうと言うのに、奈緒は処女だった。
無論、テクニックと呼べるような物は何も持ち合わせてはいない。
ただ。

「何て言ったらいいかな・・・」

未だに初々しい態度と、俺の愛撫に対する素直な反応に、目が眩む程燃えるのも事実だ。

「居心地良いんだよ、あいつは。」

遊び慣れ、容姿に自信を持ち、男からアピールされる事を当然の前提としている女ばかりを相手にしていた俺にとっては、確かに新鮮、とも言える。
それに。
奈緒の一歩引いたその態度、箸使いに象徴される綺麗な作法は、当に良妻、と言う言葉にぴったり嵌る、ってのもある。

「プレイボーイの登丸君も、とうとう年貢の納め時かぁ?」

「・・・」

コイツに言われると、反論したい衝動に駆られる物の、正直、それも考えていたりする。

「お。」

噂をすれば、と言う奴だろう。
奈緒が、俺の姿を求めて、のようだ。
ラウンジにひょっこり顔を出した。

「あの・・・」

「ああ。もう昼か。」

腕には、二つの弁当箱が抱えられている。

「じゃ、行こうか、奈緒。」

「でも・・・」

「あいつは放っておけばいい。」

じと目の伊佐を置き去りに、俺は奈緒の腰に軽く手を回し、そこを立ち去った。





「まぁまぁ。ようこそいらっしゃいました。」

「あ、はい、あの・・・」

「どうぞどうぞ、お上がり下さいな。」

奈緒の母親は、やはりこの子にしてこの親あり、と言うか。
楚々とした所作が自然に映る、上品な女性だった。
伊佐の言葉通り、あれから程無く、俺は奈緒に伴われ、生島家に赴く流れとなっていた。

「あ・・・」

奈緒と共に、母親の案内に従って居間へと到着すると、甚兵衛姿の年配の男が腕を組み、胡坐を掻いていた。
奈緒の父親だろう。

「あ、あの、ぼ、僕は奈緒さんとお付き合いさせて頂いております・・・!」

「登丸夏輝君だね。娘から聞いてるよ。まぁまぁ、そう固くならず。」

緊張が完全に解けた、と言う訳でも無いが、満面の笑みを向けられた事で多少は肩の力が抜けた。
その腕を組んだまま、仏頂面で”娘とはどう言う付き合いなのか””将来は考えているのか”等と問い詰められる事も想定していた身としては、ほっと一息、と言った所だ。

「夏輝君はイケる口かね?」

「あ、は、はい。その、多少は・・・」

「お。その様子だと、多少なんて物じゃ無いな?」

「え!?あ、いやぁ・・・」

「ははは!いいじゃあないか!呑めん男と顔を突き合わせても、むさいばっかりだ!おおい、母さん!ビールビール!」

母親や娘とは対照的に、随分と豪放磊落な人物のようだ。
安堵も手伝い、俺はこの父親に好感を持った。
この人を”お義父さん”と呼ぶ事になるのかな、等とちら、と思う。
奈緒は俺の隣にちょこん、と座り、終始赤らんだ顔を伏せていた。





「あの・・・」

酒宴状態の歓談の中、俺はふと、ある事に気付いた。

「奈緒さんのお姉さんは、お出掛けですか?」

「・・・え?」

父親は、鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をした。
そう。
奈緒には”お姉ちゃん”がいた筈だ。
始めて個人的に言葉を交わした際、その美しい箸使いは姉から教わった、と言っていたのだから。

「・・・ああ。」

やがて父親は、苦笑して、よっこらしょ、と言う掛け声と共に、少々酔いにふらつく足取りで

「美緒にも、夏輝君を紹介してやらんとな。ついて来たまえ。」

俺を先導した。

「・・・奈緒?」

俺は即座にそれに従ったのだが、何故か奈緒はそのまま、じっと動かない。

「・・・」

しかし、俺の呼び掛けで観念したように、のろのろと立ち上がり、俺の後ろに・・・
いつもより少し距離を置いて歩いた。





「これが、奈緒の姉、美緒だ。」

奥の間に通された俺が見た物は。
仏壇。
位牌。
写真。
中学生くらいの少女だが、恐らく遺影なのだろう。

「・・・」

つまり。
奈緒の姉は。

「奈緒とは、一つ違いでね。仲のいい姉妹だったんだが・・・」

「・・・?」

何故だろう。
奈緒が、微かに震えている。

「留守番中、家の階段から落ちて、ね。」

「・・・奈緒?」

「火葬後、そのお骨も、奈緒が一人で拾ったんだ。他の者に、両親の私達にさえ手を出させなくて、ねぇ。」

「奈緒!」

突然。
奈緒は、部屋を飛び出した。
俺はその後を追い・・・





「・・・どうしたんだ、奈緒。」

やがて、庭先で立ち竦む奈緒の後ろ姿を発見し、声を掛けた。

「夏輝さん。」

奈緒はこちらに背を向けたまま、震える声で、囁くような微かな声を発した。

「お姉ちゃんを殺したのは、私なんです。」

「・・・え?」

「あの時・・・」

ぽたり。
ぽたり。
奈緒の足元に、雫が幾つもの染みを作る。

「お姉ちゃん、私をからかって、私の宝物の、ガラス玉がついた指輪を取り上げて・・・」

「・・・」

「ふざけて、なんでしょうけど・・・”こんな物、私が食べちゃう”って・・・口に入れて・・・」

「・・・」

「かっとなった私は・・・あの時、そこが階段の上だった事を、意識していたんでしょうか、してなかったんでしょうか・・・思い出せません。」

「・・・」

「後で私は・・・大人達には、お姉ちゃんが足を滑らせた、って話しました・・・」

「・・・」

「でも、あの指輪がどうしても見付からず、お姉ちゃんが飲んじゃったんだ、って・・・」

「・・・」

「もし、あれがお姉ちゃんのお腹から出て来たら、私がお姉ちゃんを突き飛ばした事がばれちゃう、って思って・・・」

「・・・」

「だから・・・誰にも手を出させず、お骨を一人で拾ったんです。他の人に指輪が見付からないように・・・」

「・・・」

「子供とは言え、人一人のお骨って、結構な量ですね。私、あれ以来、すっかり・・・」

箸の使い方に慣れちゃいましたよ・・・
奈緒は空を仰いで、自嘲の笑みと共に言った。

『そう言う・・・意味だったのか・・・』

何故かは、解からない。

「結局、両親にはバレてたみたいですけどね。あれは事故だったんだ、って、しつこいくらいに・・・夏輝さん?」

俺の目からは、とめど無く涙が流れていた。
そして。

「きゃ!?」

気付くと、奈緒を抱き締めていた。

「・・・夏輝・・・さん・・・」

やがて、俺の胸に頭をもたせかけて来る奈緒に。
言葉にはせず、一生守る、と誓った。







[完]




アバター
2014/12/25 22:03
自分の書いたキャラ達さえも、生きているから。
私もよくありますよ。
アバター
2014/11/28 11:14
実は夏輝がかつての美緒の恋人で、実は奈緒の罪を暴く為に近付いていた・・・ってサスペンス的展開も考えたんですが、それで話を進めると私の中の奈緒が泣くんです。
じっと、何かに耐えるみたいに、唇噛んで、俯いて。
だから、こんな話になってしまいました。



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