血
- カテゴリ:自作小説
- 2014/12/30 12:02:30
「帰って!帰って下さい!」
西美恵子は、藤東吾に向かい、噛み付くように叫んだ。
吠えた、と言う表現がそのまま当て嵌まる様な剣幕だ。
「・・・ママ?」
美恵子の背後から、男の子の声がする。
「お子さん、ですか?」
「帰って!」
東吾の身体を突き飛ばす様に押し出す。
男顔負けの体格を持つ恵美子の掌は、彼を追い出すのに充分だった。
玄関のドアがばたん!と勢い良く閉められる。
「ママ・・・」
「大丈夫。何でも無いのよ。」
美恵子は歩み寄って来た息子の栄二を、ひし、と抱き締めた。
「公務執行妨害で逮捕状取ります?」
門の前で待っていた山本が薄笑いを浮かべ、東吾に質す。
「馬鹿。」
東吾は憮然と、山本に目も呉れずに歩み出した。
「暴行罪だって立派に成立しますよ?」
東吾を慌てて追いつつ、へらへらと戯言を繰る。
美恵子が押し出した件を言っているのだろう。
「その前に、俺の不退去罪が適応されちまう。」
「何、逮捕しちまえばこっちのモンすよ。」
「お前、何か勘違いしてねェか。」
「はい?」
「これは捜査じゃない。俺の、個人的な謝罪だ。」
「藤さん一人が気に病む問題じゃないっすよ。」
「・・・」
「それにあの女だって、森栄一郎の元恋人だったってだけで、別に結婚してた訳じゃ無いんだし。」
「同棲もして、半ば内縁関係だった。殆ど代わりは無いさ。」
「それにしたって、ですね。」
山本は下卑た笑みを広げる。
「あの子供。」
「・・・」
「調べたんすよ。7月12日生まれの、満四歳。これ、どう思います?」
「何がだ。」
「種付けは、森の死の直後としか思えないじゃないですかぁ。」
「・・・」
「恋人が獄死したっつーのに、どっかの男と乳繰り合ってやがるような女すよ?」
「山本。」
「大体、森にしたって、実際、罪を犯してた訳っすから。」
「強盗殺人まではやっちゃいない。」
「でも、昔はチームにまで入ってた不良だったんっしょ?その頃、何やってたか解かったもんじゃないじゃないっすか。」
「山本。」
「自業自得っすよ、自業自得。藤さんが頭ぁ下げる必要は・・・ぶっ!?」
山本の顔面に、東吾の拳がめり込んだ。
「お前ェ、刑事辞めろ。」
白目を剥いて崩れ落ちる山本に、東吾が吐き捨てた。
「そんな野郎が警察にいたんじゃ、冤罪はいつまで経ってもなくならねェ。」
調布市連続強盗殺傷事件。
8年前に起きたその事件は、重傷一人、軽傷二人、死亡一人と言う被害者を出し。
結局、犯人が得た金の総額は、83000円。
その後、恐喝の罪で逮捕された栄一郎が、防犯カメラに映った背格好と合致するとして、その事件の容疑者とされ。
懲役15年の実刑判決。
実際、恐喝罪に関しては、不良時代の弟分の、その妹が男に弄ばれた事が発端であり、情状酌量で、精々執行猶予付き判決が関の山であったろう。
栄一郎の死因に関しても、単なる心臓発作であったが。
同じ死ぬにしても、強盗殺人の罪状が加わらなければ、娑婆で畳の上の最期を迎えられたであろうし。
何より、獄中での心身に掛かるストレスが、身を蝕んだ事は否定出来ない。
特に、精神に関して。
それが、”冤罪”であったとするならば。
先ず恐喝罪で栄一郎に手錠を掛けたのが、実は東吾であった。
そして取り調べの中、二人の間には奇妙な心の交流が生まれ。
捜査一課の連中から栄一郎を強盗殺人藩として引き渡しを要求された際には、強硬にそれを拒み、捜査のやり直しを求めた。
”栄一郎が、金の為に人殺しをする筈は無い”と。
東吾の降格と閑職への島流しは、それが原因でもあった。
結局、検察は栄一郎を”真犯人”として裁判に持ち込んでしまったのだった。
が、その後、東吾の判断が正しかった事が明らかとなる。
2年前。
栄一郎のアリバイを証明する人物が”帰国”したのだ。
仕事で海外へ渡っていたその栄一郎の古い友人は、事件当夜、転勤に伴う選別の宴で、共に朝まで呑んでいた、と語った。
帰国後、栄一郎の獄死を知った彼は、慌ててそれを証言しに警察へと駆け込んだのだった。
だが、栄一郎が生き返る訳でも無く。
東吾が元の階級と職場に復帰できた訳でも無い。
一時はマスコミも冤罪事件として記事にはした物の、世論としては概ね山本の意見がその代表的な物と言えた。
警察の発表の仕方が、その方向性を定めたとも言える。
その中。
ただ、東吾のみが。
今も、栄一郎の元恋人、恵美子の前に、その贖罪の意を表しに訪れていた。
「ね。栄二。何か食べたい物、ある?」
ある、日曜日。
恵美子は仕事の忙しさにかまけ、普段構ってやれない息子を伴い、街へと出ていた。
「お母さんが作ったカレー!」
「・・・そう。」
息子の満面の笑みでの応えに、恵美子は顔を背けずにはいられなかった。
熱くなる目頭を、そっと拭う為に。
「あ。」
突然、息子が、前方を指差した。
「あのおじちゃん。」
その先には、東吾が立っている。
「・・・」
恵美子は息子の手を強く引き、その存在を無視して足早に通り過ぎようとした。
が。
「一昨日、医師の志村良平を公文書偽造で逮捕した。保険の水増し請求をやってやがってな。」
「・・・!」
東吾の言葉に、恵美子は思わず足を止めた。
「あんたと栄一郎のカルテも残っていたよ。」
「・・・」
「子供が出来たら籍を入れよう・・・そう、待合室で話し合ってたんだってな。」
「・・・」
「体外受精による不妊治療に、保険は利かない。さぞ、金がかかったろう。」
「・・・」
「その子は・・・」
東吾の視線が、恵美子の息子に注がれる。
「やっぱり、栄一郎にそっくりだよ。」
「それがっ・・・!」
「俺の話は、それだけだ。」
東吾は踵を返した。
「もう、あんたの前には、現れないよ。」
「・・・」
「先日、”警視の息子”を殴っちまってね。本州の端っこの駐在所に左遷になったんだ。」
「・・・あのっ!」
「もう、話は終わりだ。」
東吾の背中は、遠ざかって行く。
「ママ・・・?」
息子が、恵美子を案じて声を掛ける。
恵美子はもう、涙を堪える事が出来なかった。
そう。
不妊治療には、金が掛かった。
だから。
恵美子は。
しかし、83000円では、ほんの足しにしかならず。
今も当時の借金の返済に、忙しく働いている恵美子だった。
が。
愛しい男の血を引く息子が傍にいる。
それだけが、恵美子の支えだ。
[完]
純愛の、1つの形だね!
茶沢山さん、ありがとうね(°∀°)
私の思う”純愛”は、こんな感じです。