Nicotto Town


ふぉーすがともにあらんことを、あなたにも。


世の中にはなぜイヤな情報しかないのか。

最近バイラルな情報が増えている、そう思いませんか―。
例えばYa★ooなんかだと、適当な日本の記事ばかり目立ちます。

たまにまともな記事があると、AFPだったりロイターだったり……。
まぁ、相手はまともな通信社なので、比較するのすらバカバカしいことでは
ありますが……。

この現象を、もっとも端的に表すのなら、
「世の中にはなぜイヤな情報しかないのか―」

これを解くキーは、情報の流動性、自由度にあります。


そもそも、情報というのは(今の世の中でいうなら)
インターネットを通じて流れています。

バイラル(粗雑・混沌)という言葉が当てはまるのは、
まさにこのネットに流れる情報、そこを通じて行われる
やりとりです。(もちろんまともなやりとり、ユーザーがいること
も忘れてはいけない。)

特段、バイラルと言える状態にあるのは、
まさしく大手のネットや新聞などが作っている記事―。

特に、その記事のコメント欄などに書き込まれる情報も、
乱雑というか本心か本心でないか分からないような
適当でずさんなものが目立ちます。まるで、ストレスの発散目的で
書いているかのような、ね。

新聞社(特に日本の)が載せている記事なんかはずさんそのものです。
一見普通の記事のように見えて、実は中身がない。
情報の空洞化という言葉もそのうち出てきそうですが、
ネットで流れるのはプロパガンダや意図的に流したい情報、
ばかりです。

情報の流動性というものを「イヤな情報しかない」状態のキーと
呼びましたが、そもそも「イヤな情報しかない」状態は情報の流動性、
つまり「流れがない」状態に起因するものです。

大手ポータルサイトなどのニュースなどは、一見情報が
流れているように見えます。政治のニュース、事件のニュース、
経済のニュース、確かに一見そうです。

ただ、もし肝心の記事そのものに中身がないとしたら……、
そうです、情報の空洞化です。
大手新聞社などが、中身のない上っ面だけの記事を
流し続けたら、たしかに事件の名前は知っていてもその中身を
知らない人は増えてくるかもしれません。そういうものが、いわゆる
情報の空洞化です。

要約しますが、あまりにも情報の多すぎるところでは、
情報はほとんど流れていません。

上っ面だけの情報になるので、その中身がないのです。
もちろん、「事件の名前だけですべて分かる」と言われてしまえば
それまででしょうが、そもそもそういうのを「上っ面だけ」と呼ぶのであって
それは本来の道理ではありません。なので話を情報の空洞化と流動性に
戻すことにします。

情報に中身がないと、そもそも流れていることにはなりません、
ということなのですが、これを脳機能学者の苫米地英人氏の用語を
借りるなら、単純に言って情報の抽象度です。

抽象度が高ければ、下位の情報も含むから情報量は少なくても
言ってることは同じ、というのが大ざっぱな概要なのですが、

抽象度の高いニュースと、大ざっぱなニュースというのは、
似て非なるもの、です。

抽象度の高い……とはいわゆるその事象が抽象度が高い、
ということでしょう。ニュースの中身、の話です。

かといって、大ざっぱなニュースというのは、
いわゆる事象・出来事を無視して必要以上に端的に
書いてしまった挙句、「中身がない」状態のことです。

雑なニュースとも呼べるもので、物事の上っ面しか
表現していない、まさしくそんな言葉が当てはまるものです。

中身の抜け落ちた、そんな情報ばかりがあるところを、
「情報が流れているところ」と呼べますか?そんなのはないに
等しいものです。じゃぁ、どこにあるのか?

答えは、情報の流動性にあります。


情報が流れている状態、というのは
情報に意味がある状態、です。

ただ、苫米地氏の著書を読まれている方には
お分かりだと思いますが、情報の重要度というのは
抽象度が上がるにつれて下がっていきます。

つまり、意味がなくなっていくから抽象度が上がるのです。

かといって、より広い概念を包摂できますから
情報を見渡すことに意味が移っていくのです。

この辺は理解できなくても大丈夫ですが、
答えをいうならば、抽象度をちょうどいいところに保てば、
情報に意味がある状態でほどよくやりとりができる、ということになります。

よく分からないかもしれませんが、
簡単にいうならば「情報をローカライズさせればほどよくやりとりが
できる」なのです。複雑な情報でも、煩雑な情報でもいけません。
ちなみに、その複雑性を解くカギも、抽象度にあります。

(この抽象度という言葉に興味を持たれた方は、是非苫米地氏の著書を
読まれることをおすすめします。)

抽象度に関する説明は、省かせてもらいますが
情報をローカライズさせる、というのは非常に簡単です。

ネットというハイテクでやりとりしているものを、
実際に手紙ややりとりで話しているように、ローカルな情報にしてしまうのです。

簡単にいうと、身近なやりとりや親近感を感じる方法で、
ということです。

(かといって、出会い目的はちとやりすぎのような気もしますが)

臨場感が上がれば、適当なところにまで抽象度は下がります。
抽象度が下がる、ということは情報の複雑性も下がる、ということです。

つまり、分かりやすくなる、ということ。

複雑にやりとりされていることには、疑問や違和感を感じても、
身近なことになら、さほど違和感を感じない、というわけです。

なので、今日からものすごくローカルというかローテクで
扱っているようにしてみてください。

きっと、あまりにも煩雑な情報やどうでもいい情報には
目が行かなくなるはず。

むしろ、それで煩悩を感じる、という人には
一度ネットから離れることをおすすめします。

ネットは技術であっても、人類の万能の道具とまでは
いかないのです。

ほどよく便利な方法でも、行き過ぎた使い方では
かえって煩雑というか、困窮します。

ほどよく使い方を覚える(=ローカライズさせる)ということをすれば、
ほどよく便利な方法であってくれるのです。

情報の流動性(自由度)を保つ、ということは
つまりこういうことです。

適当にローカライズされているから、使いやすい。
適当に行き過ぎないから、ローカライズされている。

つまり、ローカライズとは適当に行き過ぎていない状態の
ことです。

情報がローカルなものであれば、思考にも使いやすいと
思いませんか?あまりにも雁字搦めの情報だと、使いにくくはありませんか?

ということは、空を悟ればよいのです。
行き過ぎない状態が、ネットで情報に呑まれない上で必要なことなのです。

もう、イヤな情報は見なくていい(=で、イヤな情報はない)
つまり、イヤな情報は自分で作りだしていたのです。

単純でしょう?ブラウザを身近に使うだけで、イヤな情報とはおさらばできるのです。

その、イヤな情報を検索しているのは、
「あなた自身」なのです。





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