Nicotto Town



OSHIRA ⑧

「・・・”そちら”?」

一瞬、眉を歪めた千石は

「・・・!」

慌てて周囲に視線を巡らした。
が。

「・・・はったり、か。」

他に、人影は見えない。
故に、千石の隙を作り出し、反撃するか逃げるかする物と思い、即座に目を戻す。

「・・・?」

しかし、正衛はそこに立ち尽くすばかりだ。
そして、突然。

「うっ!?」

千石は、金縛りに遭ったかの如く、身が自由にならぬ己に気付いた。

「な、何だ!?これは!?貴様、何をした!?」

「何もして居らん。」

「う、嘘を吐けっ!ゆ、昨夜も同じ怪し気な術をっ!」

動かぬ身体を捩る様に揺すりつつ、千石が吠える。
それでも、未だ、びくともしない。

「と、解けっ!術を解けっ!」

何とも間が抜けた物言いである。
千石の身を自由にすれば、その凶刃の餌食になるのが解っていて、どうしてその申し出に従うと思うのか。
それは、さておき。

「だから、何もして居らん。」

その正衛の言葉に嘘は無かった。
そして、昨夜、千石の身を抑えた京も。

「・・・」

言葉も無く、ただ口に両手を当て、呆然と成り行きを見守っている。

”戸田。”

「く、くそぅっ!何なのだこれはっ!」

”ようも、私の身を弄んでくれたのう。”

「畜生!畜生!」

”我が身は、我が夫、千青の物と言うに。”

「ぐっ・・・!」

”私と千青の子まで殺めよって!”

「く・・・苦し・・・うぅっ・・・!」

そう。
昨夜から。
正衛も、京も。
その気配を、感じていたのだ。

「っ・・・!」

見えぬ指に喉を掴まれていた千石は。
やがて、びくん、と一つ、身を痙攣させ。
その場にどさり、と身を落とした。
涙、涎、洟にて地に水溜りを成す彼の息が絶えているのは、一目に明白だった。

”奈落に、落ちるが良いぞ。”

”それ”は、高らかにははは、と嗤う。

「・・・瑠璃姫様。」

正衛は、深々と、慇懃に頭を垂れた。

”はははは。はははは。”

しかし、”それ”は意に介さず、ただ笑い続けるのみだ。

「一つ、宜しゅう御座いますか。」

”はははは。はははは。”

「何故、もっと早く、この戸田殿を”こう”なされなかったのです。」

”・・・”

ぴたり。
姫の笑いが、止まった。

「・・・」

”・・・”

二人は、暫しの沈黙を合わせ。

「だ・・・旦那様・・・」

京がその間に、視線をさ迷わせた。

”・・・怖い男、じゃのぅ。”

やがて、姫がくすくすと嗤う。

「やはり。」

”全てが憎かったのは、私の方じゃ。”

「・・・えっ!?」

京は、その言葉に目を丸くした。
つまり。
千石は。
自分の意思で、全てを為していたと思い込んでいた様だが。
その実・・・

”愛しい男と添えぬ世等、滅んでしまえば良いと思うた。”

「では、やはり、姫様は狂うて等・・・」

”狂うておったわ。”

「・・・」

「・・・」

正衛も、京も。
その言葉の意味を、理解している。
恋に焦がれる感情は、狂気そのもの、であろう。

”まあ、良い。”

姫の像が、次第にぼやける。

”気は、済んだ。私は我が夫の元に、行こうぞ。”

そして、消えた。

「・・・」

「・・・」

正衛も、京も。
ただ、言葉無く、立ち尽くすより他、無かった。






「ねぇ、旦那様。」

「ん?」

帰途。
正衛と京は、中仙道を東に向かっている。

「・・・つまり、姫は・・・それが戸田千石だと解っていて、抱かれてたって事だよね・・・」

「・・・いや。」

正衛は、重い溜息と共に、言葉を落とした。

「姫にとって、それは千青、であったのだろう。」

「・・・」

暫く、無言。
だが、またも。

「ねぇ。旦那様。」

「何だ。」

沈黙が、耐え難いのかも知れない。

「赤ちゃんは、本当に戸田千石が殺したのかなぁ?」

「・・・うむ。」

「千石の言う通り、死産だったのを逆恨みして・・・」

「と、言うかな。」

ふと、正衛の脳裡に、ある考えが浮かんだ。

「本当に、ややは死んだのだろうか。」

「・・・え?」

「まぁ、真相は今となっては闇の中、だな。」

「・・・」

「・・・」

「で、でもっ!」

「今度は何だ。」

「今回、かっこよかったよ!旦那様!」

「お前がいなければ、戸田殿に斬られていた。」

「そ、それはそうだけどぉ!」

「だから。」

正衛は、笑みを現した。

「お前こそ、我が妻、なのだな。」

「だ・・・旦那様・・・」

京は、頬を染め、目を潤ませる。

「これからも、よろしくな。」

「・・・っはいっ!」

「お、おいおい、抱き付くなっ!」

「旦那様!旦那様!」

「ってこら!へ、変な所をっ・・・!」

そこで、正衛は口を噤んだ。
前方から、馬追が訪れた為だ。

「・・・」

もぞもぞと身を這い回る京の手に耐え、その場をやり過ごそうとした正衛だが。

”父母の仇、助太刀を有り難う。”

「・・・え?」

「・・・は?」

正衛の脚。
京の手。
同時にぴたり、と止まる。

「・・・」

「・・・」

二人は行き違った馬の後ろ姿を、我を忘れて見送った。

「今の・・・」

「うむ・・・確かに・・・馬が・・・」

九十九折りの峠道、すぐにその姿は見えなくなる。
それでも二人の目は、”それ”を追った。




ふと正衛は、盛岡にて京が言った”女は怖い”と言う言葉を思い出した。

「・・・狂わば男も怖い。」

「え?何?」

「いや。」

それで我に返った二人は、江戸へと歩を再び進めた。






[完]




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