Nicotto Town



用心棒

『さて、どうしよう。』

東藤有之介も浪々の身とは言え武士の子である。
十の頃から道場に通い、八年一刀流を学んだ。
その末、道場主である師に賜った御墨付きは、目録でも切り紙でも無く。
”見込みが無い”の一言だった。
よって。

「格好付けやがって!」

「痛ぇ目見てぇのか!」

「この野郎ぶっ殺す!」

腰の物を抜いては見た物の、三人の無頼に囲まれているこの状況を、如何にすればいいのかさっぱり解らない。
先程、往来を歩きつつ明日食う米の金策を思案している所、嫌がる町娘に酒の相手を求めるこいつ等と行き会ってしまった。
自身の腕の覚えは兎も角、それを目の当たりにして素通り出来ないのが有之介と言う男である。
やめろ、と一喝、町娘を引き剥がし・・・
そして今に至る。
現在、娘は怯えた眼差しで有之介の背後に立ち竦んでいる。

『とっとと逃げてくれればいい物を・・・』

そうすれば、自分だって恥も外聞も無く逃げ出せる。
”武士の意気地”等と言う理由で祖父が腹を切った為、父も御役目を継げず、以降二代に渡って貧乏浪人の有之介は、そんな物糞喰らえだと思っている。
とは言え、このまま娘を置き去りにその場を離れる訳には行かない。
それでは元の木阿弥だ。
この無頼漢共に掛かっては、娘も酌をするだけで済む訳も無かろう。

『う~ん。』

有之介はほとほと困り果てていた。
が。

「俺達を誰だと思ってやがんでぇ!」

「おう斬れるもんなら斬って見な!」

「ただで済むと思ってやがんのか!」

「・・・?」

「おうおう!何とか言いやがれ!」

「では、言わせて貰うが。」

「何だぁ!」

「お前達、いつ掛かって来るのだ?」

「・・・!」

無頼漢共は、口をへの字にひん曲げて、互いの顔を見合わせる。
こう言った手合いは、恫喝に怯えたり許しを乞うたりする相手にはどこまでも強気だが、怯みも身を固くもしない有之介には、手も足も出ない。
あまつさえ、太刀の切っ先がそこにあるのだ。
所詮は八九三(花札の八、九、三は役にならない屑札)である。
そこへ。

「お前達、何をしている。」

「あ、せ、先生・・・」

漆黒の着流しの眼光鋭い男。
月代も剃らず、しかし腰には大小。
こちらも浪人者らしい。

「たった一人相手に、情けない。」

「え、えへへ・・・」

無頼共の愛想笑い、そして先生、と言う呼称。
恐らく、無頼共の兄貴分か、籍を置く組織の用心棒、と言った所だろう。

「まぁ、無理も無いか。」

男の視線が、有之介に向けられる。

「処奴の構え、付け焼刃と言う訳でも無さそうだ。」

それに関しては、正しい。
曲がりなりにも八年、修業は積んだのだ。
が、それだけである。
構えが成っていても、そこに弟弟子にまでぽんぽん打ち込まれていたのだから、話にもならない。

「面白い。」

『俺は面白く無い・・・』

着流しがすらりと抜く姿に、有之介の眉間の皺が増えた。

「余程、腕に覚えがあると見える。」

『覚えなんかあるか。』

無頼共の恫喝に、動じなかった事を言われているのであろう。
が、それはただ単に、有之介が”鈍い”質なだけである。
或いはその危機感の無さが、剣の上達を妨げていたのかも知れぬ。

「では、来い。」

ぴたりと決められた切っ先。

『来い、と言われてもな・・・』

有之介には、どうしようもない。

『ま、とりあえず・・・』

仕方無しに、師や同門の上手達の真似をしてみようか、と考えた。

『こう・・・いや、こうだったかな・・・あれ?』

有之介の剣は、上に下に、右に左に、とふらふら彷徨う。

『な、何だあれは!?』

ところが。
着流しは混乱を来した。

『な、何が来ると言うのだ!?』

何しろこの着流し、有之介をそれなりの達者だと思い込んでいるのだ。

『動きが・・・読めん!』

その、盛大な勘違いを、勘違いであると気付かぬままに。
だらだらと流れる冷汗に、着流しの顔はびしょびしょである。

「ん?」

その只ならぬ様子を、有之介は不審に思い。

「どうした?顔色が悪いようだが。腹でも痛いのか?」

有之介の言葉に、他意は無かった。
だが。

「・・・!」

今、当に刃を向け合っている相手の体調を、本気で心配する間抜けが居ようとは、流石に思わない。
着流しには、来るなら来て見ろ、と言う自信に裏打ちされた挑発に聞こえた。

「う、うわあぁっ!」

『ほ、ほんとに来た!』

とは言え、着流しの大上段は、有之介に対する恐れに突き動かされた、己も手元も定まらぬままの、破れかぶれの太刀である。

「や、やあぁっ!」

闇雲に、滅茶苦茶に。
有之介が右に振った太刀は

きん!

「あ・・・」

着流しの太刀を弾き飛ばし。

「たぁぁっ!」

ばさっ。

返しの左に振った太刀は、その髷を落とした。

『だ、騙された・・・』

それに至り。
着流しは、ざんばらに解けて行く己が髪を感じつつ、漸く覚った。

『こいつ、ただの・・・』

たまたま刀身に当たっただけの、滅法振り。
たまたま髷を断っただけの、ぶん回し。

『ただの、ぼんくらだ!』

だが。
今、それを自分が声高に叫んだとしても、誰一人、本気に受け取る者などいないだろう。
負け惜しみ以外の、何にも聞こえない。
それが証拠に、案の定。

「せ、先生がやられた!」

「あ、あの強ぇ先生が!」

「ば、ば、化け物だぁ!」

無頼共は、勘違いをしたまま、尻に帆かけて逃げ去ってしまった。

「あ、あれ?」

しかし。
着流しがその場にへたり、と膝を落とした姿に一番驚いていたのは。

「勝っ・・・ちゃっ・・・た?」

当の有之介自身であった。

「お、お侍様!」

「は、はい!?」

黄色い声に振り向くと。

「お助け頂き、有り難う御座いました!」

満面の笑みの、町娘。
ご丁寧に、目をきらきらと輝かせ、頬も紅潮している。

「お侍様、お強いのですね!」

「い、いやその・・・これは単なる・・・」

まぐれだ、と言葉を継ぐのを待たず、娘は。

「私、この角の味噌問屋、桔梗屋の娘で、せつ、と申します!」

溌剌と名乗る。

「き、桔梗屋・・・!」

有之介は、目を丸くした。
桔梗屋と言えば、界隈でも指折りの大店だ。

「お礼をしたいと存じますので、是非とも我が家に!」

「だ、だから・・・おわっ!?」

「さぁさぁ!此方に御座いますっ!」

有之介の言い分も聞かぬまま、娘・・・せつは、その手を握ってぐいぐいと引っ張って先に進む。

「ま、参ったな・・・」

有之介は為す術無く、それに従う。
雲ひとつ無い蒼天の下、二人は足早にその場を後にした。



街の噂、等と言う物は足が速く、かつ急速に大袈裟に、荒唐無稽になるのが常である。
曰く”桔梗屋の用心棒は、八九三を百人叩き伏せた”だの。
曰く”九十九戦無敗の剣士”だの。
曰く”相撲取りを片手でひょいと持ち上げて、日本橋から品川辺りまで投げ飛ばした”だのと。

事実、有之介は、娘の恩人としつこく引き留める桔梗屋の主人の求めに応じ、唯々諾々と逗留を続け、明日食う米、どころの話では無くなった。
結果、”化け物の如く強い用心棒”のいる桔梗屋は、八九三に目を付けられる事も無く、増々栄えた。

そして、やがて。
せつ自身の希望により。
何と、有之介は桔梗屋の婿養子となり、大店を継いでしまう事になるのであった。





[完]




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