Nicotto Town



墓一つ

奇妙な光景だった。

「いや、誠に・・・」

藤田源太郎は、如何に継ぎの目立つ襤褸を纏っていようと、腰に二本を差した武士である。
それが。

「なぁに。いいって事よ。」

如何にも町人態の男に、ぺこぺこと頭を下げているのだ。
彼は、嘉助、と名乗っていた。
士農工商の身分制度が厳然とあったこの時代、滅多に無い事だった。
その、理由が。

「本当に、何と礼を申して良いか・・・」

「やだねぇ。あれっぽっちの飯代で、そこまでされたんじゃあ。」

「その、”それっぽっち”も懐に無かったのだから、情けない。いや、こんなつもりでは無かったのだが・・・」

「と、言うと?」

「うむ。言い訳になるが、傘貼りの傘を納めていた傘屋が、手間賃も払わず夜逃げをしてな。」

「非道ぇ話だねぇ。」

「いや、恨むつもりは無いのだ。したくて夜逃げをする者もそう居らぬだろうからな。」

「そりゃ、そうだがねぇ。」

「しかし、その為に元々の貧乏暮らしが、更に窮してな。三日程、何も腹に入れて居らんかった。」

「で、飯屋の匂いに釣られてふらふらと?」

「いや、其方が代金を立て替えてくれねば、食い逃げをするか、腰の物を置いておかねばならぬ所であった。重ねて礼を言う。」

と、まぁ、そう言う訳である。

「ま、そんなに恩を着てくれるってんなら、一つ頼みたい事がありゃあすがね。」

「おお。借りは返さねば、後生も悪い。何でも言うてくれ。」

「旦那。」

嘉助の掌が。
源太郎の背中から尻に掛け、つぅ、と滑る。

「いい身体してるねぇ。」

「ば、馬鹿!」

源太郎は総身の毛を逆立てて後、飛び退いた。

「わ、私に”その気”は無いぞ!」

「あっしだってありやせんや!冗談じゃねぇ!」

からからと笑う嘉助。
の、後。

「そう言う意味じゃなくて、さ。」

上目遣いに、鋭い眼光。

「・・・成る程。」

源太郎は、嘉助の言わんとする意味を察した。
剣術をやらぬ者が大小を差せば、先ずその重さで身が傾く。
やる者でも、小手先の技しか使えぬ未熟者は、腕ばかりが太くなる。
熟練の者は、腕よりも背や腰にしっかりと肉が付く物だ。
当に、源太郎の身体付き、その物である。

「腕を貸せ、と言う事か。」

「ああ。尻じゃなくてね。」

「その話はもういい。」

「へへへ。」

「で、何時、如何なる場で、誰を。」

「まぁ、慌てなさんな。おいらの仕事先で、って話なんだがね。」

「仕事?」

「コレさ。」

嘉助は怪しい笑みと共に、指を鍵型に曲げて見せた。





「ひぃっ!」

その夜。
商家の御新造が、息を飲むと同時に悲鳴を挙げた。

「静かにしろい!」

十名程を従えた盗賊の頭が、光り物を示す。
その十名の中には、嘉助と、そして源太郎の姿もあった。
そう。
嘉助は、盗賊”牛頭の十兵衛”の一味であり。

「こ、この黒田惣介の詰める木曾屋に盗人に入るとは、大胆不敵っ!」

仁王の様な偉丈夫が白刃を抜いて、一味に立ち塞がる。
用心棒、と言う奴である。

「さあ、参れっ!」

これを”何とか”する為に、十兵衛は剣の達者を求めていたのだが。

「阿保か。」

どごっ!

「あうぅ・・・」

完全なる見掛け倒し、である。
匕首の峰の一撃で、あっさり昏倒した。

「ふふふ。”先生”の出番は無かったようだな。」

十兵衛が、源太郎を見返る。
すると。

「そうでも無いぞ。」

「ん?」

ちょいと十兵衛が怪訝な顔で小首を傾げた、ほんの一瞬の間。

「うっ!」

「ぎゃっ!」

「ぐあぁっ!」

たちどころに、源太郎の周囲の子分達が峰打ちで叩き伏された。

「な!な!なん・・・!」

「兇賊、牛頭の十兵衛。」

恐慌状態に陥っている十兵衛に、源太郎がずり、と摺り足で迫る。

「覚悟をせよ。」

「て、手前ぇ!」

十兵衛は破れかぶれ、と言った態で、源太郎に襲い掛かる。
が。

「う・・・」

無駄な抵抗、と言う奴であった。
十兵衛は急所に峰を受け、そのまま床に伏す事となった。
こうして、その場で意識のある者は、源太郎と。

「あ・・・あ・・・」

未だ、口も利けぬ様子の木曾屋の御新造、そして。

「・・・」

それと視線を絡ませている、嘉助のみ、であった。





「御免。」

数日後。

「あらあら!藤田様!」

源太郎は木曾屋の暖簾を潜った。
出迎えるのは、あの時の御新造。
名をお松、と言う。

「先日は、誠に!」

「いや、大した事では無い。」

「いえいえ!藤田様がおいでにならなかったら、私もどうなっていたか!命の恩人で御座います!」

「時に、あの時の盗賊一味は・・・」

「全員、打ち首獄門に決まったそうで御座いますってねぇ!いい気味だわ!」

「・・・」

満面の笑みのお松に、源太郎は一瞬、眉根を寄せた。

「あの時の藤田様、とても素敵で御座いました・・・」

松はそれも知らず、す、と源太郎の手の甲に自分の掌を重ねようと・・・

「今日参ったのは、他でも無い。」

それをさり気無く打ち払う様に、源太郎は懐に手を持って行く。
視界の端の、軽く口を尖らせるお松の顔。
道々、界隈の噂で耳にしたお松の醜聞が、源太郎の脳裡を掠める。

「実は、少々金欠でな。」

「あら。お金でしたら幾許かは御用立て・・・」

「これだ。」

「・・・何ですの、これ。」

源太郎が示したそれを、お松が覗き込む。
それは、黒々とした塊。
変哲も無い石にしか見えない。

「私の父は、昔奉行所に勤めていてな。」

「はぁ。」

「抜け荷の摘発の際に掠め取った・・・瑠璃の原石だ。」

「えっ!」

源太郎が口に人差し指を当てる。
お松はきょろきょろと辺りを見回し

「こ、これが・・・?」

潜めた声で、問う。

「出自故、大っぴらに売り買い出来る物でも無いでな。御内儀に買って頂きたい。五十両でどうだ。」

「そ、それっぽっちで!?」

「言うたように、売る事も出来ず、始末に困っていた物だ。それだけの金になるなら、こちらとしても有り難い限りなのだが。」

「か、買います!買います!」

お松の目はきらきらと輝いている。

「解かっているとは思うが、御禁制の品故、な。人目に曝して貰っては困る。御内儀自身の手で、磨くが良い。いずれ、美しい瑠璃玉となるであろう。」

「はい!はい!それはもう!」

二つ返事とは、当にこの事。
程無く、源太郎は五十両を懐に、木曾屋を後にした。
やはり女と言う物は、光り物に弱いのだな、と言う事と。
お松はどれ程磨いた所で、それが”ただの石”である事に気付くか、と言う事を考えつつ。





「しかし、あんたも奇特な御方じゃな。」

更に、数日後。
さる寺の境内。

「血の繋がりも無い罪人の為に、墓を建てる等。」

真新しい墓標。
”嘉助”の名が記されたそれの前に立つ、源太郎。

「私の金ではありませぬ。」

「ん?」

「この男の・・・”若い頃の許嫁”が、金を出しました故。」

「ほう。」

嘉助の、源太郎への”真の頼み”は、その”金に目が眩んで大店に嫁いだ”女を、牛頭の十兵衛一味に蹂躙されぬよう、腕を貸して欲しい、と言う事だったのだ。
奉行所等の御上に訴え出なかったのは、悪党としての意気地だろうか。
が。
あの時のお松の目。
嘉助を目の当たりにしながら、何の感慨も浮かばなかった、その目。
恐らく、嘉助の事は、すっかりと忘れていた事だろう。

「・・・」

墓に手を合わせて見た物の、嘉助の魂に、何と声を掛けて良いのか解らず。
ただ、瞼の裏に、その笑顔が浮かび。
源太郎の頬に、すぅ、と一筋の雫が伝った。






[完]





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