墓一つ
- カテゴリ:自作小説
- 2016/02/23 18:44:44
奇妙な光景だった。
「いや、誠に・・・」
藤田源太郎は、如何に継ぎの目立つ襤褸を纏っていようと、腰に二本を差した武士である。
それが。
「なぁに。いいって事よ。」
如何にも町人態の男に、ぺこぺこと頭を下げているのだ。
彼は、嘉助、と名乗っていた。
士農工商の身分制度が厳然とあったこの時代、滅多に無い事だった。
その、理由が。
「本当に、何と礼を申して良いか・・・」
「やだねぇ。あれっぽっちの飯代で、そこまでされたんじゃあ。」
「その、”それっぽっち”も懐に無かったのだから、情けない。いや、こんなつもりでは無かったのだが・・・」
「と、言うと?」
「うむ。言い訳になるが、傘貼りの傘を納めていた傘屋が、手間賃も払わず夜逃げをしてな。」
「非道ぇ話だねぇ。」
「いや、恨むつもりは無いのだ。したくて夜逃げをする者もそう居らぬだろうからな。」
「そりゃ、そうだがねぇ。」
「しかし、その為に元々の貧乏暮らしが、更に窮してな。三日程、何も腹に入れて居らんかった。」
「で、飯屋の匂いに釣られてふらふらと?」
「いや、其方が代金を立て替えてくれねば、食い逃げをするか、腰の物を置いておかねばならぬ所であった。重ねて礼を言う。」
と、まぁ、そう言う訳である。
「ま、そんなに恩を着てくれるってんなら、一つ頼みたい事がありゃあすがね。」
「おお。借りは返さねば、後生も悪い。何でも言うてくれ。」
「旦那。」
嘉助の掌が。
源太郎の背中から尻に掛け、つぅ、と滑る。
「いい身体してるねぇ。」
「ば、馬鹿!」
源太郎は総身の毛を逆立てて後、飛び退いた。
「わ、私に”その気”は無いぞ!」
「あっしだってありやせんや!冗談じゃねぇ!」
からからと笑う嘉助。
の、後。
「そう言う意味じゃなくて、さ。」
上目遣いに、鋭い眼光。
「・・・成る程。」
源太郎は、嘉助の言わんとする意味を察した。
剣術をやらぬ者が大小を差せば、先ずその重さで身が傾く。
やる者でも、小手先の技しか使えぬ未熟者は、腕ばかりが太くなる。
熟練の者は、腕よりも背や腰にしっかりと肉が付く物だ。
当に、源太郎の身体付き、その物である。
「腕を貸せ、と言う事か。」
「ああ。尻じゃなくてね。」
「その話はもういい。」
「へへへ。」
「で、何時、如何なる場で、誰を。」
「まぁ、慌てなさんな。おいらの仕事先で、って話なんだがね。」
「仕事?」
「コレさ。」
嘉助は怪しい笑みと共に、指を鍵型に曲げて見せた。
「ひぃっ!」
その夜。
商家の御新造が、息を飲むと同時に悲鳴を挙げた。
「静かにしろい!」
十名程を従えた盗賊の頭が、光り物を示す。
その十名の中には、嘉助と、そして源太郎の姿もあった。
そう。
嘉助は、盗賊”牛頭の十兵衛”の一味であり。
「こ、この黒田惣介の詰める木曾屋に盗人に入るとは、大胆不敵っ!」
仁王の様な偉丈夫が白刃を抜いて、一味に立ち塞がる。
用心棒、と言う奴である。
「さあ、参れっ!」
これを”何とか”する為に、十兵衛は剣の達者を求めていたのだが。
「阿保か。」
どごっ!
「あうぅ・・・」
完全なる見掛け倒し、である。
匕首の峰の一撃で、あっさり昏倒した。
「ふふふ。”先生”の出番は無かったようだな。」
十兵衛が、源太郎を見返る。
すると。
「そうでも無いぞ。」
「ん?」
ちょいと十兵衛が怪訝な顔で小首を傾げた、ほんの一瞬の間。
「うっ!」
「ぎゃっ!」
「ぐあぁっ!」
たちどころに、源太郎の周囲の子分達が峰打ちで叩き伏された。
「な!な!なん・・・!」
「兇賊、牛頭の十兵衛。」
恐慌状態に陥っている十兵衛に、源太郎がずり、と摺り足で迫る。
「覚悟をせよ。」
「て、手前ぇ!」
十兵衛は破れかぶれ、と言った態で、源太郎に襲い掛かる。
が。
「う・・・」
無駄な抵抗、と言う奴であった。
十兵衛は急所に峰を受け、そのまま床に伏す事となった。
こうして、その場で意識のある者は、源太郎と。
「あ・・・あ・・・」
未だ、口も利けぬ様子の木曾屋の御新造、そして。
「・・・」
それと視線を絡ませている、嘉助のみ、であった。
「御免。」
数日後。
「あらあら!藤田様!」
源太郎は木曾屋の暖簾を潜った。
出迎えるのは、あの時の御新造。
名をお松、と言う。
「先日は、誠に!」
「いや、大した事では無い。」
「いえいえ!藤田様がおいでにならなかったら、私もどうなっていたか!命の恩人で御座います!」
「時に、あの時の盗賊一味は・・・」
「全員、打ち首獄門に決まったそうで御座いますってねぇ!いい気味だわ!」
「・・・」
満面の笑みのお松に、源太郎は一瞬、眉根を寄せた。
「あの時の藤田様、とても素敵で御座いました・・・」
松はそれも知らず、す、と源太郎の手の甲に自分の掌を重ねようと・・・
「今日参ったのは、他でも無い。」
それをさり気無く打ち払う様に、源太郎は懐に手を持って行く。
視界の端の、軽く口を尖らせるお松の顔。
道々、界隈の噂で耳にしたお松の醜聞が、源太郎の脳裡を掠める。
「実は、少々金欠でな。」
「あら。お金でしたら幾許かは御用立て・・・」
「これだ。」
「・・・何ですの、これ。」
源太郎が示したそれを、お松が覗き込む。
それは、黒々とした塊。
変哲も無い石にしか見えない。
「私の父は、昔奉行所に勤めていてな。」
「はぁ。」
「抜け荷の摘発の際に掠め取った・・・瑠璃の原石だ。」
「えっ!」
源太郎が口に人差し指を当てる。
お松はきょろきょろと辺りを見回し
「こ、これが・・・?」
潜めた声で、問う。
「出自故、大っぴらに売り買い出来る物でも無いでな。御内儀に買って頂きたい。五十両でどうだ。」
「そ、それっぽっちで!?」
「言うたように、売る事も出来ず、始末に困っていた物だ。それだけの金になるなら、こちらとしても有り難い限りなのだが。」
「か、買います!買います!」
お松の目はきらきらと輝いている。
「解かっているとは思うが、御禁制の品故、な。人目に曝して貰っては困る。御内儀自身の手で、磨くが良い。いずれ、美しい瑠璃玉となるであろう。」
「はい!はい!それはもう!」
二つ返事とは、当にこの事。
程無く、源太郎は五十両を懐に、木曾屋を後にした。
やはり女と言う物は、光り物に弱いのだな、と言う事と。
お松はどれ程磨いた所で、それが”ただの石”である事に気付くか、と言う事を考えつつ。
「しかし、あんたも奇特な御方じゃな。」
更に、数日後。
さる寺の境内。
「血の繋がりも無い罪人の為に、墓を建てる等。」
真新しい墓標。
”嘉助”の名が記されたそれの前に立つ、源太郎。
「私の金ではありませぬ。」
「ん?」
「この男の・・・”若い頃の許嫁”が、金を出しました故。」
「ほう。」
嘉助の、源太郎への”真の頼み”は、その”金に目が眩んで大店に嫁いだ”女を、牛頭の十兵衛一味に蹂躙されぬよう、腕を貸して欲しい、と言う事だったのだ。
奉行所等の御上に訴え出なかったのは、悪党としての意気地だろうか。
が。
あの時のお松の目。
嘉助を目の当たりにしながら、何の感慨も浮かばなかった、その目。
恐らく、嘉助の事は、すっかりと忘れていた事だろう。
「・・・」
墓に手を合わせて見た物の、嘉助の魂に、何と声を掛けて良いのか解らず。
ただ、瞼の裏に、その笑顔が浮かび。
源太郎の頬に、すぅ、と一筋の雫が伝った。
[完]