Nicotto Town



恋情 ①

「退いて下さらんか。」


「す、少しは話を・・・!」


「散々聞かされ申した故。」


「で、ですから若様・・・!」


「若様等と呼ばれる筋も無い。」


「こ、このままでは朝野家は・・・!」


「私の知った事では無い。」


「わ、若・・・!」


「お引き取り願おう。」


「あ・・・」


道場の入口で待ち構えていた朝野家用人、木村仙波の脇を擦り抜け、朝野健介はぴしゃり、とその板戸を後ろ手で閉じた。


「はぁ。」


その口から一つ、重い溜息が漏れる。


「へへへ。先生。」


そこへ、道場の門人である巳太郎がいやらしいにたにた顔を湛えてにじり寄って来た。


「あの爺さんも御執心でやんすねぇ。」


この男、飾り職人と言う身分にも関わらず剣術を学ぶ変わり者だ。
が、筋は悪くない、と健介は見ている。


「全く、迷惑な話だ。」


「迷惑でも無ぇでしょう。八百石の御旗本の跡取りになれるってんだから。」


「迷惑だろう。私は今の暮らしに不満がある訳でも無いのだから。」


「ま、先生に辞めて貰っちゃあ、あっしも困りますがね。」


「・・・父上も、亡くなる前に事情を語っていて下されば・・・」


もう一つ。
健介は盛大に息を吐く。




その事情、と言う奴は、こうだ。
健介の母は、物心付く前に亡くなっている。
父は、剣客であった。
古い百姓家を手直しした道場で、巳太郎の様な好事家の町人を相手に剣術を教え、後は傘貼りや木匠の内職で生計を立てていたのだ。
健介は父を、どこにでもいる浪人者と考えていた。
ともあれ、その父の影響で、健介の剣の腕も一端の物と成り得、現在はこの心貫流伊藤道場に於いて師範代の身となり果せ、糊口を凌げる程度の収入を得ている。
が、去年、その父が亡くなり。
それから半年程して、かの木村仙波が現れた。
彼が語る健介の父の出自は、何と八百石の旗本家の長男であったと言う。
しかし、市井の娘と恋に堕ち(それが健介の母であったようだ)、しかも剣術家として生きて行きたかった健介の父は、家督を弟に譲り、出奔してしまった、そうだ。
暫くはそれで何とか丸く収まっていたのだが、何の因果か、その健介の父の弟、つまり現当主は子が産まれないまま老い。
このままでは朝野家は無辜断絶(継子不在で御家取潰し)、と言う所で・・・
健介にその白羽の矢が立ってしまった、と言う訳だ。
何と言っても元々は当主になるべき人物の長男であるのだから、誰に異存のある筈も無い。
とは言え、健介にとっては寝耳に水、青天の霹靂。
いきなり八百石の殿様になれ、と言われても困ってしまう。
こちらは断るが、あちらはそれでは立つ瀬が立たぬと言い・・・
で、現在に至る。




「先生も、近頃モテモテでやんすねぇ。」


「・・・」


ひひひ、と笑う巳太郎に顔を背け、知らぬ振りを決め込もう、と思ったその矢先。


ばん!


「朝野殿!朝野健介殿はおいでか!」


「ほぉら、もう一人、御執心なのがおいでなすった。」


「あぁ・・・」


戸板を開け放ったもう一つの頭痛の種の到来、いや来襲に、健介はとうとう頭を抱えた。


「おいでではないですか!何故、返事をなさらぬ!」


つかつかと歩み寄る彼に、健介は少々恨みがましい眼差しを送る。


「な、何ですか。」


ぐ、と身を引く、その者の姿は。
華奢で小柄な体躯に似合わぬ、白一色の道場着に、紺色の袴。
手には手製の、二尺三寸の木太刀。
綺麗な卵型の白面に、筋の通った小振りの鼻、二重の大きな瞳、少々細い柳眉。
桃割れの前髪に後ろで纏めた艶やかな黒髪。
まるで、芝居の色若衆の様な、秀麗の容姿。


「石井殿。」


その者は、石井、とだけ名乗っている。


「いっそこの道場に入門なされたらどうなのです。」


「笑止!私は別に、心貫流を身に付けたい訳では無いっ!」


石井は激昂し、さ、と木刀を正眼に構える。


「”あなたを”打ち倒したいと願うのみ!」


「しかし、こう毎日出向いて参られるなら・・・」


「私は、剣の腕では誰にも負けぬ自負があった!それを打ち砕いた貴方に責任がある!」


「・・・」


全く、手前勝手な物言いではあるが・・・
相手にせぬと突っ撥ねれば道場のど真ん中で座り込み、放り出しても応じるまで戸板を叩き続ける。
結局、この”道場破り”の相手をせぬでは収まらぬ格好になってしまう。


「・・・おいでなさい。」


仕方無しに、健介も木刀を構える。


「いざ、覚悟!」


待ってましたとばかりに、石井が中段のまま迫り来る。


「いやあぁ!」


成る程、言うだけの事はあり、隙の少ない良い構え、ではあるが。


「たぁっ!」


”少ない”と”無い”の間には、薄くとも堅固な壁がある。


「ぐっ!」


いつもは木刀を弾き、相手の鼻先に切っ先を決め、負けを認めさせる健介だったが。
多少、苛ついていた事もあった。
懲りさせよう、と言う思惑もあった。
石井の右脇、日月(肋骨の下際)を、直に突いた。
無論、手心は加えてはいるが。


「うぅ・・・」


それでも、急所を突かれた事に変わり無い。
右腹を押さえ、石井はがくりと膝を着く。
先程の突きで、着衣は少々乱れ・・・
と。


「え・・・」


大きく開いた襟ぐり。
その隙間から覗く。
晒に巻かれた、二つの双丘、その谷間・・・


「・・・!」


石井は掻き抱く様にそれを隠し。
きっ、と健介を染まった顔のまま睨み付けて後。


「あ、お、お待ちなさい!」


その場から弾けたかの如く走り去り。


「せ、先生!?」


自分でもその由が解らぬまま、健介はその後を追った。





つづく




Copyright © 2024 SMILE-LAB Co., Ltd. All Rights Reserved.