Nicotto Town



恋情 ②

「ここに・・・おいでだったか。」


暫く後。
健介は、河原で膝を抱える石井の姿を認めた。
その息は、少々乱れている。


「・・・何の用です。」


背中越しに投げ掛けられた言葉。


「いや・・・」


用件を問われても、そんな物は無い。
と言うか、解らない。
先ず、何故自分が彼、いや彼女の背中を追って来てしまったのか、それすら答えられぬ。


「・・・」


一言も無く、ただ健介は。
石井の隣に、腰を下ろした。


「・・・馬鹿な話です。」


やがて。
石井がぽつり、と声を落とした。


「家同士の結び付きで、顔も知らぬ相手に嫁げ、等と。」


身の上話なのだろう。
健介は、彼女の語りを最後まで聞こう、と決めた。


「先ず、男が嫌いでした。身分にこだわり、上の者にはへいこらと愛想笑い、下の者には威張り散らし、女と言うだけで従え等と無茶を言う。」


「・・・」


「そんな私が、縁談等と。腹立たしいにも程があります。」


「・・・」


「だから・・・その相手を一撃で打ち倒し、どうだ、男より強い女もいるのだぞと、そう・・・高笑いを決めてやりたかった。」


「・・・ん?」


「しかし・・・私は、負けてしまいました。」


「石井殿?」


「最初の内は・・・それが悔しくて、なにくそ、次こそは・・・そんな心持ちで毎日挑み掛かり・・・」


「それは・・・」


「でも・・・近頃は・・・」


真っ赤な頬。
目尻の涙。
浮かぶ、自嘲。


「本当に、馬鹿な話。あれ程、心で拒んでいた相手の・・・」


「な、何の話で・・・」


「・・・その、厚い胸板に抱かれる夢を、毎晩の様に・・・見てしまう・・・」


「う・・・!」


突然向けられた、熱い眼差し。


「だ、だからっ!」


乱れた思考。
火照る顔。
自分の裡に沸き起こった感情を知らぬまま、顔を背けつつ、怒鳴る様に問う。


「い、一体、何の話だ!それはっ!」


「な、何の、って・・・」


石井は一瞬、目を丸くして自失していたが・・・
意を決した告白を、無下にされたのだと思ったのだろう。
拗ねる様に口を尖らせ、ふん、とそっぽを向き。


「それは・・・私も、石井家と朝倉家のよしみ、なんて理由で伴侶を決められる等、真っ平だと思っていましてよ。」


と投げ槍に声を発した。


「あ。」


それに至り、漸く健介も呑み込んだ。
つまり。
この”娘”は。
”朝野家の跡取り”の、許嫁、と言う事なのだろう。
無辜断絶の危機に、木村仙波辺りが次世代まで気を回した、と思われる。
だが。


「石井、殿。」


「かえで、と申します。」


「では、かえで殿。」


「・・・はい。」


恐る恐る。
石井かえでが、ゆっくりと振り返る。


「私は、朝野家を継ぐ意志は、ありませぬ。」


「え・・・」


「今も、そしてこれからも、旗本、朝野健介は存在しません。今、ここにいるのは・・・」


すう、と息を吸い込む。


「一人天下の浪人者、朝野健介、ただそれだけです。」


「け、健介様・・・」


「では、御免。」


健介は立ち上がり、踵を返した。
背に、視線が突き刺さる。
後ろ髪を引かれぬでも、無い。
が。


『私に、旗本など勤まろう筈も無い。』


健介は、その足を止めなかった。





そして、翌日。


「先生。」


「・・・」


「先生!」


「・・・ん。何だ巳太郎。」


「どうしちゃったんです?先生。」


「どう、とは?」


「何だか腑抜けちまって。今の先生なら、あっしでも一本取れそうですぜ。」


「・・・ああ。」


「そう言えば、今日はあの爺さん、来てませんねぇ。」


「・・・そうだな。」


「とうとう、諦めたんでやすかねぇ。」


「かも、知れん。」


健介は、ふ、と目を宙に彷徨わせた。


『かえで殿・・・』


木村仙波が健介を諦めた、と言うのなら、朝野家は遠縁でも辿り、養子を迎え、それを後継ぎとするだろう。
と、言う事は。
かえでは、その遠縁の誰か、の元に嫁ぐと言う事になる。
それを思うと、健介の胸がきゅう、と締め付けられる。


『一体、何だこれは。』


初めて知る感情に、健介が戸惑っている所。


「だから先生!何をぼーっと・・・」


ばん!


「健介様ー!」


巳太郎の言葉を遮り、戸板が開け放たれ、そこにいたのは・・・


「かかか、かえで殿!?」


しかし、今日は、いつもの道着姿ではない。
金糸の入った振り袖に、髪は島田に結っている。


「え?は?えっ・・・と、先生?」


何から問うていい物か解らぬ態で、巳太郎が二人の間に視線を往復させる。
が、一番混乱しているのは、健介だ。


「かえで殿!こ、これは一体・・・」


「健介様が御家を継がぬと仰るなら、私も石井家を出ますわ。」


一人、かえでだけがにこにこと満面の笑み。


「はぁ!?」


「だって・・・」


転じて、ぽ、と染めた顔を軽く伏せ、もじもじと両の手の指を絡め合わせる。


「私の夫は・・・健介様以外、考えられませんもの・・・顔も知らない朝野家の跡取り、等ではありませんわ・・・」


「・・・」


健介は開いた口が塞がらぬまま。


『ああ・・・』


高鳴る胸を、初めて知る恋情なのだと、漸く覚った。


「だ、だから、これは一体何なんですよう!」


巳太郎の叫びも、気にならぬままに。





[完]








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