恋情 ②
- カテゴリ:自作小説
- 2016/04/12 19:44:07
「ここに・・・おいでだったか。」
暫く後。
健介は、河原で膝を抱える石井の姿を認めた。
その息は、少々乱れている。
「・・・何の用です。」
背中越しに投げ掛けられた言葉。
「いや・・・」
用件を問われても、そんな物は無い。
と言うか、解らない。
先ず、何故自分が彼、いや彼女の背中を追って来てしまったのか、それすら答えられぬ。
「・・・」
一言も無く、ただ健介は。
石井の隣に、腰を下ろした。
「・・・馬鹿な話です。」
やがて。
石井がぽつり、と声を落とした。
「家同士の結び付きで、顔も知らぬ相手に嫁げ、等と。」
身の上話なのだろう。
健介は、彼女の語りを最後まで聞こう、と決めた。
「先ず、男が嫌いでした。身分にこだわり、上の者にはへいこらと愛想笑い、下の者には威張り散らし、女と言うだけで従え等と無茶を言う。」
「・・・」
「そんな私が、縁談等と。腹立たしいにも程があります。」
「・・・」
「だから・・・その相手を一撃で打ち倒し、どうだ、男より強い女もいるのだぞと、そう・・・高笑いを決めてやりたかった。」
「・・・ん?」
「しかし・・・私は、負けてしまいました。」
「石井殿?」
「最初の内は・・・それが悔しくて、なにくそ、次こそは・・・そんな心持ちで毎日挑み掛かり・・・」
「それは・・・」
「でも・・・近頃は・・・」
真っ赤な頬。
目尻の涙。
浮かぶ、自嘲。
「本当に、馬鹿な話。あれ程、心で拒んでいた相手の・・・」
「な、何の話で・・・」
「・・・その、厚い胸板に抱かれる夢を、毎晩の様に・・・見てしまう・・・」
「う・・・!」
突然向けられた、熱い眼差し。
「だ、だからっ!」
乱れた思考。
火照る顔。
自分の裡に沸き起こった感情を知らぬまま、顔を背けつつ、怒鳴る様に問う。
「い、一体、何の話だ!それはっ!」
「な、何の、って・・・」
石井は一瞬、目を丸くして自失していたが・・・
意を決した告白を、無下にされたのだと思ったのだろう。
拗ねる様に口を尖らせ、ふん、とそっぽを向き。
「それは・・・私も、石井家と朝倉家のよしみ、なんて理由で伴侶を決められる等、真っ平だと思っていましてよ。」
と投げ槍に声を発した。
「あ。」
それに至り、漸く健介も呑み込んだ。
つまり。
この”娘”は。
”朝野家の跡取り”の、許嫁、と言う事なのだろう。
無辜断絶の危機に、木村仙波辺りが次世代まで気を回した、と思われる。
だが。
「石井、殿。」
「かえで、と申します。」
「では、かえで殿。」
「・・・はい。」
恐る恐る。
石井かえでが、ゆっくりと振り返る。
「私は、朝野家を継ぐ意志は、ありませぬ。」
「え・・・」
「今も、そしてこれからも、旗本、朝野健介は存在しません。今、ここにいるのは・・・」
すう、と息を吸い込む。
「一人天下の浪人者、朝野健介、ただそれだけです。」
「け、健介様・・・」
「では、御免。」
健介は立ち上がり、踵を返した。
背に、視線が突き刺さる。
後ろ髪を引かれぬでも、無い。
が。
『私に、旗本など勤まろう筈も無い。』
健介は、その足を止めなかった。
そして、翌日。
「先生。」
「・・・」
「先生!」
「・・・ん。何だ巳太郎。」
「どうしちゃったんです?先生。」
「どう、とは?」
「何だか腑抜けちまって。今の先生なら、あっしでも一本取れそうですぜ。」
「・・・ああ。」
「そう言えば、今日はあの爺さん、来てませんねぇ。」
「・・・そうだな。」
「とうとう、諦めたんでやすかねぇ。」
「かも、知れん。」
健介は、ふ、と目を宙に彷徨わせた。
『かえで殿・・・』
木村仙波が健介を諦めた、と言うのなら、朝野家は遠縁でも辿り、養子を迎え、それを後継ぎとするだろう。
と、言う事は。
かえでは、その遠縁の誰か、の元に嫁ぐと言う事になる。
それを思うと、健介の胸がきゅう、と締め付けられる。
『一体、何だこれは。』
初めて知る感情に、健介が戸惑っている所。
「だから先生!何をぼーっと・・・」
ばん!
「健介様ー!」
巳太郎の言葉を遮り、戸板が開け放たれ、そこにいたのは・・・
「かかか、かえで殿!?」
しかし、今日は、いつもの道着姿ではない。
金糸の入った振り袖に、髪は島田に結っている。
「え?は?えっ・・・と、先生?」
何から問うていい物か解らぬ態で、巳太郎が二人の間に視線を往復させる。
が、一番混乱しているのは、健介だ。
「かえで殿!こ、これは一体・・・」
「健介様が御家を継がぬと仰るなら、私も石井家を出ますわ。」
一人、かえでだけがにこにこと満面の笑み。
「はぁ!?」
「だって・・・」
転じて、ぽ、と染めた顔を軽く伏せ、もじもじと両の手の指を絡め合わせる。
「私の夫は・・・健介様以外、考えられませんもの・・・顔も知らない朝野家の跡取り、等ではありませんわ・・・」
「・・・」
健介は開いた口が塞がらぬまま。
『ああ・・・』
高鳴る胸を、初めて知る恋情なのだと、漸く覚った。
「だ、だから、これは一体何なんですよう!」
巳太郎の叫びも、気にならぬままに。
[完]