Nicotto Town



サムライ

以前、日本が北方領土の話をしたら、ロシアの政治家の人が

「日本はサムライらしく戦争責任を認めてハラキリしろ!」

等と言うトンチンカンな物言いをしていた。
戦争責任と北方領土は全くの別問題だし、むしろそちらさんはシベリア抑留の責任をどう考えてるのかって話だが、それはそれとして。

どうも、海外では「侍」「武士」と言う物を誤解している。
いや、日本で産まれ日本で育った我々よりもこの国の文化に疎いのは、仕方の無い事だろう。
私にはフランスの騎士道など、おぼろげにしか解かっていない。
よって、「侍」「武士」の倫理の大前提を、ここで披露するとすれば。

「喧嘩両成敗」

と言う事なのだ。

どちらが悪いとか、どっちに原因があるとか、どっちに責任があるとか。
そんな事は議論を待たない。

「どっちも悪い」

と結論付けるのだ。

もし、一方に明らかな悪意があって喧嘩を売ったとしても、そちらにより重い罪状が申し渡されるだけで、売られた側も処分される。

喧嘩を売った側も無論悪いが、売られた側にも相応の理由があった訳だし、第一喧嘩など買わず話し合いで決着を付けるか、上手く躱せば良かった物を、と糾弾される。

それが侍の掟なのだ。

もし戦争責任を侍の倫理観によって裁けと言うなら、連合軍側もそれなりの処断が申し渡されなければいけないし、何より、日本と言う長らく鎖国をしていた島国が、国際社会で生き抜く中、(例えそれが間違っていたのだとしても)必要と思われる判断として「開戦を決意した」と言うだけなのだ。日本を開戦に追い込んだ連合軍側の国々も責任を問われなければいけない、と言う事になる。

私は戦争賛美論者でもナショナリストでもない。

が、侍の名を持ち出して責任を論ずるなら、そう言う事になるのだ、と、知らぬ海外の人に教えて差し上げたいと思っている。

最後に、第二次世界大戦後、A級戦犯として裁かれた石原莞爾が取り調べの場で語った言葉の意訳を記載しよう。

「(開戦時ではなく時間を遡った政策まで責任を問われた事に対して)では、ペリーを連れて来い!日本は国内だけでやって行く、それで充分だ、他の国とは関わらない、と言う姿勢で国を治めていたと言うのに、戦艦まで繰り出して無理矢理開国させたのはヤツではないか!以降、国際社会の荒波を手探りながら生き抜く為、戦争をせねばならなくなった!責任を遡って問うと言うなら、全ての元凶はペリーだ!さぁ、ここにペリーを連れて来い!」




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