不死者の死
- カテゴリ:自作小説
- 2016/09/05 14:03:30
「そんな・・・」
二つの視線の向かう先には、先程までの激しい痙攣も既に止め、目と口を限界まで開き、空を掴もうとした鈎型の指のまま、仰向けに倒れた一人の男。
「死んでますね。」
二人の内の一人、二十代半ばと思しき青年が、瞳孔を確認し、告げた。
「馬鹿な!」
そして、もう一人。
初老の、白髪で頬のこけた男が、絶叫とも悲鳴ともつかない声を挙げる。
「理論は完璧だった筈だ!処置にもミスは無かった!そんな!そんな筈っ!」
「実証の前には、どんな理論も無価値ですよ、博士。」
青年が、遺体を目で指し示す。
心なしか、その口元には薄らと笑みが浮かんでいるようにも見える。
「畜生おぉぉぉ!」
初老の男は。
その青年の表情にも気付かぬまま、蹲って床を叩き続けた。
「片山大造の四十九日法要に、ようこそおいで下さいました。」
洋風建築の片山邸は、その影を夕闇に溶かしていた。
その、一階ロビー。
喪服姿の娘が長い黒髪を垂らし、深々と頭を下げる。
「・・・青木武雄さん。」
その、上げられた面は。
二重の目、厚手の唇、細い輪郭。
二十歳前後だろう。
未だ残る少女の可憐さと、女の妖艶さが混在したような、顔。
「と、言う割には。」
対面に立つ青年・・・青木武雄は、ふ、と苦笑を漏らしつつ、口を開いた。
「弔問客は僕一人のようですね。坊主すらいない。」
「父、大造もきっと喜んでいる事と思いますわ。」
「僕個人に、用があるんでしょう?片山凛さん。」
「・・・私の用件は、ご存知の筈よ。」
そこで娘・・・凛は、おためごかしのような型通りの口上を、漸く止めた。
「父の理論、施術は、間違っていなかったわ。」
「あの夜、博士もそう仰っていましたけどね。」
「それなのに・・・」
射殺さんばかりの眼差しの凛。
涼し気な笑みでそれを受ける武雄。
「被験者の死と言う、在り得ない事が起こってしまった!」
「在り得ないのは。」
やれやれ、と言った態で、武雄が溜息混じりに言葉を落とす。
「不死身人間改造なんて言う、荒唐無稽な話の方ですよ。」
先から立ち込めていた暗雲が、とうとう稲妻を奔らせ。
瞬時、闇に二人を影としてくっきりと映し出した。
「・・・あなたが殺したのね。」
「博士は自殺だったと聞いていますが。」
「実験の失敗を苦に、ね。遺書は無かったけど、そうとしか考えられない。」
「・・・」
「私が言ってるのは。」
降り出した雨が、窓を激しく叩く。
「あなたが被験者、飯島隆を殺した、って事よ。」
「僕が、ですか?」
「ええ。」
「ははははは!」
雨音と谺する武雄の哄笑は、奇妙な不協和音を奏でた。
「仮に、僕が被検者を殺したとしましょう。でも。」
笑いが収まらぬまま、武雄が言葉を継ぐ。
「”殺せる”のであれば、それは不死者じゃない。どっちにしろ、実験は失敗じゃないですか!」
「・・・不死者の不死身性を支えている物は、二つ。」
暫く彫像のように動かず、武雄を見守っていた凛が徐に口を開いた。
「ミトコンドリアの熱エネルギー供給による超高速新陳代謝、そして・・・」
武雄の口許から、笑みがす、と消えた。
「強力無比な捕食細胞、別名ナチュラルキラー細胞。」
「・・・」
「体外から侵入して来た異物は元より、自己の体内で生成された病変となり得る細胞まで捕食、破壊するそれを保持した体に。」
凛の淡々とした声。
さながら、何らかの魔術の呪文のような調べ。
「他の体内で生成された、同等に強力な捕食細胞が侵入したとしたら。」
「・・・体内で捕食細胞同士の食い合いが始まる。体表上は、過剰免疫反応のようなショック症状を来たしますね。」
再び、皮肉な笑みを取り戻した武雄が、凛の言葉を受け継いだ。
「でも、そうすると、捕食細胞を採取する為の、もう一人の不死者がいた事になる。それは一体誰だと言うんです?」
「それは。」
武雄は油断していた。
最初に頭を垂れた以外、指先の一つすら動かさずにいた凛が。
「う!?」
そこまで素早い動きを見せるなど、想像の外だった。
「あなたよ。」
武雄が自分の胸を見下ろすと。
深々と針が穿たれた、注射器。
シリンダーは押し切られている。
「私の血中の捕食細胞の味は、どう?」
「な・・・!」
どくん。
武雄の身体が、内側から爆ぜたかの如く、跳ねる。
皮膚に血管が浮き上がる。
「があぁっ!」
ショック症状である。
「ま、まさか、君も・・・被験者・・・」
「いいえ。」
凛は、にんまりと笑う。
「私に関しては、”実験”じゃない。」
「何・・・」
「私と自分が終わらない命を謳歌する、それが父の・・・いえ、大造さんの目的だったわ。そして・・・」
凛の眼差しが、夢見るように宙に浮いた。
「私達は、永遠の恋を語り合うの。」
「何・・・だとぉ・・・!?」
身体の異変の症状とは別の理由で、武雄の目が見開かれる。
「お前達・・・親子で・・・!」
「永遠の命を持つ者、即ち人間を超えた存在よ。」
凛はふん、と鼻で笑った。
「人間の中の倫理なんて、無意味だわ。」
「馬鹿・・・野郎・・・」
「さ、死ぬ前に答えて頂戴。」
凛は目を鋭い物に変え、武雄に詰め寄る。
「何で、大造さんの研究の邪魔をしたの!」
「ぬうぅっ!」
凛が身を近付けた、それを機と見たのか。
「ぎゃっ!?」
武雄は脚を蹴り上げ、凛の下腹部に爪先を深々とめり込ませた。
「・・・」
しかし、それは”最後の力”を振り絞った行動だったのだろう。
それすらも尽きて、武雄はぐったりと床に大の字になった。
既に、虫の息だ。
「・・・一矢、報いたつもり?」
不死身人間とは言え、痛みやダメージは如何ともし難い。
凛の声は、絞り出すようなそれだった。
「いちゃ、いけないんだ・・・」
武雄が、譫言のように呟く。
「え?」
「いちゃ、いけないんだよ・・・死の無い、人間なんて・・・」
「なにそれ。それが、研究の妨害の理由?」
「いのちは・・・限りがあるからこそ・・・」
「随分、ロマンチストなのね。」
凛は呆れ顔で、気の無い言葉を放った。
「・・・ところで、さ。」
「何よ。」
「博士は、言ってたぜ。」
「・・・何を。」
「不死者の研究は、死を乗り越える為の過程に過ぎない、ってさ。」
「・・・え?」
「君は。」
武雄の顔が、ぐにゃり、と歪む。
笑っているのだろう。
「死んだ母親に、そっくりなんだってな。」
「!」
暫しの、沈黙。
武雄の呻き声のみが、場を支配した。
「大造さんの研究は・・・お母様を蘇らせる為の・・・私はお母様の代わりだったて言うの?」
「それから。」
武雄は、凛の言葉を無視して続ける。
「博士の自殺の動機は・・・本当に研究の失敗なのか?」
「え?」
「失敗なら、やり直せばいいだけの話だ。それに、博士が自殺したのは、被検者が死んでから一週間も経ってからじゃないか。」
「何が言いたいの!?」
「君は・・・博士に”何かを告げたんじゃないか”?」
「・・・!」
「僕も、医学者だ。君を見た瞬間から、そうじゃないかと思っていた。」
「ち、違う!だ、大造さんだって、きっと喜んで・・・!」
「最後に、一つ・・・」
武雄のその言葉は、細やかな声だった。
「不死者の体質は、絶対優性遺伝・・・子供には、必ず受け継がれる・・・」
「!?」
どくん。
凛の身体が、内側から爆ぜた。
「まさか・・・さっきの!?」
武雄の言葉が真実なら。
凛の腹の中には”もう一人、不死者がいる”。
それが、先程の武雄の蹴りで、傷付き、流血したのだとしたら。
「まさか・・・そんな・・・お父様・・・大造さん・・・」
掠れて行く視界の中。
何処にも届かない自分の手を、凛は見ていた。
[完]