食材は必要最低限でいいことの証明
- カテゴリ:グルメ
- 2016/09/08 13:12:07
一つのメニューあたりの食材は最小限でいいことの証し、と題しましたが、何のことかといえばひとつの料理あたりの使用する食材は最小限でいい、ということです笑具体的にこれをちょっと学問的な言葉で表しますと、物質的食材的エントロピーとメニューの関係性、です(笑)エントロピーとは、ここでは熱量、元々人間は料理ではなく食材を食って生きていますし、食材は栄養、カロリーと栄養素を含んでいます。カロリー及び栄養素は人間に吸収・活用されるケースも考慮すると熱量換算し得ますから、物質的食材的エントロピーとはここでは物質として見た場合の栄養素を熱量、その度合いをエントロピーと表したまでです。で、メニューの関係性に入っていきますと、どういうことか、というとひとつのメニュー(料理)あたりどれくらいの食材が入っていればいいのか、ということですが、ここでは栄養学的なものというよりも若干数学的なアプローチになります。つまり、食事や料理のメニューに関しては、食材を全体的に投入するほど物質的食材的エントロピー(熱量)は上がっていきますし、反対にひとつのメニュー(料理)あたりの食材を抑えようとすればメニューあたりの栄養的あるいは食材の費用など経済的効率は上がります。つまり物質的食材的エントロピーとメニューの効率性は相対関係にあるのであって、例えば食材を投入し過ぎれば熱量は増えるもののメニューとしての栄養的(人間がある程度の栄養を摂っていれば死なないとして)あるいは経済的効率は下がります。反対にあまりにもメニューの効率を重視し過ぎれば、どこかの主婦の料理ではありませんが料理のタイトルや見かけの割にはあまりにも食材が入っていない、種類のない料理になってしまいます。まぁ割烹などの老舗の料理人や職人さんなんかはその辺をよく心得ていて必要最低限の食材で、如何に美味しくみせるか、あるいはおいしい料理を作るかによく長けていると思いますので、なのでああいう見た目も揃った、おいしい料理を作れるのです。まぁ、職人と主婦の違いなんて年季が入ればそう大差ない(それでもその微妙な違いが職人、料理人と一般人の違いなのだが)ということも言えてしまうのですが、それはちょっと話が逸れるので置いておきますが、とにかく食材を必要最低限に絞ることこそが見た目もよく、おいしい料理を作る、コツ、なのです。あまり食材の入り過ぎた料理はよく山賊料理と称されることも多いですが、当の山賊は山賊で有り合わせしかない必要最低限の食材で、如何においしく作るか、を苦慮した挙句ひとつの鍋にごった混ぜのような料理になったわけですから、それはそれで料理としては価値はあるわけです。なので、それらを批判する気はありませんが、今日の特に日本など先進国で一般的に十分裕福な暮らしが出来ている国民で、と考えるとあまり食材の多すぎる料理は(ひとつの料理にまとめた、という場合は別だが)栄養的にも過多であるし食材費もかかりすぎて経済的にもあまりよくないし何より見た目もそうは美しくはない、ということで食材とメニューの関係性からするとできるだけひとつの料理あたりの食材は絞ったほうがよい、のです。あと、料理あたりの食材を最小限にすると、余った使うべき食材でもう一品追加することができます。栄養学的にはある程度メニューがあったほうが当然体にもいいですし(少ない材料を多く見せられる、という点で)経済的にも優れているので、結論をいえばひとつの料理あたりの食材は最小限のいい、のです。また、食材を最小限に絞れば当然使う調味料も減るので栄養や健康的にもいいですし、まとまった調理法ができるのであればいいのですが(その場合でも味付けが均一になったりして結局のところ料理としての彩色に欠ける部分は大いにある)、それでも日本人の場合は大抵飽きてくるので、結局のところひとつの料理あたりの食材は、最小限でいい、ということになるのです。ちなみに、料理の食材を絞ればそれだけ経済的でもあるので、あまった食材費を他のちょっと欲しい食材に回すことも、できますよね?そうすることで必要最低限の食費、少ない食材でもおいしく満足のいく食を送ることができますので、そういう意味では広く料理をする人、という意味での料理人の能力は、一重に必要最低限の食材で如何においしく見せ、また実際に美味しい料理を作ることができるのか、という点にかかっていると言っても過言ではありませんね。あまり食材の入り過ぎた料理は美しくありませんし、何より食材に感謝しながら食を送る、という点に関しては少ない食材を感謝しながら食べること、のほうがよほど思想的にも経済的にもいいわけです。ついでにいうとそのような食生活は当然(摂りすぎはよくないとすると)栄養的にもいいですし、結局のところ数理的に美しい組み合わせ、というのは効率の面からしてもいいことずくめだ、ということはお分かりいただけたか、と思います。あとは、その主たる「料理人」がいかに少ない食材をおいしく組み合わせて美味しい料理を作れるか、というところに係ってきているのですが、それは、一重に食材をよく知る、というところにあります。料理人たるものが食材を知らなくては何もおいしく料理できるはずがありませんし、逆に食材を疎かにすればそもそもその料理はおいしいものではなくなってしまいます。やはり、食材に感謝する、という食という点については必要最低限の少ない食材でいいわけで、そういう意味ではうまく料理すれば、何だっておいしくなる、ということは言えるのではないのでしょうか~?
まぁ、何が栄養で何が栄養でないかは、単純な決め方をするのであれば単に栄養が一種の情報(あるいはそれを伴うもの)と考えるとその人が今欲しいものかどうであるのか、という点に尽きる、と思います。例えば同じ人間でも幼少期と成長期と青年、それから壮年期、老後では必要とする栄養素は違いますし、食べすぎても成長につながる時期と逆に余って肥満の原因になってしまう時期とがあります。結局、その時期の体格や成長の余白の違いも影響するのですが、その決定的な差異はその時に体が必要としているのかどうか、にあって人間のその都度の情報と一緒で、その時に人間、つまりその人の脳が欲しているかどうか、にかかっているのです。まぁ、細胞レベルでは、というか細分化すれば細かい栄養素などあるとは思うのですが、人間の脳がどれだけ細かい認識をしているかは別として、大まかな区分としては下にも書きましたが錬金術の四大元素、つまり火・風・水・大地という分け方・考え方をすることによって、劇的に考えやすくなります。これは、結局のところ単純に4択+1(情報)という大まかな分け方のほうが情報としては扱いやすい、からであってそこらへんは、むかしの人の知恵ですね~。実際に、現代の科学においても判明している元素は大抵この四大元素どれかあるいは2,3あるいは全ての組み合わせで成り立っている、と考えても違和感はないですし、まぁ、現代の化学もあの時代の錬金術がベースになったと考えればこれはさほど難しい話ではありませんね。ただ、これを扱うのには四大元素のサイクルなど多少の錬金術的知識も必要なのですが、単純でもいいのでこれを覚えれば食事や栄養なんかはまず問題がなくなります。人間の臓器にもちゃんと対応する支配惑星あるいは金属と元素があって、例えばどこどこが悪かったらちょっとそこの辺意識してその属性が一杯入った食品、あるいは料理を取ればいいですし、逆にいえば火と大地の属性のその周期の長さからして(揚げ物や味の濃い料理、あるいは大盛りの穀物なんかが典型的、ですが)摂り過ぎると肥満の原因になるので、より周期の短く消化されやすい風と水の沢山入ったものを摂れば、健康的にも特に困らないんじゃないか、ということは容易に想像できます。風と水は野菜や果物、海産物に多いのですが、そういう意味では現代の栄養学と通ずる部分がありますよね~
昔はカロリーが生きていく綱だと考えられた時代でした。
宴会のたびに満腹の後、吐いてまた食べるのが贅沢だというのが古代ローマ人の金持ちの常識でした。
「パンが無いから飢え死にする」という民衆の叫びが、バスチーユ監獄への襲撃の原動力となったのがパリ革命です。
カロリーが無ければ死ぬ時代でした。
カロリーと栄養素との関係の歴史で興味深い話があります。
「時をかける少女」という映画がありますが、あの原作小説では「カロリーが高ければ健康になる」なんていう記述があります。
あの原作が書かれた頃は、カロリーの過剰摂取が健康を害するというという考えは日本では一般的ではなかったんです。
その時代は、過剰な脂肪摂取が人体に悪いのではないかと言う説をアメリカの医学界が唱えだした頃です。
その裏には、アジアのある地域での悲惨な出来事があったのですが。
「ときかけ」を書いた作者は、戦後の食糧難で脱脂粉乳などによる日本の子どもたちへのカロリー補給を知ってる世代で、そのころはカロリー信奉者だったんです。
さて、今注目されてるのはLPSという栄養です。
これはカロリー摂取からの肥満を防ぎ、さらに免疫力を高めるという効能があります。
LPSはゴボウやレンコンに多く含まれます。
ところが、第二次世界大戦中、日本で、米軍捕虜に豆腐やゴボウを食べさせたら、戦後
「日本人は捕虜にコボウという木の根のようなものや腐った豆を食べさせて虐待した」
という話が米軍捕虜からあがったそうです。
ただし、これはゴボウ(牛蒡)が「牛の糞まみれのしっぽ」と訳されたり、「豆腐」が「腐った豆」と英語に訳されたので
それで誤解されたらしいですが。
ところが、いまや、ゴボウに含まれるLPSは肥満やガンを防ぐ特効薬だと思われてます。
欧米では「トフュー(豆腐)」のハンバーグはヘルシーな現代食だと思われてます。
ハンバーガーばかり食べて肥満するのは悪だというのが今のアメリカの常識です。
カロリーがもてはやされた時代から、カロリーが敵視される時代へ
ゴボウが木の根、豆腐が腐った物とさげすまされた時代から、現代の医療の救世主のように扱われる時代へと変わってきました。
何が栄養で何が栄養でないか。
食と健康の問題は人間が生きている限り悩むべき問題かもしれません