Nicotto Town



七光り

「ま、待て!辰馬!」

師、大西半兵衛の声が背中に投げ掛けられても、藤田辰馬の足は止まらなかった。
そして。

「辰馬!」

「・・・っ!」

同門の友人であり、共に師範代を務める石田兵庫の呼び掛けは。
逆効果にしかならなかった。

「辰馬!」

「辰馬!」

二つの声はどんどんと遠ざかって行く。
辰馬は裸足のまま、道場を飛び出していた。




「くそっ!くそっ!くそっ!」

心は千々に乱れ。
思考はまともに働かない。

「くそぅっ!」

脳裡にはただ、先程、師に告げられた言葉だけがぐるぐると巡っている。

”確かに、藤田左膳殿からの申し入れはあった。”

「父上っ!あれほどっ!」

私は、私の実力を以て評価されたいのです。
それが兵庫より劣ると言うなら、それはやむを得ぬ事。
道場の後継者の事には、口出し無用に願います・・・

「あれほど申したにっ!」

高潔を以て鳴る大西半兵衛と謂えど、五千石の大身旗本にして上様の御側衆、その上道場の出資者たる者には逆らえなかったのであろうか。

「お師様もお師様だっ!」

”何故私ではなく、辰馬なのです!”

兵庫の声が、耳に蘇る。

”立ち合えば、勝つのは私で御座います!”

辰馬も、そう感じていた。
二人、目録を許され師範代となってより演武程度にしか木刀を交わした事は無いが。
それ以前の、稽古としての打ち合いでは、五本に一本取るのが精々だった。

”もしや、藤田左膳様から何ぞの口利きが・・・”

「くそおぉぉぉっ!」

何処をどう駆け抜けたのか、自分でも解らない。
気付けば民家もまばらな、街道筋らしき場所で力尽き、膝を落としていた。

「くそっ・・・くそっ・・・くそっ・・・!」

それでも尚、辰馬は悪態を吐きつつ、地面を叩き続けた。

「嘘やまやかしで道場を継いで、何が嬉しい物か!何故父上やお師様はそれが解らんのだ!」

皮が破け、拳に血が滲んでも。
それを、止めなかった。

「畜生おぉぉぉっ!」




「先生!藤田先生、こっちです!」

「”なべ屋”か。」

あれから、二年。
江戸から離れた宿場町に、辰馬の姿があった。
襤褸の着流し、月代も剃らず、無精髭と言う出で立ち。

「その男は暴れているのか?」

「い、いえ、大人しいもんです。ただ、藤田先生を出せの一点張りで。」

「何時ぞや追っ払ったならず者共の仲間、或いは金で雇われた刺客かな。」

「お、大方、そんな所かと・・・」

あの後、酒屋で自棄酒を喰らっている所、ミカジメがどうのと騒いでいた八九三者を、煩わしさに叩き出したのが始まりだった。
幾度かそんな事を繰り返す内、何時の間にやら先生、先生と持て囃され。
こちらお礼で御座います、是非うちに御逗留下さい。
あれよあれよと、所の用心棒として食住を得る形となってしまっていた。

「ここです、へぇ。」

「・・・」

町人に先導され、辿り着いた先は。
最初に八九三をぶちのめした、一杯飲み屋だ。
”なべ屋”の屋号が染め抜かれた暖簾を潜ると、こちらに背を向け、手酌を繰り返す二本差しの姿がある。

「おい。」

辰馬はその背中に声を掛けた。

「俺に何か用か。」

すると、その二本差しは。

「久し振りだな、辰馬。」

「何?」

聞き覚えのある声で、立ち上がり。

「私だ、辰馬。」

振り返ったその顔は。

「ひ、兵庫!」

かつての同門、石田兵庫その人だった。




「・・・何をしに来た。」

暫しの見つめ合いの末。
視線を反らし、剣のある声で、辰馬が問う。
そして。

「お前を連れ戻しに。」

「ふん!」

その答えに、鼻息を吐き捨てた。

「あんな所にいられるか!」

「・・・」

「父上の声掛かり一つで主の後継が決まってしまうインチキ道場など!」

「辰馬。」

「俺の目録だって怪しい物だ!大方、それも父上が裏で手を・・・!」

「お師様は、亡くなったぞ。」

「・・・え?」

まくし立てる辰馬が。
兵庫の一言で、言葉を失った。

「・・・何時。」

漸く絞り出した言葉は、自然、短くなる。

「去年の、暮れだ。」

「・・・そうか。」

が、辰馬は短い時間で、己を立て直した。

「延いては、今、道場は主が不在となっている。」

「お前が継げば良かったろう。」

「お師様が選んだのは、お前だ。」

「真っ平だ。」

「辰馬。」

「お前も思っているのだろう。所詮、七光りの・・・」

「藤田左膳様の申し入れと言うのはな、辰馬。」

兵庫の静かな声は、辰馬の繰り言を遮った。

「儂の息子とて遠慮はいらぬ、贔屓無しで後継を決めてくれ、と言う物だった、そうだ。」

「な!?」

「お師様は、この大西半兵衛が遠慮や贔屓で剣の道を曲げるとお思いか、と、大恩ある大身旗本殿を叱り付けてしもうたわ、等と言って苦笑なさっていらした。」

再び自失する辰馬に、兵庫は肩を揺らして告げた。

「だ、だがっ!」

剣の腕前。

「これ以上、四の五の言うなら。」

兵庫の眼差しが、妖しく光る。

「腕尽くでも、連れて帰るぞ。」

「・・・出来ると思うか。」

呼応し、辰馬も半身に構え。

『勝てるか、こいつに・・・』

五度に一度しか、兵庫に届かなかった竹刀。

『だが・・・やるしか!』

その時。
兵庫が。

「出来んな、私には。」

ふ、と眼を和らげ、笑った。

「・・・は?」

辰馬の方も。
兵庫の笑みに、闘気が霧散し。
ぽかん、と口を丸く開けた。

「ははは。いやはや、お師様の申された通りだ。」

「な、何の話だ!」

辰馬は愚弄されていると感じ。
語気荒く問う。

「いや、何。お師様はな。」

それも何処吹く風、とばかり。
兵庫は飄々と言葉を継ぐ。

「もしお前と辰馬の腕の差が昔のままだとして、お前が五本取る内、辰馬は一本しか取っていなかったがな、と。」

「そうだ。だから・・・」

「立ち会うて、その五度に一度が今は来ないと何故思える、と。」

「・・・え。」

「だからお前は未熟だと言うのだ、と。相手の強さを知り、己の弱さを知ってこそ一人前。自分を強いと思い上がり、相手を弱いと断じるお前は、ただの未熟者だ、と。」

「相手の・・・強さを・・・」

「辰馬はお前に勝てるとは思ってはおらぬ。が、挑まれれば、場に立つ。そんな奴こそが強いのだ、と。」

「お・・・お師様・・・」

「今のお前では、十回やっても辰馬には勝てぬよ、と。」

「・・・」

「先程、痛い程感じたわ。」

瞬時の、あの睨み合い。

「私では、お前に勝てぬ。」




暫しの沈黙の時。
それを破ったのは、やはり、兵庫だった。

「帰ろう。辰馬。」

「しかし・・・」

「ん?」

「俺は、お師様や父上に、何と詫びれば・・・」

「詫びるのではない。」

辰馬は、今一度、兵庫の眼差しを、望んだ。

「詫びを含め、報いる、のだ。」

「報いる、か。」

「ああ。」

「兵庫。」

「ん?」

「お師様は・・・最後に、何か、お言葉を・・・」

「辰馬、兵庫。」

「・・・」

「我々の名を、呼んで下された。」

生涯、妻子を持たなかった半兵衛にとって。
二人の愛弟子は、息子も同然、だったのであろう。

「お師様・・・ッ!」

滂沱、とはこう言う涙の事なのだろう。
辰馬の双眸は、拭わずに居られぬほどに、濡れた。




[完]












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