Nicotto Town


ふぉーすがともにあらんことを、あなたにも。


人間と受容(patient)

受容の精神とは

物事には受容が必要です。

何か無茶な要求を突き付けられた

何か嫌なことをやらされる

何か嫌なことがあった、など

受容が必要なシーンは多々あります。

英語では ペイシェント(patient) が
最も的確な用語として挙げらるのでは
ないかと思います。

スターウォーズのオビ・ワン=ケノービや
アナキン・スカイウォーカーの会話でも

「マスター、ここは忍耐です」

「忍耐ね、ふうむ」

といったシニカルな会話もあるのですが、
(詳しくはスターウォーズ・EP3参照)

受容はどんな場面でも要求されます。

’’受容’’の正しい英訳は分かりませんが、
便宜上、patientが上手く運用できると思います。

さて、本題の受容についてですが、
受容は前出のとおり必要なシーンは多々あります。

実に様々な場面で要求されるのです。

その寛容度の度合いは今まで貯めた
経験と知識に比例するといっても過言では
ないでしょう。

特に、性格面で言えば、人を惹きつける大きな
特徴のひとつではないかと思います。

受容の大きい人に惹きつけられる人は多いと
思います。

なぜなら、人間の感情は、
社会性の中において、
寂しい、悲しいという感情や欲求を満たしてくれる
存在を要求する傾向にあるからです。

いわゆる“癒し”を求める傾向にある、
ということです。

それが脇道にそれてしまうと、
風俗やメイドカフェ、といった存在に走ってしまう
訳ですが、

それはさておき

癒しを求めるものがあれば、受容を与えるものも
必要という訳です。

欧米人がなぜあそこまで寛大か、
というと、

単に宗教の存在も大きいのではないか、と思います。

神様、という存在を作ることによって、
受容の心を産み出している訳です。

(けっして、欧米人の受容を否定しているわけでは
ありません)

つまり、受容の需要を産み出しているわけです。
神様が受容を産み出している、といっても過言では
ないでしょう。

私は正式なキリスト教徒ではありませんが、
受容の存在、という意味での神様なら
存在は認めます。

というか、最近の欧米人ではそういう
リベラル(自由派)なニューエイジ信仰という
見方が強いようです。

最も敬虔な教徒は、本国や本拠地に
限られるでしょう。

そういう意味での受容なら、
私は欧米人のキリスト教信仰は
受け入れられます。

さて、話がそれましたが

受容には、癒しという需要を満たす意味での
社会性のある役割や、

人間本来の生産的感情からくる衝動を
埋める意味での

大きな存在としての存在があります。

受容の定義としては、
前述の嫌なことがあったときに
必要な感情としての定義が

ぴったりあてはまると思うのですが、

問題は、

受容した側が、相手の感情的反動によって
受容した側の需要が満たされないことにあります。

つまり、受容したのに礼がもらえないという場合です。

もちろん、礼を我慢するのも受容のうちですが、
(ボランティアのことを指しているわけでは
ありません。あくまでも受容です)

感情的に、いかにそういった衝動を自ら受容できるか
といったことも、重要であると言えます。

受容には様々な多世界的解釈ができるかも
しれませんが、

ひとことでは言い表せない様々な側面が
あります。

今後はそのことについても
深く書いていきたいと思います。

今日はどうもありがとうございました。

読んで下さった方に感謝致します。

受容には、いろんな需要がつきものです。

心を広く持つことで、見識や知識
見方が広がります。

抽象度があがる感じですね。
(詳しくは苫米地氏の著書参照)

受容は、需要のためにあるような
ものなのです。

人間社会には、今後欠かせない感情に
なっていくことでしょう。


-終わり-





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