拡張世界の是非
- カテゴリ:20代
- 2013/04/01 15:13:06
拡張世界の是非についてです。
拡張世界は、辞書的には拡張現実と言われるのですが
ようはコンピューターを使った現実に情報を付加する技術のことです。
また拡張現実(世界)自体はコンピューター上の現実世界に付加された
仮想世界のことも指します。詳しくはwikipediaの拡張現実を併せてご覧ください。
拡張世界は、一見して使いやすい情報の入手手段と思われるかも
しれませんが、
いくつか問題点もあります。
まず1つ目は、
拡張現実と実際の私たちの見ている仮想現実が合わない、ということ
です。
つまりギャップを感じてしまう、というわけです。
2つ目は、
世界の解釈ができなくなる、という意味です。
詳しくは、拡張世界に描いたもの自体があいまいになって
しまう、という点です。
勝手な解釈でゲームなどで勝手な世界観を描いてしまうと、
現実とは受入れ難い、という判断を下されてしまい
リアリティが欠如する、という点です。
1の問題点については、
技術的な問題です。
いかにコンピューターのパラメータと
現実(仮想)の認識のギャップを埋めるか、
という問題です。
ようは拡張世界認識メガネに
間違った(数値のずれた)映像を表示しないことです。
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2つ目の問題点については、
勝手な解釈で描いた世界では、
現実(仮想)とまったく合わない、という事態が起こってきます。
ファイナルファンタジーのいきすぎや、
大航海時代Onlineの勝手なアップデートなどが
それに当たります。(パッケージ商品の弱さですね)
リアリティの欠如は、例えそれが重要視されない
ゲームの世界においても、大きな影響を与えます。
つまり、完全に剥離した世界になってしまう
ということです。
(紙の上に描いた世界みたいなことになってしまうわけです。)
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キーワードは、リアリティです。
リアリティは、感じている臨場感とも訳せます。
ようはどれだけ脳へのフィードバックがあるか、
ということになると思うのですが、
仮想の上に拡張世界では、
臨場感がかなり大事になってきます。
つまり、拡張した世界を描いても
リアリティが感じられなければだれもついてこない、という点です。
今スマートフォンはリモコンみたいに使われているわけですが、
拡張現実の技術自体は、スマートフォンが終着点のようなものです。
カメラに映しているのに、それを画面上で取り払う(ように見せる)技術
もあります。
あと6年ほどで、スマートフォンを持つのがステータスという時代は
終わりを告げるでしょう。
また使いやすく小さい携帯端末へと進化(ある意味では回帰的ルネサンス)を
遂げることでしょう。
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リアリティの有る無しは、拡張世界の是非にかなり影響
するのですが、
よほど緻密に計算されたプログラムでないと
厳密に拡張現実上で動作しない、
ということが言えると思います。
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拡張世界はコンピューター上の拡張現実として
通常は解釈されますが、
ようは見えにくい世界(拡張された世界があるにも関わらず、です)
リアリティを伴う付け加えられた世界、として解釈できます。
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2013年以降は、技術のパイ(全体量)がピークに達し
技術のダウンストリームおよび汎用・一般化が進みます。
つまり、大枠での技術の進歩は終わりという意味です。
これからは、細かい世界で技術が進歩していくという意味です。
スマートフォン・拡張現実・高性能カメラの技術を以て、
技術のパイの部分における進化は終了です。
よって値段が下がり、手軽にそれらの技術を利用することが
できるわけです。
今後は技術の使用の過程で、さらなる発展を遂げていくことでしょう。
(それでも全体量は限られているのには変わりはありませんが)
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むしろ、今後増えていくのは情報量のほうです。
ヒト一人一人が価値になっていく以上、
情報量は増え続けます。
もうカウントできない段階になっているのではないでしょうか。
今後伸びていくのは、マニファクチュア工業でしょうね。
一つ一つの作品に、人が価値を見出す時代なのです。
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なんか話が拡張世界からそれてしまいましたが、
技術の利用には限界があるという意味です。
ある増大する量は、一定の量増大すると
限界の量を迎えて一定幅で振れる波のようになります。
(だんだん減衰していきます)
人のやることが、これに当たります。
次に新しいことを考えないと、同じことをやり続けるのには
限界がある、という意味です。
なお、人の発想はこれに含まれません。
あくまでも物量的な話です。
これからは、手工業的なマニファクチュアリングが
有利に利益をもたらす時代になるでしょう。(経済学的な視点で見れば。)
もう大量生産の時代は、終わりなのです。
技術の微細化に伴って、生産の方法も緻密になっていくのです。
なお、これらの根拠は
スマートフォンなどの機器の利用には数的限界がある、という意味です。
(人間の数をスマートフォンが超えることはありません)
技術の枝分かれ的なことが、進んでいくでしょう。
これを以て、この項を締めたいと思います。
ありがとうございました。