Nicotto Town


ふぉーすがともにあらんことを、あなたにも。


ノストラダムスの憂鬱

今日2枚目のブログな訳です。ハイ。

今回のテーマは、
食事前のお祈りについて。

まぁ宗教、キリスト教についてのお話なのですが。



欧米では一般的に、キリスト教徒であれば

食事前にお祈りをするのが普通です。

敬虔であれば長いお祈り、

そうでなくとも軽いお祈りはします。

リベラルだろうが、

伝統的だろうが

食事にはお祈りが付き物なのが普通なのです。



食事前のお祈りは、世界的にほぼ常識と呼べるものなの
ですが、

日本ではそうではないようにも思えます。

食事への感謝がある・ないは別として、

それを伝統として形に表すかどうかには
結構ドライなようです。

今回の主要なテーマは、ここです。

食事にお祈りは付き物か、どうか。

つまり、日本人は食事にお祈りを必要と
しているかどうかです。

もっと言うと、日本人は食事に感謝があるか
どうか。


基本的な印象だけで判断すると、


欧米の食事は日本人の食事に比べて
なるべく素材に近い状態で処理をする。

つまり、日本ほどジャンクフードっぽいわけでは
ないということが言えます。

食肉文化は確かに根付いていますが、

加工が比較的少ないということが
日本人の食事に比べると言えると思います。

日本の場合は、加工が多い。

言い直すならば、レトルト・調理済み食品が多い
ということです。

もちろん、欧米のハムやチーズなども調理済み食品と
言えますが、

食文化的な雑食度で言うと
日本人は食事の文化にルーズであると言えます。

つまり、食事については要求が多い。

文化が最高度に発展すると、
食への欲求が高まるのが常なのですが

(エンゲルス係数とエントロピーの関係性でいけばそう)

基本的に嗜好・贅沢に走る傾向にあるということなのです。



それについては、賛否ありますが
基本的に悪いとは一概には言えません。

ですが、食事を根本的にどういうものか
と捉える尺度でいくと

最低限のエネルギー補給とみた場合に
余計な食事の摂取は経済と家計の破たんを
招くわけです。

(お金=食事の代価が無限大であれば、
経済的および家計的破綻はしない。

逆に言えば、カロリーを全人口ベースで十分に
補っていれば、経済的および家計的破綻
サイクル的破たんはしないと言える)

要は経済的破たんを招く、というものなのですが

果たして欧米の食事前のお祈りの習慣が
経済的理由からなのか

あるいは単に儀式的なものなのか

それは欧米人でも気になるところ
(あるいは、すでに解決されているかも)

かもしれないのです。

自分の経験では、

欧米の食事前のお祈りは
経済的理由だったようにも思えます。

つまり、儀式的には思えない
という点で。

日本と違い未だ世界、欧米では
経済的理由から食事への不安は
少しながらあるようにも思えます。

歴史的な戦争の経緯からみてもそう。

その点さほど欧米とは違いがない日本では
今食文化がガラパゴス・雑食化している経緯については
未だ検討がなされていないのですが。

食事に歴史的経緯が反映されるかどうかの
度合いについては、

日本が海洋孤立国家で
大陸・欧米の文化圏からは遠ざけられてきた立場にある

という点からみると解決できそうな気もします。

つまり、文化が根付く前に
食事にフィードバックが出るほど
歴史上戦争などの危機はなかった。

逆に言うと、歴史上備蓄量に対して
人口がそれほど多くはなかった

というのが挙げられます。

(人口に対する備蓄・生産量を
勘案するには、

生産総数ではなく1年の生産量をみると
わかりやすい)


簡単に言い換えると、
食事量に対して生産量がそれほど不足
していなかった

ということになります。

恐らく一国というベースで見れば、
極端な例を除いて生産量にさほど
開きはなかったはず。

逆に言えば、世界経済がシステム化されて
いなかったので

メタ数学的には生産量に国同士の差はなかった
ということが言えると思います。

(人口が少ないところは未開発地域だった為)

(ここから言えることは、システム化されないと
個体差に有意な差は見られないという点)



話が逸れてしまいましたが、
食事量の違いがお祈りの文化には
さほど影響していない点。

それがあるかどうかは
単に文化的背景の違いであることが
言えると思います。


そこからすると、

今の日本人の食事の雑食度で言えば
それが変化したのは戦後~バブル後半期。

欧米の食事の流入とほぼ同時だったと思います。

(詳しい家庭などの有意差については未定)

欧米の食事前のお祈りの文化については
かなり歴史があると思うので

食事のスタイルとお祈りの習慣については
さほど関係性がないようにも思えます。

また、お祈りの習慣のあるなし・それについての多様性が
食事スタイルの根本を表していると考えられる

ということも言えます。

ここから言えることは、

少なくとも戦前かその辺りまでは
食事前のお祈りの文化があった可能性がある
ということが言えるかもしれない

ということです。

ここまで考えるときりがありませんが、

食事スタイルとお祈りの文化は特に
関係性がないと言える

ということになります。

(お祈り≧食事スタイル)


強いて言えば、

食事スタイルにお祈りの文化は包摂されるので

(スタイル⊃お祈り)

単に文化的な違いだけなのであって

それが食事の雑食性に関連したあまり
文化的なお祈りのあるなしが

関連性のあるなしに発展してしまった

ということになります。

つまり、日本人がお祈りをする習慣があれば
それで解決というわけです。

食事前にお祈りをしろといっている訳ではありません。

雑食性と食への傾倒が問題だ、と言っているだけです。


解決策は、食に感謝することです。

お祈りのように文化制度化しなくても、

感謝を忘れなければそれでよいのです。




 

アバター
2013/05/03 07:03
( *´人`)いただきます~を忘れないようにします~
アバター
2013/05/02 16:29
まぁ、お祈りにかけているだけなのですが……w
アバター
2013/05/02 13:20
ノが消えてる…シツレイシマシタ( *´艸`)
アバター
2013/05/02 13:20
(ノ∀`*)テヘッ♡

ストラダムスと食への感謝がつながらなくて…(´∀`*)♬
アバター
2013/05/02 10:37
それだけ……w
アバター
2013/05/02 10:11
ノストラダムス…('-'*)




Copyright © 2024 SMILE-LAB Co., Ltd. All Rights Reserved.