Nicotto Town


ふぉーすがともにあらんことを、あなたにも。


包囲戦術と突出戦術

戦術には多々あると思うが
今日はその中でも戦場で代表的な

2つの戦術について扱おうと思う。

まず最初は、
包囲戦術である。

次に紹介するのは突出戦術だが、

まずはこの2つの違いについて着目しながら
見て頂きたい。

包囲戦術は、

いわゆる陣形を用いて
敵を包囲せんとする戦術・戦略形態のことである。

つまり、陣形によって
敵を包囲し、効果的に殲滅する方法を
取るのである。


突出戦術とは、

包囲戦術に対して
突出する動きで攻撃を仕掛けることによって
相手の戦術を崩すための戦術である。

包囲戦術は、陣形同士でにらみ合って
時間を引き延ばし、

戦況と戦術のバランスを安定化させ
戦いを運びやすくするのが目的で採用されるが、

突出戦術はいかんせん早計ながら
そのバランスを崩し、

侵攻軍を撤退に追い込むための
突撃戦術と言えよう。

突出戦術が騎馬と戦車中心の布陣で
採用されやすいのに対し、

包囲戦術は最新鋭の装備を以て
バランスの取れた軍備をする必要がある。

すなわち、まともな戦いには
それだけ軍備と維持費がかかるということなのだ。


包囲戦術が主力勢力や主力軍の取りうる戦術であるのに
対し、

突出戦術はどちらかというと戦場的英雄を必要とする
傾向が強い。

要は英雄自ら先陣を切って突撃する必要があるのである。

ちなみに、陣形の中にまともに突っ込むわけではないので、
包囲戦術同士、あるいは包囲戦術による突撃を行うよりは

ずっと損害が少なくて済む。

ただ、待ち伏せに合い、徐々に追いつめられる状況となれば
その敗北と殲滅は確実である。


ともあれ、突出戦術と包囲戦術が、
合わせてゼロサムゲームの戦術であり、

それを解決するには両方の特徴を併せ持った
戦術が効果的なのはお分かり頂けたと思う。


突出戦術と包囲戦術の両方を併せ持った戦術―。

それが突出包囲戦術である。

すなわち、包囲戦術の態をとりながら
突出も辞さない、

包囲戦術を突き崩し得る
複合戦術である。


この2つの戦術を一番分かりやすく体現したのが、

三国志の潼関の戦いである。

潼関の戦いは、(どうかんのたたかい)
曹操軍側政府軍と

馬超軍側地方軍によって行われた。

地方対政府の典型的な戦いである。

もっとも、三国志演義の読者には
馬超の仇討的な要素が強いものと
思われるが、

時代背景からして
ただの政府と地方の権力争いと見る方が妥当である。

もっとも、演義の説では馬超による
仇討という大義の侵攻であったが、

もともと西方民族の馬超にとっては、

長安は領地の内、あるいは領地の候補だったのである。

あるいは、時代において中央にプレゼンスを発揮するには
長安は必要な土地だったのかもしれない。

結論から言うと、侵攻が遅すぎたのだが
(曹操はそれ以前に河北の戦いで袁紹を片付けていた)

方法さえ間違わなければ、間違いなく曹操の天下統一を遅らせて
いたのである。

馬超が採った戦術は、突出戦術。

曹操軍の中軸に、突撃をかけたのである。

曹操は、事前に軍を引いて
包囲の構えを見せ、

予定通り包囲された馬超の軍は、
叩き潰されて潰走した。

もっとも、韓遂の裏切りなど
事前の工作で士気を失った馬超軍であったが、

単なる戦術の採用ミスで
完全に敗走してしまったのは
着目すべき点にあたる。

敗因はそれだけでなく
元の戦力差もあったのだが、

ある一定の戦力を持ち寄って戦闘するのが
戦争であるのなら、

採り得る戦術によって負けたのは否定しようがないだろう。

もっとも、それに気づいていれば
馬超は時代の英雄だったかもしれない。

ただ、史実や口話は諸葛亮などの
遠く足元にも及ばないという

単なる事実として伝えるだけに留まったのである。


折中の策として取り上げた突出包囲戦術だが、
陣を構えつつ、万全の態勢で一部突撃をかけ、

相手の陣を崩すことを目的とした戦術である。

サッカーで言えば、前線へのスルーパスである。

野球で言えば、ある意味バントだろう。スクイズかもしれない。

球技全般では、抜け出しのロングパスといったところだろう。


これを仕掛ければ、必ず勝てるわけではない。

ただ、相手が陣を敷いてなかった場合は、必ずといっていいほど勝てる。
敷いていた場合でも、包囲戦術でなかった場合は勝てる。

包囲戦術でも、慌てて次に取りうる戦術をとちった場合は、
相手は負けてしまう。

突出包囲戦術同士の場合は、
最初から勝負を決せずに引き分けに終わることが多いが、

これはもっとも、結果が分かっている以上損害を出さないという
首脳部同士の駆け引きのようなものである。

結果が分かっている以上、戦ってもしょうがない。
ただ、結果が分かっていなければ、どちらとも戦術を仕掛けられない。

戦術とは、不思議なものだ。
結果が分かっていれば、仕掛けようがあるのに
大抵その場合には、

向こうも結果を見越して戦術を仕掛けようとする。

早い話、どちらかが仕掛けてそれが早ければ
勝てるのだが、

たいていその場合には、
向こうもそれを見越して戦術を仕掛けてくる。

要は、早く的確だった者勝ちなのだ。

分かりにくいが、先に仕掛けたほうが勝つのである。


戦術には、最初から工作をして
相手の戦術を制限する場合がある。

それがあったとしても、なかたっとしても
取り得る戦術を間違えた時点で負けは確定である。

もっとも、何時でも的確な戦術が取れればいいのだが、
もちろん、それが出来たとしても軍を動かせるとは限らない。

事前の準備がなくては、戦争においては何事も務まらないのだ。

分かりにくい文章になってしまったが、
戦術とは相手の手の内を読んで、
常に一歩先を見て先手を打つことで

初めて優位に立てるものである。

物事にはコミットメントが重要である。

コミットメントとは、意思表示である。

何かに打ちこむことを決めると、
それだけ目標と具体的な数値目標が決まる。

何かにコミットメントすることで、
それだけ戦術の幅は広がるのである。

突出包囲戦術は、

戦術的な戦いと突撃の両方に、
コミットメントしている。

他のひとつにしかコミットメントしない場合と比べて、
戦術的に優位になるのは明らかである。

もっとも、戦争をしない。ただ、駆け引きをする。

というコミットメントなら戦争をせずに優位に立てるだろうか。

それでも軍事力は必要である。

ただ、戦争をしないというコミットメントは
国際社会で重要なコミットメントになるのは明らかだ。

隣国が戦争をするということにコミットメントした場合、
自国が取り得るコミットメントはただひとつ、

「戦争をしない」ということだけである。





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