Nicotto Town


ふぉーすがともにあらんことを、あなたにも。


数学はとても不完全?

ハイ、数学はとても不完全という記事ですb

数学って、数式はよくイコールで表されますよね~

ですが、その数式を根本から考えると、
数学はとても不完全なものということが分かります。

まず、イコールですが
Aの項とBの項は等しい

という意味で使われます。

また、Aの式とBの式は等しい

という意味でも使われますね~

この場合、御多分にもれなく
A=BまたはA≠Bなどの式で表されます。

ただ、ここで気を付けてくださいb

AはBである(AはBと等しい)

というのは

BがAに対して
経歴的履歴をもって
(つまり、経歴的にみて)

BがAである
という証拠がある時のみです。

詳しく言うと、

数式ではA=Bと言えても
現実に応用する場合

BはAに対して、
AはBに対して

歴史的にある程度昔からそうだった

という証拠がなければ
先験的(アプリオリ)にそうだとは言えない

ということがあるのです。

これは、領有権などの歴史認識でも一緒です。

Aの島はQの国の所有物でなければ
Pの国の所有物である。

ということを証明するためには、

歴史的に見て
Qの国の所有物ではなく、

Pの国の所有物であるということを
証明しなければなりません。

よって今取沙汰されている事象では
Fの国は領有することによって
領有権を確保しようとしている

ということになります。

つまり、誰のものであろうと、
領有してしまえばその国のもの

という定理が成り立っていると言えるのです。

この場合に重要なのは、
国際裁判がキーになるということ。

早めに訴えてしまえば、
当然奪った者の過失になりますから、

その国は国際領有紛争から
遠ざかることになります。

強いては、国威は失墜し
二度と先進国とあがめられることはありません。

ただ、国際裁判にならなかった場合は
軍事力同士の直接対決になりますから、

この場合はどちらにも勝ち目はあるとは思いません。

戦いになったら、お互いに消耗するだけです。

このような場合に攻める側で有効なのは、
できるだけ引き延ばしつつ、有利な方向に持っていくということです。

反対に、守る側で有効なのは
早めに裁判に訴えて、
ダウトしてしまうことです。

この場合、引き延ばされれば
当然攻める側は有利になります。

ただ、国際倫理という厳しい監視があるので
今の世の中はそうはいきません。

そういう場合、両国とも恐れるのは
裁判によって、倫理が明らかにされる場合です。

どちらの結果にもなります。
場合によっては、第三国に所有権を取られるかもしれません。

こうなった場合、恐れるべきというのは
どちらの得にもならない

ということです。

ゲーム理論の本などで、
「漁夫の利」・「チキンゲーム」を参考にしてみて下さい。


話が逸れました。

数学は不完全なのか、というものでしたが
数式で分かる通り

何かをムリヤリ通そうとすれば
AはBである(A=B)の式が成り立つのであって

根本的に間違いの場合は
最初からA=Bは成り立たないというわけです。

つまり、無理やりA=Bに出来る場合もあれば
何やってもA=Bにならないケースもあるということです。

これはつまりこういうことです。

Aを=Bにするつもりで

式を書けば、

A=Bは成り立ちますが、

最初からそのつもりがなければ
(由来的にみて根本的に間違っている、などの場合)

いくらやってもA=Bは成り立ちません。

つまり、

AをBにしたかったから

A=Bになるのであって、

数式的にA=B(AはBである)が成り立っているわけでは
ないのです。

無理やりA=Bにすれば
A=Bにもなりますし(その場限りでは成り立ちます)

そうする気がなければ
どんなパターンでも

(A=Bの要因がだいぶ揃っていても)

A=Bとは呼ばれません。

【つまり、そうするつもりがあったから

A=Bなどの場合が成り立つのであって、

最初から由来がなければA=Bにすることはできません。

ちなみに、そうする気があれば
どんな手でもA=Bにすることができます】

ということは、イコールで表されていることに
そんな価値はありません。

最初から誰かの意図で、そうイコールにされたのですから。

逆に、数学的にイコールなわけではありません。
誰かが材料を用意して、イコールにしてしまったのです。

これは数学のもっと根本的な話題です。

用意されたもの(数)を捌くのが数学なら、
最初の数を用意したのは誰だったのでしょうか。

数さえ用意してしまえば、
式なんて簡単に操れます。

なので数式でイコールだからといって、
それが完璧な式ではないのです。

数が誰かによって用意されたものであれば
最初からその数・数式もろとも用意した所有者のものです。

誰かが数式に書き加えようと、
部分関数でなければその数式の意図が切り替わることは
ありません。

逆に、部分関数であっても
〈大局を変える〉という部分関数でなければ
何も変わりません。

ここで言いたいのは、
数式は最初設定してしまえば
誰にも変えられないということです。

イコールは用意されたもので、
数式に対する根本的な答えではありません。

最初からイコールにするつもりがあったからこそ、
イコールが成立するのです。

よって、
何か持ち寄ったものがたまたま等しいから
イコールが成り立つということはありません。

等価とは、必ず人間の評価関数が入っています。

かわいい子との交換なら、等価でなくとも喜んで交換するでしょう。
逆に、不審であれば利があっても交換しない場合もあります。

なので、持ち寄ったものが等しくても
イコールでは表されません。

大抵の場合、人間の評価が入ります。
人間の主観は、イコールが存在しないことを
証明しているかのようです。


ここまででお分かりいただけたかは分かりませんが、
イコールは人間の都合で造られらものであり、

本来人間同士のやりとりでイコールなどほとんどありません。
大抵の場合、折り合いのつけあいがあるものです。

最初に決めた人間が、イコールだとしてしまえば
それがイコールであり、

逆に言うと
イコールでないものは
イコールではありません。

よって、
イコールと定義したものがイコールなのであって

そう定義しない場合はイコールではないのです。

つまり、
最初から等しいかどうかは
イコールには関係ないのです。

無理やり数に代入してしまえば

式すら操れます。

イコールと定義したものしかイコールでないのなら、

数学的に見てイコールかどうかはどうでもよくなります。

最初から正しいものなどなく、
後の知見にのみイコールは証明し得るのです。

つまり、数学的に見て正しいイコールなどないのです。

定義によってイコールが変わってしまうのですから、
正しいと主張したものが正しくなるのです。

イコールは定義された場合にのみ、イコールであると言えます。


数学に絶対などありません。
ただ、その不完全さが

数学の優雅な完全さを証明しているようなものでも
あります。

どこまでも不完全な数学―。
それが未来の数学を切り拓いていくことになるのでしょう。


終わりに、この言葉で締めたいと思います。

「賽は投げられた―。だが神はそれを振ろうとはされなかった」

神はサイコロ遊びが好きですが、いつ振るかは神様の好み次第なのです。

―終わり―

アバター
2013/08/22 11:40
イコールにしてしまえば
どんなこともイコールなので、

根本的に正しいイコールはない
ということですねb

コメントいただき感謝ですb
アバター
2013/08/22 11:36
数学的に見て正しいイコールは無い

ですか…

面白いですね~!!





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