Nicotto Town


ふぉーすがともにあらんことを、あなたにも。


ワーク・リバティー・ホーム

いかがお過ごしでしょうか?

夏休みはありませんが、休みはいっぱいあります。

まぁ、私の話はいいとして

休みっていうのは、
限られた休暇・期間を連想させます。

つまり、
それ限定で次はない、

要は束縛された期間なのです。

解除と同時に、束縛されるのでそう呼びます。

夏休みは別に限られた期間ではありません。

そういう仕事をしていれば、いっぱい休みはとれますし
奴隷的に従事していれば休みは限られた期間でしかありません。

ですが、休みという概念は重要です。

仕事が生活になってしまっては、
自由さもなくなってしまいます。

仕事がリバティな人は、
それでいいと思います。

働くことが、
自分の幸せ・他人の幸せにつながることなら、

それは続ける価値があります。
ですが、渋々働いていたのでは続ける価値はありません。

もう少し、2,3週間休職期間があっても
働ける環境を国が整えるべきなのです。

もちろん、仕事によっては給料がでません。

ですが、今の職業のように
ただただ盲目と働き続ける構造に
いったいなんの意味があるのでしょうか。

休みの取り方は、企業によって自由です。
ホームワークという言葉もある以上、

ある程度のレベルのある人なら
家と兼用でも働けるのかもしれません。

その際に重要なのは、
仕事がどれだけ大事か、です。

仕事が重要なら、家に持ち帰っても十分働けるでしょう。

ですが、やらせとも呼べるような
ただ従事するだけの仕事に、

いったい何の持ち帰る価値があるというのでしょうか。

今の盲目と働き続ける構造は、
一言でいうと仕事に価値がないからです。

簡単な話、仕事のできる人なら
どこでも仕事ができます。

どこでもできるということは、
どんな仕事でもできるということです。

盲目的に働き続ける必要があると分かった以上、
その仕事には、目標がないと意味がありません。

もちろん、普通の人の仕事にも目標は必要です。

ただ、仕事にもう一段階の発展を含んだ場合、
仕事をすることが目標・仕事になると

哲学的な意味でさらなる発展を期待できます。

仕事の枠から抜け出すのです。

仕事は仕事ではありません。

仕事という概念があるだけであって、
そこには仕事の内容などないのです。

そういう作業であれば、
十分給料をもらって働く価値はあります。

もちろん、給料に見合うだけの仕事ができるという意味です。

目標があって、それのために働く場合も同様です。
目標があれば、それだけ仕事は意味のあるものになります。


これには、仕事を愛する必要があります。

今まで通り、盲目に、
演繹的に

仕事をしていれば分かる、では
ダメなのです。

まず、結果から考える必要があります。

なぜ、今の仕事は必要なのか、
これからの将来に、どう関係するのか

未来のためには、これが必要なのか。

仕事という枠を飛び越えて、
単純に作業という視点で

必要なのかどうかを考える必要があります。

組織というものは、
個人が考えれば考えるほど

新たな段階へと到達します。

個人が考えもなしに従事している段階では、
まったく発展は望めません。

新しい段階へと発展するためには、
まず個人が考えている必要があるのです。

そのための組織には、
リーダーシップだけが必要です。

あとは要りません。

組織に管理が必要なのは、
そもそも盲目的に働かせているからです。

黙々と従事させるから、
管理が必要になる。

規模を変えて見れば、
17・18世紀の奴隷制となんら変わりはないのです。

人生は一回しかない。
それを考えれば、もはや盲目的に働くことなど不要です。

何かをするために稼いでいる。
そういう状態なら、盲目的ではありません。

目標があるのですから、
しっかり前は見えています。

ただ、何も考えずに働くことほど
危険なことはありません。

というか、そんな社会人などいないはずです。

誰しもが、考えを抱えて働きます。

ただ、そうなった場合、
名誉・金銭欲だけで仕事をしていいのでしょうか。


名誉は一時的です。

金銭も、それ自体に価値はありません。

本当に価値のあることを見つめた場合、
価値があるのは

自分の有意義なことに時間を投じることです。

やりたいことと違うことは、やってはいけないのです。

正しく言えば、

やりたいこと以外はやらなくていいのです。

注訳を加えるならば、

目標があれば、すべてがやりたいことになる
ということです。

ちなみに、人間はやりたいこと以外には頭は働きません。

やりたくないことは、暗のうちにさけているのです。

よく考えれば、当然です。

やりたくないことをやっても、何にもメリットはないのですから。

目標を立てて、そのためであれば
すべてがやりたいことになります。

これはちょっと極論ですが、
言い換えるならばやりたいことしかしないということです。

目標があるので、
それでも生きていけます。

生活に必要なことも、十分できます。

現実という言葉を好んで使う人は、
夢がない人です。

自分の奴隷生活に、他人を引き込みたいだけなのです。


本当に自由な人は、
時間の使い方が違います。

やることがすべて、自分のためになると
思っているので、

生産性が違います。
しかも、そのすべてに対して前向きです。

脳は正直です。

自分の自己対話が、そのまま結果に影響します。

いやな気分の時は、大して生産性はありません。

本当に正直なことをやって正直に生きてこそ、
人生の価値があります。

意味があることなのです。


構造を考えれば、
やりたいことだけをやるというのは

至極近道なのです。

近道を通ってしまえば、
必要性のあることは

やらずとも後からでも理解できます。

問題は、抜け出さないと未来が見えないということです。

私たちは普段、未来を見ようとしません。

本当にやりたいことをやって幸せな時のみ、
未来が見えます。

やりたいことをやる未来、
それでいいのです。

それが見えれば、次に進めます。


この稿では、
仕事をしないことを勧めているわけではありません。

もちろん、何らかの従事することは見つけるべきです。

ですが、それが本当にやりたいことでなければならない
と言っているのです。

人生は一度きりです。

どうしてその貴重な時間を
要らないことに費やす必要があるのですか?

本稿の主旨は、そういうことです。

やりたいことをやっていいのです。





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