Nicotto Town


ふぉーすがともにあらんことを、あなたにも。


ゲーム理論の選択肢と描く理想

ゲーム理論は、選択肢で可能性が示されます。

どの選択肢を取れば、どれだけ利得が得られるか、
という単純選択肢で、

可能性のあるものはすべて選択肢になります。

逆に言うと、可能性や理由のないものは選択肢になりません。

よって、明確な理由のないものは選択肢に含まれないのです。

ゲーム理論の選択肢に含まれないというのは、
本来この世に存在しないことと同じです。

よって、ある・なしの理論で語られるのがゲーム理論であり、
理由のないものは存在しません。

逆に言うと、理由がなければ存在していると言えないのです。


ある・なしの理論で語られると書きましたが、
ここで一つ例題です。

神の存在の有無です。

結果から言うと、
神はいないのですが、

むしろ存在を証明するのが難しいのです。

まず、この世に存在するのかどうかを定義します。

この世に存在できるのは、生命体だけです。
あとはそれらに、作られるか利用されるものだけです。

よって、それらには利用されず、
威厳のある存在として生命体以外に存在できるものはいません。

また、神は情報空間の存在とも考えられますが、
そもそも情報空間でも物理的制約を受けますので

物理的に存在できないということは、
神はいないということになります。


情報空間に存在できれば、
どこにでも存在できることになりますが、

ある・なしの理論で考えた場合に
物理的に実体がないということは
存在できないということになります。

唯一あり得るのが、
霊体・ホログラム・実体化テレパスで

通信手段としての霊体です。

が、この場合も元の体は人間なので

何らかの電磁気学によって存在する
霊体あるいはホログラムが

他の場所で存在意義を持つことはあり得るのですが、

そもそも人間など以外の霊体・ホログラムは存在し得ません。

あったとしても、よほどのことでない限り
存在に気付くのは難しいでしょう。

他の人にとっては、歓迎しにくいものかも
しれないからです。


次に、霊体・ホログラムの存在の有無についてです。

ここは簡単に行きましょう。

見える人にしか見えていません。
逆に言うと、知らない人には見えないのです。

幽霊と似たものにも思えますが、
そもそも幽霊は実体の持ちようがないので

存在し得ません。

人間の元の体がある場合のみ、
霊体やホログラムは存在し得ます。

つまり、科学でいずれ達成可能なことは
現実に物理として認められるのです。

逆に言うと、科学が追い付かないことは
その時点では物理的現象ではなく、

可能性もきわめて低いと言えます。

ただ、いずれ科学で達成可能なことは
そのうち達成されますし、

物理的にも証明が利きます。

つまり、人間としての実体があれば可能なのです。

物理的肉体を持たずに語りかけるものがいれば、
それは幻覚だと言えます。

そうでない場合は、自分自身の語りかけです。
気違ったことを言っていない場合、

それは内省であって幻覚などの症状ではありません。

問題を起こしたから疾病扱いなのであって、

操作が利き得るうちは十分内なる力だとも言えるのです。

逆に操作が利かない場合などないので、
その場合は他人が関わった場合集団幻想だとも言えます。

つまり、特に症状がない場合は
(あったと認められる場合も)

間違いなく周囲の人間の集団幻想だと言えるのです。

よって人間は、他人の情報空間には入れません。

あるとしたら、それは洗脳か、宗教的幻想なのです。


つまり、こういうことです。

元の肉体がある場合は
ホログラムで、

それが感知できない場合は
存在しません。

よって地球上に存在しないものは
すべて幻覚であり、

逆に言うと存在したとしても
それが公表されればたちまち幻想扱いです。

つまり、実体化テレパスは
利用できる人のみの内部存在であり、

関われない人たちにはあるように見えません。

人間ひとりひとりの宇宙があると定義するなら、
あえて言えばその人たちにのみ分かる存在であり、

感知できない人(=関係のない人)には
存在しているとは言えません。

つまり、存在していないと言えば、存在していないのです。
逆に言うと、使える人たちにのみ分かることになります。

つまり、幻覚が見えていると思われる人でも、
自分で解決すればいいのであり、

そもそも薬での治療に意味はありません。

いずれ内部会話をしていけば分かることであり、
そもそも幻覚かどうかは他人に決めることはできないのです。

逆に言うと、今目の前にある共有幻想(現実)がある場合に
言い合いになると、もつれる可能性はあります。

ただ、人によって見えている現実が違うことを考慮した場合に
その場合も幻覚だとは定義できません。

つまり、実体のないものが幻覚であり、
本人が存在を自覚している場合は幻覚ではありません。

逆に言うと、それが操作不可の状態が幻覚であり、
一種のストレス症状とも言えます。

操作できていれば幻覚でもなんでもありません。
一種の3Dシアターか、ホログラム状態です。

(そのようなケースでも、現在の精神学では疾病と呼ぶのかも
しれませんが)

そういう情報は、時には操作不可の場合もあるので、
早めに操作の方法を覚えるのがいいでしょう。

操作さえできれば、いずれ消えるか
理解のできるものになります。

あとは情報空間の操作で
物理現象(過去の記憶)をいじるだけです。

統制のとれて操作の利いた人間なら、
誰にでもできることです。


逆に言うと、通り魔事件のような犯人は
幻覚を聞いていることはありません。

すべて自分の内部会話で、
自分の帰結としてやっただけのことです。

よって人間として越えてはならない暗黙の線が、
「人殺し」であり、

それさえやらなければ何でもやっていいことになります。
ただ、それはすべて全部自己責任で

の話です。

世の中にはルールがあります。

ただ、それを破った場合の責任は
すべて自分で負う事になる、

ただそれだけの話です。

個人的には、例の通り魔事件の犯人は、
死刑です。

ただ、できれば研究施設で監視下において
データを集めるのが好ましいのであり、

死刑も、根本的には人殺しとなんら変わりはありません。

ただ、破った人間をどうするのかと問えば
研究材料になるのが好ましいのであり、

今後時代が進めば研究材料になるのでしょう。

ただ、データ収集のみであって
人体実験はあってはなりません。

それでは第二次大戦と一緒です。

人体実験は、本人の了承がない場合は
否定されるべきであり、

逆に言うと、生命維持機能に影響がない限りは
やったとしても否定できないということになります。

なので、情報空間のデータがもっと処理できるように
なってから、ということになりそうです。極刑囚のデータ収集は。


最後に、暗黙のルールの存在の有無です。

これは、簡単です。

存在しない、ということはありませんが
存在しなかった場合

すべて幻覚ということになります。

何らかのルール(部分関数)があるから
現象があるのであって、

何もルールがなければ
それはすべて幻覚です。

もちろん、世の中はすべて幻想ですが、
幻覚とは違います。

人間は曲りなりにも歴史を辿ってきました。

なのでルールはあります。

逆に、

ルールはあると仮定した場合、
部分関数があるのですから

この世には現象が存在できることになります。

つまり、幻想の存在意義になるのです。

よって、ルールがないということはあり得ません。

ただ、それは自分によって決められたルールでないと
いけないのです。

世の中はすべて幻想ですが、
ルールを決めるのは自分です。

存在とは、そういうことです。





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