Nicotto Town


ふぉーすがともにあらんことを、あなたにも。


自分が間違っていることはあり得ない。

自分は絶対にあっています。

これは、すべての人がそれぞれの
自分があっている、ということでもあります。

なぜそうなのかというと、
理屈は人間が作ったものだから、です。

なにが関係あるかって?そう思われたことでしょう。

人間は、物事の理由を説明する時に
理屈を用います。

理由なんて後付けに過ぎない?
まぁまぁ、聞いて下さいよ。

理屈は、人間が作ってきたものです。
そして、それは人間の歴史でしかない。

人間は、脳の中で発展しながら生きています。
そして、歴史は人間が作ってきたものです。

いわゆる、過去の記憶でもあります。

歴史を学ぶことで、
物事へのある程度の対処法は学べます。

しかしながら、人間は常に新しくなっています。
というか、自分ひとりひとりが新しくなっているのです。

その中で、歴史を越えないといけない。
新しいところに進むことというのは、

人間が積み上げてきた歴史を
超える、ということでもあります。

そういう意味で、理屈は人間が
作ってきたものとしか言えない。

理屈で証明できるのは、
人間が今まで作ったことだけです。

じゃぁ、これから起こること・できることには
どうしたらいいか。

それぞれ自分が理由を考えればいいのです。
理屈を考えればいいのです。

そういう意味で、理屈で自分は否定できません。

理屈は過去に作られたものであり、
どうやっても自分を否定することはできません。

理屈で間違っていることが証明できない以上、
理屈は意味がありません。

第一、理屈で決めるには限界があるのです。
人間の過去の歴史だからです。

そういう意味で、自分が間違っていることはあり得ません。
ただ、心得ておきたいのはそれが
“すべての”自分に当てはまることと、

人殺しはしてはいけない、ということです。
人を殺すということは、他の“自分”を消してしまう、
ということでもあります。

自分は間違っていないのに、それはあり得ませんよね?
すべての人が、自分は間違ってないのですから

そんなことはあり得ません。自分を消してしまうのは
不可能なのです。

というわけで、自分が間違っていることはあり得ません。
ただ、そうして自由に生きるということは
自己責任が発生するということです。

自分が間違っていないということは、
すべて自分で決める、ということです。

ということは、すべて自己責任ということになります。
自分でやったことですから、
責任を持たないといけないわけです。

そういう意味で、人殺しは取り返しがつきません。
責任を持つことは不可能です。

なぜなら、自分を消してしまうに等しいからです。


自分が間違っていないのなら、
自分のすることにはすべて責任を持たないといけません。

そういう意味で、自分が間違っていないとは
自分のすることすべてに自己責任を持つ、ということでもあります。

責任が持てるならば、何をやってもいい。
ただ、人殺しはダメです。

責任が取れませんから。

自由ということは、
すべて自分で責任を取る、ということです。

自由は、すべて自己責任が前提になる、
ということを覚えておいて欲しいと思います。

アバター
2013/12/29 21:11
いつも興味深いブログですね^^

自由は自己責任が前提になる。なるほどです

良いお年をお過ごし下さい




Copyright © 2024 SMILE-LAB Co., Ltd. All Rights Reserved.