Nicotto Town


ふぉーすがともにあらんことを、あなたにも。


ゲームは抜け出してからが、始まり

ゲームは抜け出してからが、始まりです。

というか、抜け出さないと始まらないのです。

世の中のものは、ほとんどすべてゲームです。

ゲームというのはTVゲームを含め
ゲーム形式のもの全般を指します。

勝ち負けがあったり、
駆け引きがあったり

有利不利があるもの全般を指します。

その結果やりとりが発生するものも、
すべてゲームです。

やりとりがあるところ、ゲームがあると
思ってもいいでしょう。


ゲームをやらされている以上、
ゲームから抜け出さないと
本当のことは見えません。

ゲームをやらされている、というのは
ゲームを自分で作った場合でないと

やらされる運命にあるから、です。

例えば、野球機構のオーナーは
自分で野球をやりませんし、

軍産複合体のトップは
自分で戦争にいきません。

ゲームを仕掛けた側は
ゲームを楽しむことができ、

逆にいうと、
ゲームを仕掛けられた側は
ゲームにこき使われ、

ゲームに隷属します。いわゆる奴隷です。

要は、ゲームを自分で仕掛けないと
ゲームの手下になる、ということですが

ゲームを自分で仕掛けるには、
そもそもそのゲームから抜け出すことは
おろか、

ゲームを自分で作らないといけません。

大きなゲームは、小さなゲームを
包摂しますから、

地球規模のゲームを支配しないと
そもそもゲームから抜け出せません。

(ちなみに、人類は地球系の外に出た
ことがないので、

地球惑星系という惑星系自体が、
そもそもひとつのゲームなのです。

もちろん、地球より離れた宇宙空間で、
生身でなにかやろう、という人はいませんから)

地球惑星系より外のゲーム、
というのは哲学でしか存在しません。

もちろん、ゲームから抜け出すには
そもそもそのひとつ上のゲームから
俯瞰する必要があるので、

最終的に、ゲームを作るには
一番高い抽象度でゲームを俯瞰する
必要があります。

いまのところ、一応一番高い抽象度は
空(くう)なのですが、

これは「ある」と「ない」を包摂するものです。

有と無を包摂するのが
空なのですが、

これは哲学の概念です。

当然、人間の哲学なので
宇宙より抽象度が高いのですが

(人間の知っている範囲で)

もちろん、この宇宙というのは
人間が実際に知っている
地球惑星系内の話です。

もちろん、宇宙空間には
生身でいけませんので、

あくまで、哲学、想像の話で
地球惑星系のちょっと外から
俯瞰して見てみる、ことを指します。

地球惑星系の外に出られれば、
(外から俯瞰して見ることができれば)

地球惑星系内のゲームは俯瞰できるわけです。

つまり、だいたいの地球系内の
ゲームは支配できるわけです。

(もちろん、ゲームを支配する、ということは
そのゲームから逃れることであり、離れることです。

よって、そのゲームに興味はないけど
そのゲームをなんとなく傍からコントロールしているのが

一番抽象度の高いゲームを支配している人であり、
地球惑星系のちょっと外から俯瞰して見ることが
できれば、

それは可能です。

つまり、ゲームから抜け出すには
ゲームのひとつ上から俯瞰して観る必要があり、

ゲームの上にはゲームがあるのです。

つまり、会社員のゲームの上には
会社間のゲームがあり、

会社のゲームの上には
その国の経済界のゲームがあります。

さらにその上には、
世界地域レベルの金融支配のゲームがあり、

さらに世界の主要地域の
金融支配のゲームがあります。

これは、資本主義が続く限り
続くゲームであり、

社会学的には一応資本主義というゲームであり、
金融資本主義、支配というゲームでもあるわけです。

ゲームの中では、幸せになれません。

例え、結婚して幸せになる、というゲームでも
そこから抜け出さないと、

そもそも幸せにはなれませんし、
理想の相手とも結婚できないでしょう。

要は、ゲームのひとつ上から
俯瞰しないと、

そもそもそのゲームは見えないし、

ゲームを抜け出さないと
幸せにはなれません。

つまり、すべての
ゲームを俯瞰する、

地球惑星系外の視点を持つことが
一応地球の系内のゲームから抜け出す視点・方法であり、

それができれば、

ゲームから抜け出す=俯瞰する=コントロールする、
ということができるのです。

早い話、すべてのゲーム(=概念)を俯瞰しないと
そもそもゲームを抜け出せないのであり、

誰かが作った(自分以外が作った)ゲームでは
一生幸せにはなれません。

なぜなら、それは他人が作った支配の構図だからです。

もちろん、知識や概念についても
同様で、

他人に刷り込まれた、与えられた
知識や、概念は

そもそも偽りの情報です。

自分で組み上げたゲシュタルト(概念のかたまり)こそが
本当の知識であり、

(人間は誰もがゲシュタルト能力を持っています)

そのゲシュタルトは自分のものです。
つまり、ゲームに例えると
自分のゲームというわけです。

イコールで、誰にも操作されない、
という意味です。


ここでたとえ話ですが、

会社員なのに、
会社で給料をもらわず
仕事もしない、という人はいませんよね?

掃除のボランティアですか?
それでも、会社員とは呼びませんよね?おそらく。

野球選手なのに、
試合にも出ず
給料ももらわず

練習もしない、
という人はいませんよね?

ベンチの整頓をしているだけで
野球選手ですか?違いますよね?

会社員というゲームでは、
必ず会社員をやらされ、

野球選手というゲームでは
野球選手を必ずやらされるのです。

つまり、あるゲームの中では
そのゲームを延々とやらされるのであり、

ゲームから抜け出さないと
そもそもそのゲームは見えませんし

ゲームが何であるかも
考える余裕はできません。

つまり、ゲームを抜け出してからが、
真にそのゲームがなんであるかを
考える本番であり、

そのゲームを俯瞰することです。

つまり、そのゲームから抜け出す、
ということでもあり、

自分だけの、自分しかいない、自分のゲームを作る、
ということです。

自分だけのゲームということは、
自分でコントロール可能だ、ということです。

もちろん、そこに何を加えてもいいですし、

結婚相手や恋人なら
誰がいてもいいわけです。

でも、恋人は自分ではありませんよね?

あくまで、他人なわけです。

自分の一部、という人も
それは他人や他の概念から見た
自分と恋人の関係であり、

そもそも自分と他人は別のものですよね?
恋人だって人ですから、

まったく同一のものではないわけです。

ということは、
恋人も人であって他人であり、

そもそも自分ではありません。

よって、恋人はいてもいいけど、
究極のゲームでは
自分しかいないわけです。

もちろん、地球全部の人を含んだゲームでもあるし、
逆に自分しかいないゲームでもあるわけです。

もちろん、おもしろくないから
ちょっとゲームの抽象度を落として
自分と恋人、仲間がいる世界でも
いいわけです。

でも、恋人と自分は別物ですから
やはり自分の中では自分だけのゲームがあるわけです。

そうなると、自分の中には
必ず自分だけのコントロールできる世界が
あるといいことが分かります。

もちろん、私たち一人一人に
宇宙がありますから、
それで問題ないのですが

そもそも自分の宇宙は
自分のものであるわけです。

もちろん、宇宙=自分のゲームと
考えてもらってかまいません。

そうなると、何か見えてこないですか?

そうです、自分の宇宙は自分のゲームなのです。

そうなると、そこから抜け出さないと
そもそも幸せにはなれない。

自分の知識や経験の世界から
抜け出してこそ、

本当の世界があります。

実際、自分の系の外に出ないと
本当のことは見えないわけです。

アバター
2014/02/02 16:28
あはは^^; 
ありがとうございますb
アバター
2014/02/02 16:24
これ、すごくわかりやすいですね。
そしてまたしても共感してしまいます!
アバター
2014/02/02 15:57
┼─♡*゚──‥*⋈‥─‥‥(*)゚・─*──‥┼

      ここに失礼します

  訪問感謝です**

   祝11.000人突破!!
┼─♡*゚──‥*⋈‥─‥‥(*)゚・─*──‥┼
アバター
2014/02/02 12:22
伝わるように、心がけてみます^^

貴重なお話・ご意見ありがとうございます。
アバター
2014/02/01 19:15
それらがなかなか周りに伝わらず、少々諦めかけています。
頭の体操や、数学の図形問題を長時間かけて考えることは好きです。
頭がやわらかくなっていく感覚が、やはりありますね。
思考と読書は飽きませんし、時間が制限されませんから^^
アバター
2014/02/01 19:02
此方に失礼しますね^^

コメントありがとうございました。
読書をすることで、漢字を覚えたり、文章を理解したりする能力が
身に着く事が目に見えればいいのですが…^^;


この記事も読ませていただきました。
その通りだと、私も思います。
やはりゲームや仮想世界と現実の区別がつかなくなるというのは
失くしていかなければならないことだと思いますね。
自分自身をも見失ってしまうかもしれないですし、
もしそうなることがあるようならば、とても悲しいです。

10代視点からの、感想です。
アバター
2014/01/31 22:14
系の外に出る=ゲームの外に出ること、です。

つまり、ゲームを俯瞰しないと
そもそもそのゲームから抜け出せないことが
お分かりいただけると思います。

つまり、ゲームの外に抜け出すことが
すべての始まりであり、

逆にいうと
そのゲームの中では幸せではありません。

方法としては俯瞰するだけでいいのです。

俯瞰するには、
例えば、TVゲームなら

そのゲームに関するバックグラウンドの知識でも
いいし、

関連する原本でもいい。

ストーリーがあるなら、原作でもいいわけです。

映画が基なら、映画でも原作でもいいわけです。

とにかく、そのゲームに関する
圧倒的な知識を身につけることが

そもそもそのゲームを抜け出す手がかりになる
のであり、

そのゲームを俯瞰する方法です。

知識を積めば、
その概念に関するネットワークができます。

知識があれば、ゲームを俯瞰することができます。

つまり、ゲームの中身や登場するものについて
知っていれば、

そもそもそのゲームで熱くなることはないわけです。

もちろん、熱くなってもいいですが
どうせなら、自分で制御できてコントロールできた
ほうがいいですよね?

つまり、上手くやれたほうがいいわけです。

今のは、TVゲームの例えですが
ゲームなら何でも一緒です。

まずは、俯瞰する
それからコントロールする、

さらに、そこから抜け出すと
興味がなくなります。

もちろん、ゲームを放棄すれば
新しい世界が見えるわけです。

何かに支配されるゲームに支配されていれば
幸せになれないのは書いた通りです。

なので、ゲームから抜け出す、
最終的には、

すべてのゲームから抜け出して、
すべてから自由になることが、

真に幸せになる道です。

もちろん、それをやるには
まずはゲームから抜け出せばいい。

ゲームから抜け出すことが、
真に自由な世界を見る方法なのです。

(何の支配もない世界にいけば、自由になれますよね?)




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