Nicotto Town


ふぉーすがともにあらんことを、あなたにも。


良識之原本

良識など、この世にありません。

あるのは、縁起とそれに関わる愛などの感情だけです。

なぜかというと、絶対的な神はこの世にはいない
ということが証明された以上

絶対的なものなど、存在しないと
証明されたからです。

なので、絶対な良識や良心など存在しません。

あるのは、契約上存在するお互いの承認した
大前提だけです。

例えば、資本主義の会社やお金がその例です。
会社もお金もなしに、資本主義はできません。

定義にそれが入っているので、そのまんまです。


良識は、必要な社会システムに
要求されるから、

存在する大前提なのです。

例えば、憲法や条文によく見られる
「良識のもと」、「良心にもとづいて」などは

良識や良心があると前提で
書かれています。

つまり、契約や条文に必要だから
大前提が引っ張りだされているわけで、

絶対的な存在や物事がないと
証明された以上、

良心や良識も
あるのなら、あるという前提で
書かれたものです。

(ゲーテルの不完全性定理で
公理系で証明しようとすると
必ずその公理系内で矛盾が生じる、ということが
証明されたばかり)

絶対的なものはない、上
量子力学の不確実性で
絶対と呼べるものはない、

と証明されています。

なので、良心も良識も
絶対的なものはありません。

むしろ、契約などに必要だから
大前提として引っ張り出されているわけで、

(人殺しと契約するのは死神だけです。もちろんその逆も然り)

良心も良識もただの前提です。

絶対的なものはない上、
ただの前提なわけですから

社会的システムに必要だから
存在するようなものです。

なので、無人島で良心や良識を論じても
しょうがないわけです。

(もちろん、そこで社会システムが築ける人がいることを
否定したわけではありません)

社会システムには、良心や良識が大前提です。

もちろん、報酬や質(カタ)が大前提のシステムなど
存在しません。作る前から崩壊しています。あっという間に、です。

人間が無尽蔵に生み出せる、
良心や良識、それに基づく愛や知恵、叡智が
存在するからこそ、

社会システムは成り立ちます。

良心や良識は、あくまでもシステムの大前提で、
絶対的なものではないのです。

なので、この世には絶対的に守らなくてはならないものなど
存在しないのです。(自分が主体的に守護する、の意味で。)

もちろん、絶対的にやらなければいけないものなどない。

自分が生活したい以上、命に関わることはしてはいけないのは
当然ですが、(当然人殺しも絶対あってはなりません。)

その大前提にあるのは、良識や良心です。

つまり、大前提であって絶対的に存在するものではない。

もちろん、これは神や絶対的な存在が存在しないのと
一緒であって、

すべては前提の上に成り立つ、ということです。

もちろん、命に関わることは
本来従も逆もあってはならないのですが、

社会的システムを作る上では
大前提として、良識も良心もある、ということです。

その上で、愛や叡智を定義するなら
それはそれでいいことなのでしょう。

絶対的なものなどないのなら、
何かを前提で作ることは、アリですからね。





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