Nicotto Town


ふぉーすがともにあらんことを、あなたにも。


一対一のゲームとゲームの構造―どちらが強いのか

先ほどは、というか前稿ではだいぶ派手にゲームのことについて
書かせてもらったが、本稿ではゲームの構造、特に一対一(のゲーム)について
解説する。雑な説明ではあるが最後まで聞いてもらいらい。

前稿でも述べた通りだがゲームはつまるところ一対一に集束するものである。これはゲームの数理的にもそうだし、フォースというか全体の力の流れの構造においてもそうだ。数理的にもフォースの流れ的にもそうなら当然抽象的というか情報空間についても同じことがいえる、というのが成り立つ。つまり、仏教の一念三千にも例えがあるが特にフォース、力の流れ的にほぼ全体が一点、というかその場に集まるのだ。これは特にその人自身の宇宙のフォースがその場に集まるという意味でも顕著である。分かりやすくいうと、その場つまりそのゲームの場にほぼすべてが集約されるのである。宇宙のフォースというのは全体の力の流れ、特にその場に集まるときの力の量、という場合において特にそうである。つまり、要はいいたいのはその場にほぼすべてが集まる、ということだけなのだ。

ゲームがほぼその場にすべてが集まる場、というのは説明したと思うがゲーム的に力が一点に集まるというのは要は一対一なのである。ゲームは究めるとほぼすべてが一対一になるというのは先に述べておかなければならないが、構造的にゲームは一対一が基本なのである。つまり一対一で勝てばゲームはなんだって勝てる、つまりどんな場合でも上手くいくのだ。例えばサッカーなんかでもそうだが、一対一に負けてしまうようでは全体的に圧倒的な勝ちは収められない。圧倒的、というのはゲーム的に完全に、という意味で、である。もちろんポゼッションだけの話ではない。特に帆船の艦隊戦で例えると、例えば力量的に一隻同士で比べると負けているのに、だいたい同じ力量というか物量同士の他国の艦隊とでやりあってみても、そう大して圧倒的な勝ちは収められない。ここで圧倒的にというのはゲーム的にどうか、ということであるが、実際にこれをやるとなると、というと要は味方にも死傷者が出るのである。これはどの戦争でも分かりきっていることであるが、この点に気付いているのかどうかは知らないが、今になっても戦争がやめにならないのは一つ注意書きしておく。これについては簡単にいうと、単なる戦争のバイアス以上、それ以上の力がかかっているのだ。だから戦争はタダではやめにならない。民主的に戦争をするわけではないのでやはりそれ以上の何かしらのバイアスで、というかゲーム的に動くことが、必要なのである。戦争をやめにするには、そういったバイアスが必要なのである。話を元に戻そう。

帆船の艦隊戦の話だったが、要は艦隊戦のゲームにしてもだいたい同じ物量同士の艦隊でそのうちの一隻同士を比較していてもそれで負けてしまえば、大して勝ちは収められない、というか到底有利にも戦えない。有利でない、ということは実戦ではすなわち死を意味する。訓練で補てんすることも考えられるが、それにも時間的物量的コストも相当かかることなどからやはり帆船の艦隊戦にしてもその時に勝てるかどうかは、その時と場の運、つまりゲームの組み合わせにすべてかかっているといえよう。どだいどれだけ力量と物量がある艦隊・船でもその時のゲームの組み合わせで勝てなかったら、負けてしまえば到底勝ちはないのだ、というよりか負けるしかないのだ。繰り返しになるが実戦で負ける、ということはすなわち死を意味する。つまるところ、どれだけ準備していようとゲームの組み合わせさえ悪ければ、どんなに物量・力量があっても負けてしまうので戦争などは所詮意味がない、のだが(というかそんなことは実際に試さないに限る)ゲーム的に情報空間でやるならまた別である。ちゃんとゲーム形式でやるなら情報的にはそれだけ得るものがあるからだ。それだけに情報空間でゲームというかそれができる、実際にそれがシミュレーションできるゲームというのは、貴重なのだ。なにしろ物理的にコストをほとんど払うことなくそれができるのだから、かなり貴重だと言わざるを得ない。もちろん日本ではまだまだそういった考えというか、概念では遅れているので是非ゲームクリエイター諸氏にはがんばってもらいたい。ゲーム、特にシミュレーションゲームには社会的にそれだけ需要があるのだ。是非リアルなゲームを作ってもらいたい。

まとめると、本稿の話はゲームは一対一に集束する、というものなのだがお分かりいただけただろうか?剣術などが一番分かりやすいがその場にすべてが集約されるのでその場で、一対一で負けてしまえばもう後はないのである。そういってしまえばちょっと簡単すぎるかもしれないが、ゲームでも負けてしまえば後がない、というかゲーム形式ではそれで終わりなのでそれはゲームでは至極当たり前のことなのである。まぁ、それほどにも歯切れがいいからゲームというのは単純で分かりやすいのであるのだがこれは分かりやすい話で単純であるほどゲーム形式だとおもしろくてやめられない、のである。また、一回一回ちゃんと結果は出るので分かりやすい。仏教の概念でいうと一念三千だがその場、その時にほぼすべてが集まるのである。そう考えると人生はなんと楽しいものではないだろうか。一瞬一瞬ですべてが決まるのならその後の人生それほど生きやすいものはない、というのが本心であろう。まさに人間の冥利に尽きる、というものである。という具合にゲームというのは全体像というか世界を説明するにはこれ以上ない、というぐらいに便利なものなのである。もしゲーム、ゲーム理論について興味があるのならば「ゲーム理論」で本を検索してみるといいだろう。そこらへんにいい本がいっぱい転がっているので手当たり次第に読んでみれば、きっとそのうちに理解が深まることであろうと思う。というわけで、本稿は終わりにしておきたい。ご精読いただいた読者諸氏には大変感謝しておきたい。





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