Nicotto Town


ふぉーすがともにあらんことを、あなたにも。


ゲームシステムとは何か―ゲームの蓋然性と必然性

ゲームシステムとは、ここでは簡単にゲームのシステムのことを指しています。つまり、世の中のほとんどの事象はゲームあるいはゲーム形式と呼ぶことができるのですが、そのシステム的になった部分、ゲームのシステム、つまり世の中すべてのことですね、これをゲームシステムと呼んでいます。ゲームの蓋然贅と必然性とは、蓋然性とはすでにそこにあること、必然性、必要性とはなぜゲームがすでにそこにあるかのように必要なのか、そこにあるのが必然なのか、ということです。分かりやすく簡単に言ってしまうと、世の中の仕組みを解き明かしたくて世の中の仕組みやなぜそこにあるのかを理解しても、結局世の中のこと、世の中そのものであるからなぜあるのか、蓋然性を理解してもしょうがない、つまりすでにそこにあるものごとについてはなぜそこにあるのかを考えてもしょうがない、行き詰ってしまう、ということなのです。分かりやすいのかどうかは分かりませんが、蓋然性は考えてもしょうがないし、必然性、必要性についてもほとんど行き着く先がないのです。というのも、ゲームとは世の中ほぼすべての事象、物事を指しているのに際し、蓋然性はあるものをあるといってもしょうがないし、必然性についてもゲームの系の中からではゲームの意味合いなど証明しようがないのです。ゲーテル、チャイティンが証明した神の系の中における不在そのもので、中からでは中も外も証明しようがない。外に出て、初めて中も外もある程度は証明可能なのだ、ということを自ずから証明してしまうのです。これがゲームの奇怪・摩訶不思議というもので簡単にいうとゲームとは系そのものであるからその系の中だけでは系の中のことも外のことも証明し得ないのです。系の外に出て、系の外から初めて俯瞰し得てこそ、系の説明も証明も為し得るわけて、これがゲームの奇怪です。まあ、答えを言ってしまうとゲームとは系そのものであり問いそのものであり答えそのものでもあるからそれそのものでは意味がない、外に出ないと分からない、というのが答えなのですが要はゲームをやめなければいけないのです。ゲームとはここではゲームや遊びのことだけではなくて世の中の事象や現象のゲームについてもやめなければいけない、ということなのですが、そうすると悟れる、というわけです。加えて言っておくなら、世の中すべての人は生まれながらにして悟ることを欲している、ともいえるわけですが、どうやってそれをやるか、というと単純にゲームをやめてしまえばいい、のです。しかも、注意として言っておくとただ目の前のこと・事象をやめればいいか、というとそうではなく、ゲームそのもの、その事象をやめるかどうか、というゲームすらこの段階ではやめなければいけないのです。つまり、選択の必要性からも自由になる、ということなのですが、なんせ世の中のほとんどの事象はゲームなので、問題を読む時点からゲームは始まっているのです。それをやめなければいけないのですから、ゲームをやめるというのは、すなわち考えるのをやめることでもあり、ゲーム総ひっくるめて系の中から出てしまうことを指しているのです。これがゲームシステムとは何か、ということの本質でありゲームの蓋然性と必然性とは何か、ということについても十分説明できたか、と思います。どう説明できたのか、といいますと蓋然性とはそこにあることで、必然性、必要性とはなぜゲームがそこにあるのか、何のためにあるのか、ということなのです。つまり、系の中のことを系に尋ねてもしょうがない、ということの例えであることで系の中のことも外のこともすべて系の外に出てそこから俯瞰しないと分からない、ということの例えなのです。つまり、系から出ろ、ということなのです。だいぶ、難しい複雑な説明になってしまいましたが、要は系の中のことと外のことを知りたければ系の外に出ろ、ということなのです。つまり、ゲームシステムについて理解しろ、ということはゲーム、系の外に出て調べなければ分からない、ということで最終的な結論としてはゲームがやめられるか、いかにやめていくか、ということになるのです。ここまでいくとよく読んでいる方にはお分かりかと思いますが悟るということは考えることをやめる、ということがよくお分かりいただけると思います。結局、ゲームの系について説明してきましたが悟るということは考えるのをやめること、また系・ゲームの外に出る、ゲームをやめる、ということでもあるのです。だいぶ長くなってしましまたが、今日のことはこんな感じです。お読みいただいた方には感謝したいと思います。また気が向きましたら他の稿もお読みください。

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2015/11/18 17:24
>蓋然性を理解してもしょうがない、つまりすでにそこにあるものごとについてはなぜそこにあるのかを考えてもしょうがない、行き詰ってしまう、ということなのです。

これ、なるほど!と思った。
いろんなことに言えることだね。
大きな物事に対しても日常の中の小さな物事に対しても
注目すべき点は目の前にあるものじゃなくて自分の意識の方なんだと思った。

>ゲームをやめるというのは、すなわち考えるのをやめることでもあり、ゲーム総ひっくるめて系の中から出てしまうことを指しているのです。

何かに熱中してる時は、新しい情報を見聞きする機会があったとしても
熱中してる状態の思考の枠の中でしか見られないから気付くことはできないんだなって思った。
パッ!と両手を開くような感じで思いきってその意識の枠から出てしまったら、見えたものがあったよ^ ^

>悟るということは考えることをやめる、ということがよくお分かりいただけると思います。

Don't think. Feel! だね^ ^




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