Nicotto Town


ふぉーすがともにあらんことを、あなたにも。


錬金術の位置づけとその差分(自ブログ転載)

錬金術wikiを作りませんか?というところのコメントの返事で書いたのでちょっとまとめておきますが、錬金術とは、そもそも物質の総量を変えずにモノを変成、形を変化させる技、です。変成とはモノとしての物質は変えてしまわずに形や性質を変えてしまうことを言いますが、早い話、人間にはモノを根本的に跡形もなく変えてしまうことはできない、のです。質量が保存されるかどうかは分かりませんが、そもそも化学的変化においてはエネルギーの総量は変わらないので、物質の総量は変えずに形や性質を変える、いわゆる変成する技を錬金術、というのです。エネルギーが変わらない、というのは変成の際に出入りする量子や微量物質も含めて、その場全体としてはエネルギーの総量が変わらない、からです。まぁ、その場全体のエネルギーも含めてコントロールしてしまうから、錬金術という体系もあるのですが(一重に基本的に物質は一区切りの中においてより大きなもの、あるいは包摂するものに追従、あるいは包含して考えられるため)、そもそも物質を保存しながら、形や性質を変えてしまう、から錬金術なのです。逆に、魔術・魔法は物質のモノとしてはそのままにその場やそのモノの性質を変えてしまう、から魔術が成立するのですが、それはいうなればその場の情報空間の情報を書き換えてしまう、から成立するものなのです。つまり、場としての情報を操るから魔術なのであって、錬金術よりもこちらのほうがより操作的で、実践的な技術であることが窺えます。ただ、錬金術はモノの基本原理や物質の交換における基本原則の話をしているのであって、どうやって変化させるのか、という具体的な技術までには最初から言及しているわけではありません。もちろんどう操作すればどのような結果が得られるか、という実践的な科学的知識も書いてあることには書いてあるのですが、どちらかというと基本原則の説明に終始するような姿勢は見受けられます。それは一重に、錬金術ひいては世界の基本原則がバランスで成り立っているからであって、実際にどう操作してこういう効果を得る、という実践的ないかにも民衆的な考え方は、むしろ魔術・魔法の方に受け継がれているといっていいでしょう。むしろ、魔術などの本は実践的すぎて具体的な原理の説明は曖昧にしている場合が多いです。それはむしろ、中身の原理を知られたら腑抜けになるからまずい、なのではなくて、むしろ長い間に受け継がれる段階で極めて実践的な部分だけ口語伝承で残したからこそ、むしろそんな一見中身のない曖昧な文章で残っているのでは、ないでしょうか。実際にやれば正確なのかもしれませんが、中身の原理の具体的な説明がないので、体系として理解するのは、少しどころではなく難しいものでもあります。逆に、錬金術のほうは、基本原理の説明からモノの変成原理まで宗教的といえど体系的に説明することに成功しているので、魔術ほどではなくちゃんとした化学の基礎になるだけの、科学的素質は身に着けていったといっていいでしょう。逆に、魔術で具体的に説明不可能なことは錬金術で可能で、錬金術で実行不可能なことは、意外な方法で魔術にそのやり方が書いてあったりします。ただ、どちらもどこまで遡れば基本原理が分かるぐらい正確な記述に行きつけるのかは、常人にはとてつもなく理解しがたいことだとも思いますが、とにかく錬金術は科学的な基本原則から物質の基本原理のアプローチで、十分体系的だともいえますし、逆に魔術のほうは、というとどちらかというとより実践的だけども、逆にその行動の部分だけ口語伝承で残って実際の基本原理なんかは、むしろそんじょそこらの中世の文献を読み漁っても、そう簡単に見つけるのは難しいのです。科学的なのと口語伝承で実践的なのとどちらが強力なのかはわかりませんが、とりあえず前者は学者や識字できる貴族・富裕層向けで、後者は田舎町の街娘や森に隠居する魔女向けだったでしょう。先述のブログでも書きましたが魔女裁判による魔女狩りがあった一因は確かに政治的に反乱分子は抑圧しておきたいから、というのはもちろんあったでしょうが、それ以上に貴族や王侯がコントロール可能な錬金術と(識字できないとそもそも本が読めなく、アラビア伝承や知識書などの文献にありつけないため)その反面、民生で醸成可能な魔術では、根本的な役割の違いがあったと考えられます。むしろいえば、フィールドが違うからこそ、両者に立場の違いというか扱われ方の違いが出てきたといってもいいのでしょう。根本的に、錬金術と魔術では、伝わり方が違うから、その立場に違いが出てきた、ともいえるのです。ちなみに、中国の錬丹術は、変化させたモノの性質を元に戻す技術で、モノの状態や性質を元に戻すというのはいうなれば、破壊する技術でもあるのです。タオによる陰の力によるところも多いのですが、破壊とはそもそもモノの変化した状態・性質を元に戻すことでもあるのです。モノの状態は絶えず変化していますから、その変化を止めてしまうこと自体、破壊と呼べるのです。まぁ、中国の文化がすべてモノを破壊する文化だとは、とうていいうつもりもありませんが、陰の力というのは、そもそもモノの状態を元に戻す、つまりいうなれば破壊する考え方だ、というのも頭の片隅にいれておいてもらっても、いいんじゃないか、というようにも思います。で、先述のブログで書いたとおり、人間の業というものはそもそもある程度の物資を消耗しながら、モノの形や状態を変成する技術、ですから根本的にそれが変化不可能であることは、むしろ、錬金術の「等価交換の原則」が説明している通りです。逆に、物質を量子経由で根本的に変質させてしまうことは可能か、という考え方もできますが、それはむしろ超科学というか超魔術とも呼べるシロモノで、実際にそんなことを実用化してしまえば当然物質世界の均衡は崩れてしまうため、精神性やそのバランスを重んじる錬金術ではむしろそういったものは歓迎されないであろう、ということは言えると思います。仮に、物質を根源的に変質させてしまう物質があったとしても、それは既存のバランスを超えてしまうため、「残っている」錬金術の資料だけでは、到底説明不可能なものでもあるし到達不可能なものでもあるのです。まぁ、逆にいえば有り得なさそうなことがこの世の中には意外と普通にある、というようにもあるように実際にそれを発見してしまえば存在することにもなるのかもしれませんが、そもそもの話として実証不可能だったり実際に再現不可能だったりするものは今の科学では科学と認められていないのです。体系的に限界だともいえばそれは錬金術であり科学の限界なのかもしれませんが、そもそもそれひとつの系でひとつの体系だとする既存の科学や錬金術の中では、範囲外、とされることなのです。(この文章は自ブログ(アトリエ)で載せさせていただいたものです。プロフのブログ「文明と歴史の交差するところ」のリンクから辿り着けると思うので、興味のある方は是非覗いてやってください)





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