Nicotto Town


ふぉーすがともにあらんことを、あなたにも。


干し肉のススメ

現代の私たちは冷蔵冷凍技術が発達した「おかげ」で生あるいは冷凍の肉を買ってきて家で加熱加工して料理にして食すことに慣れているわけですが、そもそも冷蔵冷凍技術なんてものができる前は肉にしろ魚にしろ、生で食べることができない場合は全部干してあるいは塩漬けにして、「保存加工した上で」食べていたわけです。家畜を屠殺する時期だったり魚が採れる時期というか漁に出る時期は決まっているわけですから、当然その他の季節はそういった猟の産物にありつけないわけです。なので、昔から、人は家畜だったり狩猟で採った肉、あるいは漁や採集などで採った産物はほとんど全部乾燥あるいは塩漬けして保存加工する癖というか習慣がついていたわけなのです。乾燥保存加工すると当然水分が抜けるので圧縮されて小さくなりますが、それと同時に成分が凝縮されるので、水に戻してだったり再度食べるときには保存しやすいのと圧縮されているので加工しやすいのとが相まって、非常に使いやすくなるのです。そういう経緯もあってか、加工保存するのと食べるのとの利便性が両立しているので、昔から人は採れたものを保存加工する癖というかそういう習慣になってきていたのだ、というように思うわけですが、例えばの話現代の私たちは牛や豚などの家畜の肉を生で買ってきて調理加工して食べることに慣れているわけですが、それと同時に生でモノを流通させることは容易ではなくしかも元々牛豚の肉は食べる習慣がほとんどなかった日本ですから当然肉を食べることや加工には慣れていなくしかも干し肉などで保存加工したものを食べるといった習慣にはほとんど慣れていない、のです。それに対して伝統的に家畜あるいは狩猟肉を食べる習慣のある他の地域では欧米だろうとその他地方だろうと干すなり塩漬けなり肉を保存加工して食べるのは当たり前、ですから(もちろん日本でも山間の狩猟肉だったり鶏やヤギ肉などを干し肉など保存加工して食べていたのは否定しませんが)そもそもの、伝統的な肉の食べ方としては、採ったその場で生のを焼くなどして食べるのはおいておいて、採ったものを冬などに備えて干すなり塩漬けにするなりして保存加工する癖が昔から人にはついていたのです。なので干し肉なり保存加工したものを戻すなりそのまま調理したりして食べるのはどんな食品であっても昔はそれが当たり前のことで、むしろ今の人間が生のものを食べ過ぎている(しかもそれらを温暖な地域で流通させるには冷蔵以外にも「それなりの」ことをしないといけないことは忘れてはならない)傾向にあることは重々知っておく必要があります。野菜など食べ物の生産にあたっている人はよくご存知だと思いますが、食べ物を保存加工だったり流通するまで取っておくことは、非常に重要だけども難しいことでもあるのです。現代の野菜など食品を買って食べるだけの人には分からないことなのかもしれませんが、モノを生産する現場を見てみると、ひとつの食品、例えば野菜の葉一枚ができるまででも、非常に多くの手間と労力と時間がかかっていることが分かります。確かに家庭菜園など放置農法で野菜などを育てることもできますが、それはやり方がうまいだけで業務用など販売向けには必ずしもそれで足りるとは限らない、やはり、それなりの手間と労力、時間をかけないと何事も生産できないのです。ということを考えると、特に食品などが流通するまでには非常に多くの手間がかかっているわけで、そういう意味では「何かしらの加工」なしでは生のまま食品を流通させるのは温暖で夏特に暑くなる日本ではとてもではないが難しいことが分かります。なので現代人は生産地から離れていても生のまま食品を買ってきて加工することに慣れている、「ように思え」ますが、実際は、そこまでに多大な手間がかかってますし実際それは普通のことではないしただ事ではない、のです。というところから考えると、生のままがそのまま「ではないかも」しれませんがそのまま遠くまで流通するのは実は若干どころではなく不自然なことで、本来であれば、今までは冷蔵技術が発達するまではその地方、土地で採れたものを食べていた、あるいは保存加工して食べていた、ともいえるのです。逆に、保存加工されたものであればバターや干し肉、干し魚など中世・近世のヨーロッパでも船で海を渡って普通に流通していたものですが、それでも流通させるのには干したり塩漬けしたりといった保存加工は必須だったわけです。ということから考えると自前で採れたものであれモノを保存加工して食べるのは当たり前で、現代においてむしろ多くの人が生あるいは冷凍のままで流通したものを「むしろそれが普通のことであるかのように」当たり前に食べている現状が、むしろとてもそのままではおかしなことである、というように思えてくるわけです。結局、話を発端に戻しますと、そもそも家畜の肉を生産するのには鶏はおいておいて牛や豚などは多大な食物水(家畜の飼料は穀物ですからその穀物など原料を生産するのに必要な水の総量)を消費しており、先進国の人間がこぞって家畜の肉を食べているのは非常に問題、なのです。なぜなら、本来であれば家畜を育てるのに消費した穀物を発展途上国など飢餓の起こっている地域に回せば飢餓は防げるのであり、すでに人類はカロリーベースでは飢餓を克服しているのです。それなのに発展途上国で飢餓の人が続出するのはそもそも先進国の人間が生のままの家畜肉を買ってきてそれを焼くなどして食べているから、であり干し肉ではない家畜肉を調理して満足いく量を食べるには実は食物水に換算すると結構な量を食べなければいけない、のです。鶏肉は例外だといったのは体の大きさからしてそこまで食物水を消費していないし、成長するまでにさほど時間はかからない、からです。という以上のところから考えると生の肉を流通させるのも買ってきて食べるのも実は人類全体にとっては不合理なことであり(冷蔵技術でも結局フロンを使っているかもしれません)その上動物性タンパク質は摂り過ぎると体内でコレステロールが増えて血管を詰まらせる原因になりますから、タンパク質を摂るのならむしろ大豆など豆類あるいは魚でいいのです。その上でどうしても肉を食べたいというのなら鶏肉かあるいは干し肉で食べればいいわけで、確かに干し肉でも現代流の加工を施されたコンビニなどのものはちょっと注意が要るのですが、それでも化学添加物無添加のものであれば食べるにしても少量で満足できるのでむしろそちらがおすすめです。むしろそれで肉のありがたみを分かるわけですから、生のままの家畜肉を買ってきて調理してずかずか食べるよりは、よっぽど普段の食事は豆類と魚にしてたまに肉の味が味わいたくなったときは無添加の干し肉を買って来ればいいわけで(ちなみに自分で作るのにはちょっと手間がかかるので「時間のない」素人にはおすすめできません)、本来であれば食物水を多量に消費する牛や豚の肉はそれも先進国の人間であれば食べてはいけないもの、なのです。ちなみに、最近加工肉食品などの危険性が報道されたニュースもありましたが、あれは加工するのに化学添加物を使った結果それを食べ過ぎると危険性があるというだけで、それの根本的な要因は生であれなんであれ家畜肉を「食べ過ぎること」

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2016/04/28 11:43
にあるわけです。肉を食べるのには調理だろうと加工だろうと塩や香辛料など調味料が必ず必要になりますから、むしろ実は「干して乾燥させて量を小さくしてから食べる」という発想があればより少ない肉の量でも十分満足する、ことができるのです。食品なんて加工のしようでいくらでも満足するように食べることができますから、それはむしろ当たり前、なのですがともかくまずは家畜、特に牛と豚の肉を食べるのをやめる、たまにその味を食べたくなったらできるだけ無添加の干し肉でも買ってきてちょっとずつ食べていればいい、のです。そもそも肉なんてそのままではほとんど味のしないもの、ですしだったら干して味と栄養の凝縮されたものを食べたほうがいい。それでなら、手間もかかり凝縮されているのでちょっとずつ食べるだけで済みますし健康的な理由もあり豆や魚類を主食として食べているほうがいいわけ、です。ちなみに、現在では大量生産される安物の干し肉などでは当然化学添加物が入っていると思われますがそれが習慣化するにつれて需要が高まっていけばむしろ使われなくなっていく傾向になるでしょう。それでいて、ちょっと食べるだけで「気分の」済むものであれば多少単価が高くても問題ありませんし、むしろ何の気もなしに家畜の肉を買って食物水、あるいは穀物を無意識に無駄にしているよりはよっぽどいいのではないでしょうか。ともかく、牛や豚の肉など家畜の肉を食べ続けるよりは豆類や魚類に主食を転換したほうがいいわけで、そのためには保存加工の技術だったり干し肉を食べる発想などはとても重要なわけです。匂いが気になる、という人もいるかもしれませんが、そもそも肉を食べる、ということは家畜であれ狩猟肉であれ「命をいただく」」行為そのものであり、そうであるならばより「ありがたみが実感できる」方法であったほうがいいわけなのです。(おわり)




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