Nicotto Town


アオイさんの日記


side 自転車少年の憂鬱・3


有無を言わせない優しさを滲ませて、サハラはそう言った。
 一瞬だけ、どうしようと躊躇するようにアオイは瞳を揺らしていたが、すぐにぺこりと頭を下げた。
「ありがとうございます、サハラさん。」
「いえいえ。」
ぱくん、と一口でマカロンを食べて。美味しい。とふにゃりとした笑みを一瞬だけ浮かべて。アオイはくるりと踵を返して、声をかけてきた別の席へと向かった。
「やっぱり疲れているんだな…」
アオイの小さな背中を見送りながら思わずヘイゼルがそう呟くと、そうだね。とサハラがコーヒーを飲みながら頷いた。
「うん。飲食業って見た目は華やかだけど、肉体労働だからな」
サハラの言葉に、そうなんですか。とヘイゼルは少しだけ落ち込んだ声で言った。
 きっとサハラはカフェとかレストランとかで働いた事があるのだろう。そしてその経験のあるサハラはきっと、自分とは違ってアオイの大変さも苦労も良く理解が出来るのだろう。

 自分は、ただアオイに構ってもらえない事を、さびしく感じるだけだったのに。

 そう思うと少し哀しくなってきてしまって。ヘイゼルは目の前の食べかけのプリンに再び手を伸ばした。卵と牛乳とお砂糖。それだけのもので出来上がっている甘くて優しいこの食べ物は、ヘイゼルの好物だった。
 はーあ、とため息まじりに好物をもしゃもしゃ食べるヘイゼルに、落ち込んでいる場合じゃないわよヘイゼル少年。とヤマブキが笑った。
「アオイちゃんを可愛いって褒めたところはポイント高いけど。今のでサハラさんに一馬身リードされちゃっているんだから、もっと頑張んなさいよ。」
「何の話ですか。」
「え?アオイちゃんとヘイゼル少年とサハラさんの三角関係の話。」
さらりとヤマブキはそう言いきって、ねえ?とサハラに視線を向けた。
「まだその話を引きずっているんだ。」
はははと愉快そうに笑うサハラとヤマブキの横で、ヘイゼルだけが、さあ、と顔色を青くなっていた。
 え?サハラさんもアオイさんが好きなのか?
 自分とは違って大人の気遣いが出来て、背が高くて頼りがいがありそうで、少しワイルドな雰囲気も持っていて、かとおもえば落ち着いていて。男から見ても格好良い男であるサハラさんがライバルって、もう俺、勝ち目ないじゃん。
 瞬時にして、この世の終わりでも迎えそうな悲壮感を漂わせたヘイゼルに、サハラが苦笑しながら、違うから。と言ってきた。
「三角関係って、ヤマブキさんが勝手に面白がって言っているだけだ。」
だから安心していいよ。
 そう言って、こちらを安心させるような笑みを浮かべたサハラに、ヘイゼルも曖昧な笑みを返して、しかし小さくため息をついた。

 俺は、サハラさんみたいに大人じゃなくて、なんにも気が付いてあげられなくて。疲れているアオイにお菓子を分けてあげる事も思いつきもしなかった。

 大好きなプリンでもこの落ち込んだ気持ちはなかなか癒されてくれない。はーあ。とため息をつきつつ、ヘイゼルは最後のひと口をほおばった。
 と、その瞬間。もしゃもしゃと焼き菓子を食べている目の前のヤマブキの姿に、ヘイゼルは先ほど感じた違和感に気が付いた。
「ヤマブキさん、苺ジャムじゃなくて良いんですか?」
このところずっとヤマブキはジャムつきのトーストを食べていたはずだ。
 アオイの手作りジャムは確かに美味しい。出来たてを味見させてもらった時、ジャムというものはこんなに美味しいものだったのか、とヘイゼルも吃驚した。そして甘党であるヤマブキはその美味しさを大変気に入ってしまい、ヤマブキ専用。と彼女の分だけ特別に分けて瓶詰めもらっているほどだった。そしてここのところずっと、そのジャム付きのトーストを食べていたのに。
 今日、ヤマブキは普通の焼き菓子を食べている。
「…あれはお店が落ち着いた頃に又食べに来る。」
どこかバツの悪そうな顔でそう言って、ヤマブキはクッキーをもそもそと食べた。
 ふうん?と首を傾げたヘイゼルに、サハラは可笑しそうにくすりと笑って言った。
「ヤマブキさんは、簡単に出す事が出来るものをオーダーしたんじゃないですか?」
面白そうな笑みを浮かべて言ったサハラの言葉に、少し気まり悪げに、ヤマブキは頷いた。
「だって忙しそうだし。それにジャムは逃げないし。」
「案外ヤマブキさんって優しいですよね。」
「案外は余計じゃない?」
そう言って、ヤマブキはあんたの焼き菓子食べてやる。とサハラの皿から一口サイズのガトーショコラを奪い取った。
 サハラとヤマブキの掛け合いを眺めながら、このままではサハラさんどころかヤマブキさんにも負けている。と、ヘイゼルは再び小さくため息をついた。
 




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